坂口航様『クズの聖戦』

 ではでは、今回は坂口航様の『クズの聖戦』となります。


 主要キャラクターである柳田さんの心情がダイレクトに文章となっていて、読み応えのある作品となっております。


 それではここから感想へ。



 初めまして転ぺんです。

 企画への参加ありがとうございます。


 ではでは、感想を書き綴っていきたいと思います。


 まず、この『クズの聖戦』では主要キャラクターである柳田さんの心情がダイレクトに文章となっており、彼を中心に物語を展開している作品でした。


 日常の不満や常日頃思うこと、その疑問であったり理不尽であったり。現代にも通じる人が追うべき課題など、坂口航様はキャラクターにリアリティを持たせることの出来る作家さんなのだと思いました。


 キャラクターに行動させるのと心を持たせるでは意味が違い、坂口航様は後者の心を持たせることに重きを置いているのでは? 

 例えば作中で、じゃあ悪事を働くにしても――とのように魔導書を得た柳田さんがそれを得たことで何ができるか、モラルと常識を突然降って湧いたように得た力と天秤にかけ、自問自答する様にどこか親近感のような物を覚えました。


 小説家はロボを操縦する人ではありません。ですから坂口航様のようにキャラクターの背景を、このキャラが持つ宗教をしっかりと言葉、文章に出来ていて、動かすのではなく動いてくれる。そんな力を持った書き手さんなのだと思います。


 私はこういう感想を書く際によく言っているのですが、キャラクターは小説にとって重要な役割を担っています。


 神の光あれ。です。泥人形ではいけないのです。


 柳田さんがどの道を経てこうなったのか、これから出てくるキャラクターがどのような立場であって物語に関わってくるのか、それが楽しみで仕方ありません。



 ではここから気になった点をば。


 この作品では第一人称視点をとった作品になっていますが、私もそれを人に言えるレベルではなく、むしろ難しいとすら思っているこの視点でどうしても見かけがちな気がかりなのですが、あまりにも視点主の疑問、自問自答が多いと一体誰に向けた物語になっているのかがわからなくなってしまいます。

 先ほどキャラクターの心情にリアリティがあると言いました。しかしこれは小説です。

 誰かに読んでもらうことが前提となっているはずなのです。


 とするとキャラクターの一人相撲であったり、自己完結が多用されているとどうしても読み手の感情に届かなくなってしまいます。


 感情移入とはキャラクターに読み手が自己を投影するものではなく、彼の生き方、言葉の1つに同意、否定をするものだと思います。


 この『クズの聖戦』という作品ではキャラクターを読ませたいのか、物語を読ませたいのかの判断が読み手として難しくなっていると感想を抱いてしまいました。


 私自身一人称視点では何度も失敗をした経験があり、どうしてもキャラクターの心にばかり頼っているといずれ詰まってしまうという経験を何度もしました。


 しかし状況描写を上手く描こうとすると一人称から三人称視点へと変わってしまっていたりと難しいものです。


 と、ここまで気になったことを挙げさせていただきましたが、坂口航様にはキャラクターに勢いを持たせられる能力と人が持つべきリアリティのある心情を上手く描ける能力があり、これからの躍進に期待しております。


 この『クズの聖戦』という作品、まだ未完でそれほど物語が進展していないこともあり、これだけの感想になってしまいましたが、以上で終わらせていただきたいと思います。


 これからも楽しみにしているので、ぜひぜひ作品を完成させてください。

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