第11話【LOVERS ONLY番外編Ⅲ】



【ようこそロンドン美術館へ Ⅲ】




中央の入り口から上がってすぐ左手。

ルーム2。


飾られた絵画の前で一同は足を止めた。


【バッカスとアリアドネ】ティツィアーノ作


この絵の前に立つのは男性学芸員。


彼らは皆、画廊の主やギャルソンのような、洒落た格好をしているわけではない。


どちらかと言えば着のみ着のまま。


IDカードを首から提げていなければ、彗たち学生と大差ない。質素な服装だった。


学芸員や職員と言われれば寧ろそれらしい。


その中の一人の男性が、目の前で絵画について雄弁に語って聞かせてくれた。


《ティツィアーノは、神聖ローマ皇帝やローマ教皇といった、有力なクライアントを抱えていたイタリア ルネサンス期の超人気画家です。まずは・・ご覧下さい!


中央に描かれたバッカスが、画面左のアリアドネを妻にすべく、今まさに!戦車から勢いよく飛び降りてきたところです!


彼の来訪を予想していなかったアリアドネ。バッカスの率いる、賑やかな面々の様子に驚いています。まるで映画!神話史劇の世界をそのまま切り取ったかのような躍動です!


なお・・アリアドネのはるか頭上に輝く星の王冠は、後の妻アリアドネの死後、バッカスが妻の冠を天に飾ることを暗示しています。


かんむり座の由来はバッカスとアリアドネ。このエピソードから生まれているのです!》


すぐ隣のルーム4には、見上げるほどに巨大な肖像画が展示されている。


【大使たち】ハンス ホルバイン作


この肖像画に描かれているのは2人の人物。


《皆さんから向かって左側の男性は、フランス貴族で・・当時、ロンドンに使節として駐在していたジャン ド ダントヴィル。右側は、同じくフランス人で、ダントヴィルの友人であり、考古学者でもあったジョルジュ ド セルヴです。


彼らは何処から見ても超のつくセレブです。


この20代の若き貴族2人の、実に堂々として、威厳にあふれた姿と、美しい布地の描写そこに、つい目が行きがちですが・・》


学芸員の言葉に、来館者たちはその絵画に向き合う。確かに、展示された貴族の肖像画の中で、一際に異彩を放つ作品だった。


彼らの足元中央に、不吉に歪めて描かれた髑髏にご注目ください。この髑髏には、おそらくメメント・モリ(いつか自分にも死が扉を叩く・・忘れるなかれ)そんなメッセージが込められているものと推察されます・・


当時の貴族の、豪奢な暮らしぶりを伺わせる衣装や部屋の調度品の数々。


申し分のない地位や恵まれた暮らし。


若さや、美しさ、威厳ある自分の姿を留めて置きたい。後世にまでそれを伝えたい。

彫刻ではなく鮮やかな色彩で。


肖像画の依頼者が、絵師に求めるのは概ね、自分の栄えある姿に違いありません。


そうした理由で巨匠たちに肖像画が託され、遺され、今この美術館に飾られています。


果して、この絵画の足元に描かれた髑髏が、依頼者の希望によって描かれたものか?

それとも作者の発案なのか?

確かめる術はありません。


ハンス ホルバインの【大使たち】の肖像画遠くで見れば髑髏は足元に煙る白煙のよう。


その絵に正対して見れば、初めて緻密に描かれた髑髏が目の前に姿を現す。


微妙な角度でその絵の印象は変わる。


よくある、観客の目を欺き、楽しませるために描かれたトリック アートの類ではない。

描かれた髑髏は依頼者の要望だろう。


ホルバインは当時の英国を代表する画家だ。

しかし、いくら高名な絵描きであっても、依頼主の肖像画に髑髏を描き込む暴挙などあり得ない。まして相手はフランス大使だ。


髑髏は依頼者からの希望で描かれた。

そう考えて間違いないだろう。


《この絵からは、当時の貴族たちに受け継がれ来た精神を伺い知ることが出来ます》


ヨーロッパ諸国の貴族たちには、中世の時代より死に対して特別な思想があった。

それは騎士道精神に通じている。


中世の貴族たちは、その1年の大半を武装して城で過ごしたという。


自ら忠誠を誓った君主を衛るため。

有事の際には遅れをとらぬため。

死と覚悟はその足元にあった。


そんな時代が過ぎても、貴族たちには、自らの寝室の机に髑髏を置く習慣が残った。

1日の終わりに死に思いを馳せる。


日々の生活に追われ、降りかかる火の粉を払い雨露を避け、腹を満たすことに精一杯の庶民には、死を鑑みる余裕などない。


それは貴族だけに許された嗜みだった。


「なんか侍の武士道みたいだな!」


「騎士道精神たべ!」


「ヤンキーにわかるのか?勝って兜の緒を締めよ!汝地位に傲ることなかれってか?」


彗が珍しく真面目な顔をして言う。

榎本は思わずその顔を見た。


そして同期の目線がゆっくり移動するのを、榎本の目が自然と追いかけた。


「なんだ榎本?私の顔に何かついてるか?」


じろりと岩倉教授が榎本を睨み返す。


「し・視線誘導だ!くっ!はめられた・・」


「絵画とは」


説明を終えた学芸員の言葉に送られ、彗たち来館者たちは次の絵画に向かう。


「絵画とは映画ではありません。絵画には、と映画のようには流れる時間はありません。その時代の画家たちによって切り取られた、一瞬の時間がそこにあるだけなのです」


では絵画は写真と同じなのか。

彗は心の中で首を振った。


「当世の画家たちが描いた。この美術館の絵画には、肖像画一枚にも、その時代を生きた人の思いや作者の思いが込められています」


彼らを送り出すように見送りながら。

学芸員の男性は言った。


「目には見えぬ。写真にはけして映らない。そんなかつての時代の人々の思いに触れる。それこそが絵画鑑賞の醍醐味・・そう私たち美術館は考えます。どうかごゆるりと!」


「ダヴィンチの・・巌窟の聖母は?」


「ずっと奥のルーム66だな」


彗以外は英語がよくわからない。

学芸員の説明は早口過ぎた。

でも頷いては体裁は繕った。


ゼミ生たちは他の来館者たちの群より前に、少し急いだ足取りでその場を後にした。


「ああそうだった」


大倉教授が口を開いた。

珍しく欠伸するような間の抜けた口調。


学生たちは爪先でブレーキをかける。


「この後で、ここの館長に会う約束だ。みんな正味1時間で鑑賞は済ませるように!」


「なんだって!?」


学生たちの足は俄然早足になった。


「急に・・倍速ボタン押されたべ!」


彗に榎本が耳打ちした。


「・・まったくだ!さっきのおじさんの話、聞いてねえのかよ!?語り合う時間が・・」


この美術館の絵画は2000あまりと聞く。2時間ほどいれば主な有名作品は鑑賞可能だ。ガイドブックにはそう書かれていた。


学芸員の説明にも耳を傾けて、じっくり鑑賞したい。2時間なんてあっけなく過ぎる。


それを教授の都合で1時間に短縮だと!?

クールを決め込んでいる彗だって。


ここに来たらダ・ヴィンチとルーベンスの絵画は見て帰りたい。むしろ楽しみにしてた。

辿り着く距離が・・時間が・・くそ盛期ルネッサンスまでが遠く感じやがる。


ダ・ヴィンチとルーベンスは、絵画を志す学生にとっては取り分け特別な存在でもある。

父であり神とも呼べる存在であった。


「榎本!ここはばっくれて俺たちだけでも」


「田崎・・お前は目立ち過ぎたべ!」


「く・・不覚!」


「そのなりと、つんつん頭では、モナリザとこっそり合コンアフターは無理だベ!」


榎本は彗の尖った髪の先を指で弾いた。


この美術館にはモナリザの絵はない。






【次回予告】


「なあ・・彗よ・・ここに来ての教授の鑑賞時間短縮によるまき・・俺たち本当にダ・ヴインチや、ルーベンスの、絵画の神や父と呼ばれる御元まで辿り着けるべか?不安だべ!」


「フランツカフカの【城】みたいにいつまでも辿り着かず。最後は意にそぐわぬ小間使いの仕事に身をやつし・・」


「わー!わー!わー!!!今のなしだべ!?自ら超不吉なふりをしてしまったあ!?しかもその小説未完のまま・・」


「心配すんなって!そんな高尚なこと考える作者かっての!?しかも、俺たちスピンオフ要員よ?作者その小説読んでねえし!」


「そんな親友のメタ発言に、今はすがりたい榎本であった・・」


「ローゼンクランツとギルデンスタンは死んだ」


「やめろお!不吉な話を例えに出すなべ!」


「榎本」


「?」


「お前まさか・・今さらここから出れると?帰れるとでも思ってるのか?」


「そそそそんな話じゃねえべ!?俺たちそんなキャラ違うべ!ロンドン美術館へようこそ!皆様に、気軽に、楽しく、ロンドン ナショナル ギャラリーの世界を楽しんで頂くお話だべさ?だべ?だべ?だべ?ちょっ・・なに笑ってるべ?」


「おや・・岩倉教授が?」


「なに?」


「こっち見てスケッチブック見せてるぞ」


「どれどれ・・なんて書いてあるべ」


【各々方・・まいて候!】


『フリップ芸で教授がボケた!?』


「急げ!三3」


「急ぐべし!三3」


「まいて予告!次回は絵画界いちの美少女のお話だべさ!」


「ほう・・そんなに可愛い娘が!?それは楽しみだ!!」


「次話は本編掲載後翌日掲載予定!」


「まいてるなあ・・」


「いや!半日!」


「おお!」


「いやさ2時間後!」


「まき過ぎだろそれ!」


「まいて行くべし!」


「準レギュラーの俺!田崎彗と違い、榎本君とはこのスピンオフでお別れなのにねえ~」


「・・次話掲載はロンドン美術館再開記念となります・・よろしくお願いします!」


「エタりだした・・」

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