最終話 希望の街

 8月のある日、灼熱の太陽が降り注ぐその日、源治は隣のT県D町から戻ってきた。

 

 (こんなクソ暑いさなか、転職活動かよ……でも仕方ねぇんだよな)


 転職エージェントに登録をした源治は、エージェントの半ば諦めた面を殴りたくなる衝動を抑えながら、他県の印刷メーカーの社員募集の求人を知ってわざわざ電車で一時間半程かけて出向き、先ほど筆記試験と面接を受けてきた。


 源治がわざわざデパートに出向き一着5000円の安売りで買った、着ている紺のストライプの柄のスーツは汗で塩が吹き、白のワイシャツは背中が汗で濡れ、喉はカラカラといった具合。


 源治はK町に着き、溜息をつき駅のベンチに腰掛けて煙草と缶コーヒーを口に運ぶ。


 (こんなクソの様な町、とっととおさらばしてやるんだ……!)


 瓦製パンの人間は面白おかしく源治の事を噂だてて、気がつけばこの街にある企業は源治を雇おうとはしない、ハローワークで登録してるジョブカフェの支援員も流石にこの状態はお手上げで、別の県に行って仕事を探したほうが良いと御子柴と同じ事を源治に伝えた。


 スマホのバイブが鳴り、源治は微糖の缶コーヒーを置き液晶を見やる。


 液晶画面には、翔太のラインアカウントが写っており、トーク画面にはこう記載されている。


 『なぁ、なんかお前に全然お別れの挨拶とかできなかったし、シカトしてて悪かったので今更だけれども…最後に、正志さんの店で飲まないか?』


 『今更か、まぁ別にいいけれども、いついくんだ?どうせ俺ニートだしいつでもいいぞ、失業保険も降りたから』


 退職したのが5月で、失業保険は先週から支給が決まり、平均収入15万円の8割ほどの支給額の約13万円程の収入が源治にはある。


 源治はその金を使い、どうせ最後だからという投げやりな理由で近所の一回1万円程度の中国系の性風俗店でセックスをした。


 (あと一人会いたかったやつがいたけれども……。別にいいか、どうせ俺シャブ中って思われてたし)


 頭に浮かぶのは、美希の顔。


 仮に、源治の家庭が普通で覚醒剤を打たれてない普通の人だとしても、大手メーカーの社長の娘が自分と付き合うこと自体が無理なんだーー源治はそう自分に言い聞かせ、タバコを灰皿に入れる。

 *

 午後7時のK町は、馬鹿騒ぎするF欄大学生やらブラック企業で疲弊して憂さ晴らしで喧嘩などの騒ぎを起こす社会人、女に相手にされない可哀想な男に声をかける

 

 キャバクラやピンサロの呼びこみ嬢、5000円程で溜まった性欲を晴らしてれる如何わしい性風俗店、大衆居酒屋や大人の飲み屋の看板で怪しく光る飲み屋のネオンといった具合の汚れた街。


 (こんなクソみたいな町とはもうおさらばか……)


 源治は翔太と駅で待ち合わせている。


 「ねえ!いいべ!これからダチと飲もうぜ!」


 (また馬鹿が湧いてきているよ、相変わらず糞のような街だなここは……)


 源治の後ろの方では、DQNがナンパをしているらしい。


 後ろを振り返ると、上下アロハ柄に身を包み、サングラスをかけている翔太が女性をナンパしているのが源治の目に入り、源治は溜息をついた。


 (こいつ何も本質が変わってねぇ……!)


 女性にビンタされて凹んでいる翔太に、半ば呆れた顔で、よう、と口を開く。


 「源治、久し振りだな」


 「あぁ……」


 「いくか」


 翔太はビンタされてミミズ腫れの頬を指でなぞり、源治と共に街の雑踏に消えた。

 *

 『ショットガン』は数ヶ月前に動画で紹介された為か客で混んでおり、源治達は隅のカウンター席へと案内された。


 「久しぶりだなげんちゃん、今日は何にするかい?」


 「いつものジーマとオムライスだね、これでもう最後なんだ」


 「え?もう最後って、この街を出ていくのかい?」


 「あぁ、もう多分戻ってこないと思う」


 「そっか……」


 正志は周囲を見渡して、源治にそっと耳打ちをする。


 「このジーマとオムライスは俺からのサービスだからね、内緒だよ」


 「……ありがとうございます」


 正志はそう言うとカウンターの奥へと消えていった。


 「良かったな、源治」


 翔太はタバコをふかして、源治にそう言う。


 「あぁ、良い人だな正志さん」


 テレビからは、最近有名なラッパーの動画が流れている。


 「あの帽子、買ったことがあったな」


 翔太はラッパーが被っている帽子を指差して言う。


 「あぁ、モテるかなっていう理由だったな、ラッパーのような格好をしたけれども変な連中からも絡まれたりもしたな」


 「そうだったな、あれは最悪だったな」


 「ああ……」


 源治は運ばれてきたジーマとオムライスに舌鼓を打ちながら翔太との思い出話を懐かしそうに語った。


 客が帰って行き、源治と翔太二人だけになった時に、新しい客が入ってきた。


 源治の目の前には、ショートカットのボブヘアーの美希がいる。

 

 「美希!? 何故、ここにいるんだ?」


 「俺がさっき呼んだんだ」


 翔太はそう言い、立ち上がる。


 「ゆっくり話してこい」


 翔太はそう言い残し、カウンターに5000円を置き、ここは俺のおごりだからこれで好きなだけ飲み食いしろ、と告げて店を後にした。


 「……」


 店内は、美希と源治がいる。


 二人きりの時間は、数か月ぶり。


 一方的に自分から振っておいた人間を何故翔太が呼んだのか理解不能に陥り、何を話したら良いのかよく分からない時間が流れる。


 「げんちゃん……」


 長々と続くであろう重苦しい静寂の時間を断ち切るかの様に、美希は口を開く。


 「あのね、伝えたい事があって、翔ちゃんに頼んだの、ここに呼んでくれって。あのね……」


 美希は涙ぐみながら、続ける。


 「私入籍するの、10日後に。相手は別の製パンメーカーの社長の息子さん。瓦製パンは合併して大きくなるの。政略結婚なの、でもね、私げんちゃんじゃないとダメなの」


 「……いや、俺の様なやつではダメだ、俺の体の中には覚醒剤の後遺症で禁断症状が強ストレスの時に発症する、俺と一緒にいても幸せにはなれない、君は、綺麗なままでいい、正志さん、これでおあいそね。今までありがとうございました、また、縁があったらお会いしましょう」


 源治は立ち上がり、正志に一礼をする。


 「あぁ、こっちこそ、暇なときに遊びに来てね、達者でね…」


 美希の泣き声だけが、『ショットガン』に響いた。

 *

 K町の丘の上には、霊園があり、そこに春香は眠っている。


 春香の両親は裕福な家庭らしく墓を作るお金はあった為、一等地のこの霊園に墓を作ってくれたのだ。


 源治は何度か、祖母と祖父に一緒に暮らさないかと頼まれたのだが断った、親とは言っても全くと言っていいほどにいい思い出がなく親らしいことを全くしてくれなかった為、実の祖父母にそう頼まれても、嫌悪感しか感じられないのだ。


 お盆の日の夕暮れ、源治と御子柴は春香の墓参りをし、生前好きだったという海外のビールを墓において合掌した。


 「源治、この街を出た後にあてはあるのか?」


 「一応、仕事決まりました、T県の印刷メーカーです、来月から出勤です」


 「そうか、良かったな」


 「たまに遊びには来ると思います」


 「あぁ、いつでも来い」


 先日、転職先から採用通知の電話と葉書が届き働くと決めた、明日から源治はT県に引っ越して新しく借りたアパートで暮らす。


 夏の日の夕暮れが、彼等の頬を照らし続けていた。

 *

 夏だというのに湿度が低く、爽やかな暑さの日、源治はK駅のホームに大きめのリュックを背負い椅子に腰掛けて電車を待っている。


 夏祭りがあるのだろうか、駅は浴衣や甚平姿の男女や家族連れが多く見受けられる。


 (こんな町とももうおさらばか……)


 源治は椅子から立ち上がろうとした。


 「げんちゃん」


 後ろから声を掛けられて振り返ると、そこには美希と翔太がいる。


 「え。お前今日入籍なんじゃないのか?」


 「逃げてきちゃった、あの人そんな好きじゃなかったし。翔ちゃんからラインで聞いたの、今日のこの時間に電車に乗るって。……私げんちゃんと一緒に暮らしたい」


 源治は、昨日翔太と明日何時頃にこの街を出ていくとラインで話していた。


 「馬鹿が!なぜ俺なんかと……! 今から間に合うから、お前は向こうさんに戻れ……!」


 「でもげんちゃんがいい! 私、源ちゃんじゃないと嫌だ!」


 美希の瞳は嘘偽りがない瞳。


 電車が来て、彼らの前に止まるまで、源治は少し考えていた。


 「……そっか、なら、この街をおさらばしよう」


 源治は美希の肩を抱き寄せて、電車に乗る。


 「源治、またな!」


 「あぁ、またな!落ち着いたらラインすっからな!飲みに行こうぜ!」


 翔太は目に涙を溜めて、源治に手を振って見送った。


 灰色の空と、バブルの時にバカの様に建てられた中途半端な高さのビルとマンション、アパート、喧騒と怠惰な毎日、街を歩くチンピラ、煌びやかなネオン、ブラック企業ばかりの街――


(俺はこの街が好きだったんだな……!)


 電車の窓から見えるK街は、心なしか、源治の目には希望が満ち溢れた街に見えた――


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希望ノ街 @zero52

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