§1-04 事の始まり(後編)

「お待たせしました」


居間の扉を開けて、ライナス達が戻ってきたのは、丁度半刻が過ぎた頃だった。

少しは落ち着きを取り戻したヨシュアが目を上げると、そこにはリネア家の子供3人と、渦中の従士の小倅しかいない。

男爵もその夫人もいないとはどういう事だ? と奇妙に感じながらも、口をゆがめて、


「ほう、やっと結論が出たのかね?」


と、考えなくても結論は決まっているだろう? といった意志のこもった言葉を口にした。


「もちろん、決まっています! あなたなど絶対お断……むぐぐっ」


アリエラが高らかに宣言しかけたところを、後ろからルヴェールが口を塞いで押さえ込む。


「なんだと?」


それを聞いたヨシュアが思わず気色ばんだ。


「まあまあ、ヨシュア様」


黙って話を聞いてたライナスが、天使のような笑顔を顔に張り付かせ、さりげなくアリエラに向かう視線を遮りながら話に割り込んだ。


「ヨシュア様もご存じの通り、我が家は武門に拠って立った家ですから、娘を生中なまなかなものに嫁がせるわけにはいかないのです」


たかだか12歳の小僧に煽られたと思ったのだろう。ヨシュアはさらに気色ばんで、青筋を立てた。


「ほう、伯爵家の武は生中なまなかで、そこにいる男の方が強いと?」

「とんでもありません。伯爵様のお力の前には彼などは塵も同じでしょう。が、塵には塵の意地というものがございます」


いかにもそれが面倒なものであるかのように肩をすくめるライナスに、タルカスは、この坊ちゃんはまたなにか企んでやがるなと心の中で嫌そうに顔をゆがめた。

ヨシュアはその真意を測りきれず、警戒を強める。


「そこで、どうでしょう? 聖探の儀と共に行われる武闘会ですべての決着をつけるというのは」

「はぁ?!」


思わす声をあげたタルカスを見たヨシュアは、この提案が罠ではないと判断したのかニヤリと口角をあげた。


「そこで勝った方が、アリエラ殿を手に入れるというわけかな?」


それを聞いたアリエラが立ち上がって抗議しようとするが、あらかじめ言い含められていたルヴェールは塞いだ姉の口を放さない。


「私はものでは……むぐぐっ」


それを完璧に無視したライナスは、賭けの商品がいかに素晴らしいかを力説する。


「姉様の美貌は勝者をたたえるのに充分ふさわしいと思われますが」

「それはそうだが、ご本人がどうにも納得をされていないご様子だが?」

「貴族の娘は、家のものですよ」


ライナスは、にっこりと笑いながらそう言い切った。


「なるほど」


本当にそうなら、こんな話になっていないはずなのだが、至極まっとうな貴族論理にヨシュアは思わず頷いてしまった。


「しかし、いまやあの大会は、事実上ベリタス王国北部の頂点を決定する大会だ。学院で優秀な成績を残したとは聞いてはいるが、17の若造には少しレベルが高すぎるのではないですかな?」


タルカスをおとしめるように言ったヨシュアだが、内容は至極もっともなので、タルカス本人にすら否定はできなかった。

それを聞いたライナスは『リネア家のこともちゃんと調べてから来てるのか。バカじゃないと言ってたのは本当みたいだな』などと不遜なことを考えていた。


「むろんそれは承知の上です。そんな舞台で、もしも勝利をつかめるなら、塵も星となりましょう」

「ふむ。では、私も自分で出場する必要が?」


ライナスは獲物が針をくわえ込んだことにほくそ笑んだ。

もっとも、ここで『そうだ』と言えば、彼はこの茶番劇から降板してしまうだろう。答えはもちろん――


「いいえ。お家の力は伯爵様のお力でしょう?」

「よく分かってらっしゃる。ではあなたの所も?」

「我が家の力は、彼のものではない。タルカスが自分で出場するべきでしょうね」


それを聞いて、ライナスが味方であると確信したヨシュアは、内心ほくそ笑み警戒を解いた。

なにしろ当主のアンブローズは、いってみれば救国の英雄だ。その実力は北部一の実力者だといわれているリベルトーンでも及ばないかもしれないのだ。

そんな男だが有名な親バカでもある。娘かわいさに本人が出場すると言い出しかねないだけに、ライナスの発言はその可能性を排除する重要なものだった。


もっとも、第2夫人とはいえ伯爵家の嫁にと請われた長女を、自分の家の従士にくれてやるなど、貴族家としてはばかばかしいにも程がある話で、なんの利益もありはしない。婚姻とは結局利益なのだ。

しかし、リネア家は自由や自主性を重んじる家風。ならば、そのどちらも傷つけずに話を纏めようとしているこの男、子供だと舐めるわけにはいかんようだとヨシュアは気を引き締めた。


「その意気や良し! これは乗らざるを得ませんな。直接戦えなかった場合は、より勝ち進んだ方の勝利でよろしいか?」

「もちろんですとも。それに、どちらも同回戦で消えた場合、力を見せられなかったタルカスの負けでしょう」

「うむっ、うむっ!」


にこやかに話を纏めて握手をしようとしたその瞬間。はたと手を止めたライナスが、こんなことを言い出した。


「しかし、こちらだけが一方的に賭け金を積み上げるというのも、賭としてはいかがなものでしょう」


まわりで聞いている者達は、いつからこれが賭になったのかと心の中で突っ込みを入れたが、そこはギャンブル好きのヨシュア、まんまと話にのってくる。


「確かにこれを賭としてみるなら、お互いに同等の掛け金を積まなければならぬが……」

「でしょう。ここはやはり、伯爵様にもその地位や姉様にふさわしいものを用意していただき、『形だけでも』整えておきたいものです」


なるほど。どうせこちらの勝ちは決まっている話なのだ。そう考えれば、あとあと外野に文句を言わせないためにも賭としての体裁を整えておいた方がよいだろうということか。

確かに一理あるな、とヨシュアはそう考えた。


「よかろう。……しかし、かの美姫にふさわしい何かと言われてもな」

「確かに。単なる金銭ではあたかも姉様の価値を計るようで、やや趣を欠きましょう。しかしながら代えのきかぬ家宝などと言うものは、姉様の価値こそ存分に示せましょうが、いまだ当主ならざる我々の身には容易に扱えぬ品」

「そうだな」

「そういえばヨシュア様は、次期当主として、すでに領内の政務を任されているとか」

「よく知っているな」

「優秀な跡継ぎであると、いつも父からお聞きしております。……そうだ、では、当領の商人がそちらの領を通過したり、そちらの領でものを売買する際の税を免除していただくと言うことでいかがでしょう」


突然の申し出に、ヨシュアは面食らった。


「な、なに?」


デボンヌ領は、北部から中央、特に王都へと向かう街道沿いに広がっている領地で、そこから上がる通行税を始めとする税収は、王国の中でも一二を争う金額になっている。の領が非常に裕福なのはそのおかげと言っても良かった。


「なに、当領の商人の数などたかが知れていますし、そこからあがる税収など、伯爵領全体からすれば微々たるもの。実際の額にしてみればまったく大したことは無いでしょう?」


ヨシュアは頭の中でその額を素早く計算してみた。が、確かに微々たるものだった。


「それはそうかもしれんが……」

「しかしながら、今悩まれているとおり、言葉としてはかなりのインパクトがございます。姉様に付ける価値としては、なかなかにふさわしいものになるかと」


ヨシュアはバカではない。確実に勝つはずの賭けでも負けたときのリスクを自然に計算していた。

そして、その提案の問題は、特権を与える商会の数と期間だなと考えた。永遠にとなると、1期の損失は微々たるものでも積み重ねというものがあるし、賭けが成立した後で商会を誘致するような真似をされれば大損害になりかねない。


「その商人というのは、現在本拠をそちらの領で登録している商人だけかね?」

「もちろんです。賭けがなされたあとで商会を誘致したりしては、詐欺のようなものではありませんか」


リネア領には大した特産品がない。

仮に他領から何かを輸入して、それを輸出したとしても、輸送費が余計にかかる分、税金が免除される意味は薄れる。この点は問題ないだろう。

他領で買い付けて、デボンヌ領で売りさばけば他の商人よりは多少有利になるだろうが、それで大きな利益を上げられるほど財力のある大きな商会はリネア領にはないはずだ。税収からして年間わずか2億クラウドの領地だ、仮にリネア家が肩入れしたところで、問題になるほど大きな規模になるとは思えなかった。


「しかし永遠に、というわけにもいくまい」

「もちろんです。姉が生きている間というのもなかなかに生臭い話。ここは『お互いの命が尽きるまで』でいかがでしょう」


それは有名な本の一節だった。

物語の中で結ばれるその契約は、お互いの命が尽きるまで有効なら、自分の命を犠牲にしない限り暗殺などを心配する必要もないという合理性の上から導かれるのだが、そこは物語だ。実に格好よく、男らしくかつ貴族を満足させるノーブルさで描かれていた。


「おお! ベニファシルの約定か! 貴殿も読むのかね?」

「もちろんです。あれは紳士ギャンブラーの聖典ですから」

「しかり! しかり!」

「では、それで?」

「よかろう」


ヨシュアが力強く頷くのを見て、ライナスが右手を軽く挙げると、家令のデュボアが、今の話の内容を記した契約用の羊皮紙とペンを差し出してきた。


「では、内容をご確認していただいて、こちらにサインを」

「ほう、手際の良いことだ」


そういいながらヨシュアは契約書を確認するが、内容は一言一句の違いもなく、今しがた同意した話の通りだった。

なぜ、今話したばかりの内容が契約書になって出てくるのか、少しだけいぶかしんだが、内容に問題はなく、なんとなく後ろ髪を引かれながらも、彼はそれにサインした。

それを確認した後、ライナスがサインをすると、同時に白い魔法陣がヨシュアとライナスの頭上に作られ、ふたりを白い光で包んで消えた。これで契約は完了だ。


「ありがとうございます。それでは聖探の儀で」

「うむ。夏には弟と呼ぶことになるかもしれんな」


ヨシュアはそう言ってアリエラを下卑た眼差しでひと舐めしたあと、足音高く屋敷から出て行った。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「説明してくれるんでしょうね?」

「説明していただけるんでしょうね?」


ヨシュアが去るやいなや、アリエラとタルカスがふたりがかりでのしかかってくる。


「ね、姉様、まだここ玄関ですから」


そんな二人から後ずさりながら、なんとか居間に戻ったライナスは、ソファーに腰掛け、メイドに新しいお茶を頼んでから切り出した。


「そうは言っても、ふたりとも聞いていたでしょう? タルカスが、聖探の儀の武闘会――何て言いましたっけ?」

「北部一武闘会。通称北武会よ」


あまりに俗な名称に、ライナスはちょっと笑いながら、言葉を続けた。


「その北武会で優勝しちゃえば、全てはうまくいくわけですよ」


そう言ったとたん、アリエラの後ろに立っていたタルカスが、思わず身を乗り出して言った。


「できるわけないでしょう!」


あまりの剣幕に、みなが驚いたのを見て、こほんと咳払いしたタルカスは、失礼しましたと謝った後に続けた。


「そりゃ、俺だってそれなりに腕には自信がありますけどね。ただでさえ今年の北武会には、3連覇が懸かっていていつも以上に気合いが入っているリベルトーン様がいるんですよ? それにあの調子じゃ、ヨシュア様がとんでもない人を引っ張ってきそうな気がするんですけど」


リベルトーンは、辺境伯家第2騎士団の副団長だ。

団長はほぼ名誉職なので、まず第一の使い手だろう。少なくとも今のタルカスでは、何合もつかを話題にするのが精一杯と言ったところだ。

それにデボンヌ伯爵家と言えば、北部と中央を結ぶ街道の大部分を抑える大貴族だ。大抵の剣豪を雇うくらいの金なら簡単にひねり出せるだろう。きっと驚くような者が出場してくるに違いない。


誰が出てくるのかちょっと楽しみなライナスだったが、そこでルヴェールが衝撃的な発言をした。


「ねえねえ、そういえばデボンヌ家って、北部貴族じゃないよね? 北武会に出られるの?」

「「「あ!」」」


全員が今の今まですっかり忘れていたが、デボンヌ伯爵家は中央貴族だ。これで、北武会に出られなかったら笑い話にもなりはしない。


「ふっふっふ。不戦勝。実はそれを狙ってました」

「「「うそつけ!」」」


不敵に笑うライナスに全員が突っ込んだ。


その後、北武会の出場資格をアンブローズに聞いたところ、16歳以上で、死んでもOKな誓約書にサインさえすれば、制限無く誰にでも出場資格があるとのことだった。

死んでもOKの誓約書にサインをさせられるとはいえ、闘技場には一応致命傷を保護する魔法はかかっているらしい。ただ、あまりにクリティカルな一撃は死を防げずに事故扱いになるらしかった。


「それで、ライナス。私と免税を秤にかけたんだから、ちゃんと勝算があるんでしょうね?」


アリエラが切れ長の目で射るように睨む。


「さあ、それはタルカス次第でしょう」

「「「はぁああ?」」」


驚いたように、3人でハモると、アリエラは眉間のしわをもみながら、一瞬で掌の上に魔力を練り上げた。


「いや、待って、ここ室内ですから! 火魔法とかやめて! 火事になりますから!」

「ふふふふふ」

「待って待って! ちゃんと、考えてますから!!」


それを聞いたアリエラの掌から魔力が霧散した。


「あー、でも、できるだけタルカスでなんとかした方がアリエラ姉様も喜ぶと思いますよ?」


ライナスがそう言うと、タルカスがアリエラの方を見てテレながら聞いた。


「え? そうですか?」

「え? ううん……うん」


顔を赤らめたアリエラが頷いて、タルカスにそっと寄り添う。

どこでも雰囲気を作る二人をジト目で見ていたライナスによって、聖探の儀までの1期の間、タルカスが不当に虐めきたえられるであろうことは想像に難くなかった。

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