§1-03 事の始まり(前編)

「いやです」


アリエラ=リネアは、知的な美人だ。

その相貌は、ともすれば冷たいと見られがちなほどであったが、今は本気で冷気を吹き出しながらきっぱりとそう答えた。


「え? デボンヌ家と言えば、大身の伯爵家ですよ? 第2夫人とはいえ、本来ならば男爵家の令嬢が――」

「では、その本来の者をお探し下さい」


アリエラが冷たく言い放つ。

それは、まさに氷の美貌。それを見たライナスは『姉様に踏まれたいだの叩かれたいだの言う男が多いのもわかる気がする。ボクは嫌だけど』などと考えていた。


使者の男は、これどうすんのといった顔で、アンブローズ男爵に視線を向けた。


男爵は男爵で、実に困っていた。

額に油汗を浮かべながら、今にも、ぐぬぬ、なんて言いだしそうな感じに困り切っていた。妻であるエトワは、その隣に座って、涼しい顔をしていたが。


事の発端は、アリエラを見初めた貴族の男が、彼女に婚姻を申し込みに来たという、実にありふれた一幕だった。

通常なら紹介者から手紙でその旨を知らされ、親同士の話し合いで決まるわけだが、アリエラ宛の申し込みは、大抵アンブローズが『まだ早い』という理由で握りつぶしていた。実際は17なのでまったく早くもないのだが。そこには父親としての譲れない何かがあるのかも知れない。

何しろ長女とはいえ男爵家の娘ゆえ、高位貴族から正妻の申し込みなどがあるはずもなく、あっても侍女(つまりは愛人だ)によこせだの、年寄りの後添えだの、せいぜいが数多い側室の末席だったりしたので、男爵程度の身分とはいえ大戦の英雄の立場や武力もあって、なんとか断ることができていたのだ。


しかし、今回は、そういう手続きをすべてすっとばし、本人が結婚を申し込みにやってきた。いかに大身の領地を持つ伯爵家の次期領主と言えども、掟破りの勇み足であることは否めない。

さすがに本人は後ろに控えたままとはいえ、使者の口上がすげなく断られた結果、少々青筋が立っていた。


仕方なくアンブローズは時間稼ぎの手段に出る。


「あー、いささか突然のことでしたので、どうにも話が空回りをしているようですな。ここはひとつしばらく話し合う時間をいただければ――」

「そんな必要はありません」


なんとか時間を稼ごうという父の意図をぶった切るように、言葉を重ねた姉を見て、ライナスは心の中で、あちゃーと頭を抱えた。

しかも――


「お父様。私には、お慕いしている殿方がおります」


――なんていう、とんでもない発言が飛び出す始末。もはや、な、なんだってー(棒)としか反応できない。


「なんと。それは本当かね?」

「はい」


突然の告白に、アンブローズは思わず聞き正すが、アリエラは、なんの躊躇もなくそれを力強く肯定した。

それを聞いて、始めて本人――ヨシュア=デボンヌ――が声を上げた。


「なんだと? 一体誰だというのだ」


アリエラは、毅然とした態度でヨシュアをひと睨みしたあと、後ろに立っていた男に身を投げた。


「この方です」

「「「「ええー?!」」」」


涼しい顔をして紅茶を飲んでいるエトワ以外の全員が同時に声を上げる。

そこに立っていたのは、リネア家の従士長であるハイランド家の跡取り息子。いまはライナスの従士をつとめているタルカスだったからだ。


「ええええ?!」


そんな中、一番大きな声を上げたのはタルカスだった。


それはそうだろう。主家の長女が自分の胸に飛び込んできて、お慕い申し上げておりましたなどとのたまったのだ。

確かに年は姉様と同じ17。従者や護衛も兼ねて、一緒に王都の学院にまで通った仲ではある。

もちろんタルカスがアリエラ姉様に憧れているのは周知の事実。とはいえ、身の程をわきまえた彼が、そんな関係になっているはずがなかった。

傍目に見れば、もはや伯爵が嫌での酷い言い訳。単なる身代わりにしか見えなかった。


「これはこれは、私の目がどうかしてしまったのかな。それともその男は、何処かの貴族からの預かり者か何かですかな?」


頬を引きつらせながらヨシュアがアンブローズに尋ねた。


「いえ、正真正銘、当家の従士長の息子です」

「それはつまり、我が伯爵家と従士の小倅を秤にかけて、従士を選ぶと?」


声を震わせながらそういうヨシュアにアリエラが追い打ちをかける。


「秤になどかけていません。最初からタルカスを選んでいるのです」


ヨシュアが卒倒しそうなくらい顔を真っ赤にして言葉を飲み込んだところで、アンブローズがもう一度頭を下げて時間稼ぎに出た。


「いや、これは申し訳ない。いろいろなことが一度に起こりすぎて混乱しておるようです。ここはやはり半刻ほどお時間を頂きたい」

「確かに、突然の訪問でしたからな。それでは半刻ほどお待ちいたしましょう。良い返事を期待しております」


ヨシュアが何かとんでもないことを言い出す前に、無礼を承知で使者の男が割り込み、頭を冷やす時間を確保した。

何しろ隣の領同士だ。もうすぐ麦の刈り入れも始まろうかというこの時期に、下手に内乱にでも発展したら、王家だって黙っていないだろう。


「かたじけない。皆様方はこちらでおくつろぎ下さい。なにか摘むものでも新しく用意させましょう」


アンブローズがそう言って、その場を纏め、リネア一同は、彼の書斎へと移動したのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「いや、もう、肝を冷やしたよ」


書斎の扉を閉じると、開口一番、アンブローズがそう切り出した。


「だって、あの人ったら、なんだか気持ち悪い目で私を見るんですもの」


心底嫌そうな顔でアリエラがはき出すように言う。

エトワが苦笑しながらそれに頷くと、突然真剣な顔をして、タルカスに向き直った。


「それはともかく、タルカス」

「は、はい!」

「あなたは、アリエラと添う気があるの?」

「え、ええ?!」


確かに、添えるものなら、それは願ってもないことだ、とはいえ、ここであると応えたら物理的に首がとんでもおかしくない。

突然話を振られたタルカスは、目を剥いたまま凍り付いた。


「そんな! タルカス、私のことが嫌いなの?」


それを見たアリエラが、思わずタルカスに詰めよった。

当のタルカスは自分の想い人にそう言われた嬉しさと、そんなことは許されないという常識の間で焦りまくったあげくの果てに、自分で何を言っているのかすらわからない始末。


「い、いや、あの、その……決してそういうわけでは。というか、その……」

「き・ら・い・な・の?」

「と、とんでもありません!」

「じゃ、好きなのね」


アリエラがそっと寄り添うと、タルカスは直立不動でゆでだこになったまま硬直した。

娘と男のいちゃいちゃしていると言えなくもないやりとりを、苦い顔で眺めていたアンブローズが、ため息をひとつ付いて、そこに割り込んだ。


「いや、そんな話じゃなくてね」

「そんな話とはなんですか。娘の一大事でしょう?」

「いや、それはそうなのだけれど、今はお待たせしている伯爵様をね……」

「次期伯爵様です」

「いや、そうなんだけれど、そうじゃなくて……」

「まったく、あなたは戦場では鬼神のごとく活躍されるのに、こういう話はあいかわらずからっきしですのね」


エトワは、笑いながらそう言うと、居住まいを正すようにして、ライナスに声をかけた。


「ライナス」

「はい」


物語もかくやと言わんばかりの事の成り行きを、第3者の気安さで暢気に楽しんでいたライナスは、突然真面目な顔で母親に名前を呼ばれて思わず居住まいを正した。


「この件はあなたに任せます。なんとかしなさい」

「はい!?」


突然話を振られたライナスの返事が裏返る。


「母様、いくらなんでもそれは無茶振りが過ぎ――」


しかし、有無を言わせないタイミングで、アリエラがそれに追い打ちを掛けた。


「ライナスに任せたのならもう安心ね。ねぇタルカス」

「はい」

「いや、ちょっと……」


あまりの展開に絶句しているライナスは、他の誰かに助けを求めるように視線を彷徨わせたが、どうやら味方はどこにもいないようだった。

ライナスは昔から奇妙に賢い少年で、特に7歳以降その傾向が強くなり、年が進むにつれて、領地ではいろいろとやらかしていた。

それをごまかすために昼松明のふりをしているのかと思えるほどで、本気になった時は、まるで百戦錬磨の大人のようですらあった。

最初はあれこれと心配していた両親も、10を越える頃からは諦めたかのように、生暖かい目で彼のやることを眺める始末だった。


「狡賢いことをやらせたら、うちの領で右に出るものはいないもんねー。がんばれー」

「ルヴェール姉様、それ褒めてませんから……」


両親はともかく姉達は知的な見た目に反して、みんな脳筋ならぬ、脳魔気質なところがある。

どう聞いても自分で考えるのが面倒くさいから、弟に押しつけたようにしか見えなかったが、すでにライナス包囲網は敷かれた後で、皆が期待に充ち満ちた目で彼を見ていた。


それを見たライナスは、大きくため息をつくと、抵抗をあきらめた。


「……わかりました。それで、ヨシュア様という方はどういう方なんです? 趣味嗜好や噂などでもいいのですが」


アンブローズによると、ヨシュアという男は典型的な上位貴族の跡継ぎだが、単なるバカではなく政務に関する実力もあるらしかった。

現在のデボンヌ領は、領主である父親が半分隠居をしているような状態で、見習いと称しながら、結構な裁量をヨシュアが任せられているそうだった。

反面、武の方面はイマイチで、それがアリエラを嫁に欲しい理由のひとつでもあるようだ。


「姉様はお強いですからね」

「まったくです。最終学年の学院武闘会でも、アリエラ様が先に第3王子にあたらなければ、俺、絶対負けてましたからね」


昨年、アリエラと共に王都のベリタス学院を卒業したタルカスは、最終学年の学院武闘会で準優勝の成績を残している。

優勝は第3王子だが、これは王子が最終学年に在籍している年の慣例で、王子と当たったものは、その剣を王子に捧げて不戦敗とされる。

つまりは凄く実力があっても王子と当たったらそれでおしまい。記録にも残れないという、運がなけりゃ人生を棒に振りかねないハードなトーナメントなのだ。

なら、王子なんか出なきゃ良いだろと思うかもしれないが、そこはそれ、慣例って奴は変えるに変えられない、なかなかやっかいなものなのだ。

もちろんちゃんとした実力者は、運悪く王子にあたったとしても、王子自身がその身を引き立ててくれたりするので、さほど大きな文句は出ない。


もっとも魔法も制限されるそんな大会に、女子の身で参加するアリエラ姉様も姉様だし、それを容認する両親も両親なのだが。


「何言ってるのよ。タルカスの方が強いでしょ? いつも守ってくれてたし」


アリエラは、ちょっと赤くなりながら、タルカスにしなだれかかり、彼の胸を人差し指でうりうりとこねている。


「姉様、告白が受け入れられて嬉しいのはわかりますが、そういうのは後にしてくれませんか?」


いきなりいちゃつき始める姉を、ライナスがジト目で遮った。


それを見たアンブローズがよくやったとばかりの笑顔で、「あとは、そうだな。かなりのギャンブル好きだと聞いたな」と追加した。

どうやらギャンブルは紳士のたしなみだと公言してはばからない人らしく、なかなかの重病人である様子。もっとも、結果の約束を守るという観点からは美点と言えなくもないが。


「大体わかりました。デュボア」

「はっ」


どこにいたのか家令のデュボア=セリオスがすぐに姿を現した。

彼に耳打ちして、とある書類の作成を依頼すると、一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに頭を下げて準備のために出て行った。


「デュボアになにを?」

「ちょっとした契約書の作成をお願いしたのです。あ、契約用の羊皮紙を一枚使うことになりますが――」


契約用の魔法が掛かった羊皮紙は高いのだ。


「ああ、それは構わないが、どんな契約を?」

「うまくいったらお話しします。それで父様ですが」

「なんだい?」

「ここでじっとしていて下さい」

「え?」

「だって父様が出てきたら、僕が矢面に立つわけにはいかないじゃないですか」

「それもそうね。じゃあ、私も邪魔ね。ここでアンブローズと一緒にいちゃいちゃしてるわね」

「え、エトワ?」


ソファーでは、アンブローズの隣ににじり寄ったエトワが、彼の腕に自分の腕を絡めてニコニコしていた。


「あー、はいはい。母様もお好きに。では、姉様方。それにタルカス。行きましょうか」


ライナスは、立ち上がりながらルヴェールに、アリエラが何か言おうとしたら止めて欲しいと、そっと耳打ちしておいた。

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