第38話 持つべきものは


 トレーナーが怪訝そうな顔で尋ねる。

『浮かない顔ですね。どうかしましたか?』

 ベンチプレスのマシンを前にしてぼんやりしていた愛子は、声を掛けられて慌てて顔を上げた。

 水曜日のジムですっかりおなじみになったバーニィが、少し垂れた目を丸くする。

『美人が台無しだ。』

『はは、そうかしらね。・・・うん、ちょっと子供の事で気になってることがあってね。』

 マシンのパネルにのせ、愛子の情報を入力する節くれだった太い指は、いかにも男らしく見えた。

『息子さん、だっけ。何歳くらい?』

 娘もいるけどね、と心の中で呟きながら苦笑する。

 初めて夕食を一緒にした日から、何度か個人的に会った。

 バーニィは紳士的で礼儀正しく、それでいてきさくな男性だ。パブへ出かけたり食事をしたりと一緒に出かけて楽しいと感じた。人の好さがよくわかる受け答えで愛子を安心させてくれる。こういう人ならば一緒に外出しても緊張せずに済むと思うと、誘われて拒絶する気になれないのだ。双子の叔父である侯爵や、ヒカルの父親などに対する気持ちとは全く違う。

 だからつい、ぽろりと言ってしまったのだ。

『年頃の男の子って、何考えているんだかわからないっていうか。・・・はは、当たり前よね。』

 ヒカルは学校から帰るのが遅くなっただけでなく、休日も外出している。

 先週末、早朝からバタバタしていると思ったら愛子の部屋へ唐突に入ってきて、

「ごめんね。僕ちょっと出かけてくるから。ゆっくり休んでね?近いうちに必ず一緒にデートしようね。」

 ベッドサイドで言うではないか。半分寝ている愛子の頬にぶっちゅ~っと思い切りキスをして、後ろ髪を引かれたように何度か振り返ってから出かけて行った。

 何をしているのかどこへ行っているのか、愛子は聞かない。ただ、気を付けてね、と一言添えて送り出すだけだった。

 聞いても答えないのがわかっているからだ。

 長年育ててきたから、ヒカルは一度決めたことは絶対に覆さない子であると知っている。彼が自分から話すと決めない限り、きっと愛子には何も教えてくれないのだろう。無理に聞き出そうと追及しても逆効果なだけだ。

 彼が何かに必死になっていることは察することが出来る。恐らくはミスズも一枚噛んでいるのだろう、ということも愛子にはわかっていた。

 けれども何も聞かず、何も問わず。

 双子が間違ったことなどするはずがないと、ただそう信じるだけだった。

『男なんていくつになってもそんなに変わらないよ。小さい頃から育てているんだろう?小さい子の考えなんか理解できないに決まってる。考えていることがわからないってアイコが思うのなら、それはわからないままでいいんじゃないのかな。』

 あっけらかんと言うバーニィが、愛子を慰めるように笑って見せる。

『・・・ん。そうね。そうかもね。』

 気を取り直したようにそう言って、愛子は軽く伸びをした。それからベンチプレスのマシンに乗る。

『よぉし、やるわよぉ。バーニィ、よろしくね。』

『そうこなくっちゃ。』 

 手首に巻いている端末が、着信を知らせて震えた。




 別邸からほど近いパブに呼び出されたヒカルは、陽気な音楽のかかっている店内に足を踏み入れた。アンティークな外観のパブは、結構な人で賑わっている。その多くは、社会人らしくスーツ姿が目立っていた。学生である彼がそこに交じっていくのは少々抵抗があるが、未成年だから入店してはいけないと言う法律はない。

 カウンターバーの店員に、ペリエを一つ注文する。店内を見回すと奥の方から高らかな笑い声が響いてきた。

 放射状に広がる金茶の髪を震わせてけたたましく笑っているのは、どうやら彼の双子の妹のようだ。数人の男たちに、まるで守られるように囲まれている。彼女の影のように隣で寄り添っているのは当然ながらアイザックだ。その彼も、珍しくにこやかに笑っている。

 ミスズは不思議な娘だった。学校でもああやって多くの男子にいつも囲まれている。そして、いつも明るく笑っている。いくら男子のようにおおざっぱな性格だと言っても、あんな風になるのは稀な事だと思う。そんな彼女が、一部の女子に煙たがられているのも知っている。けれども、大半の生徒は大して気にしていないし、ミスズはああいう奴なのだという認識が浸透していた。

 奥のボックス席で大笑いしていた彼女の方へグラスを片手に近寄ると、ミスズが軽く手を上げて挨拶した。

『ハイ、ヒカル。あ、この人たちはねぇ、アタシの先輩たち。挨拶してくれる?』

 アイザックのような若い男もいれば、中年の男も、初老の男もいた。

『初めまして。ミスズの双子の兄でヒカルです。妹がいつもお世話になっております。』

 低い声で丁寧に言うと、彼らは素早い身ごなしで席を立ち、アイザックとミスズのみを残してその場を去って行った。

 恐らくはベテランのSP達なのだろう、口の端でわずかに笑っていたのが視界の隅で見える。

 ライオンのハーレムと言うには、雄雌逆だろうと突っ込んでいた。ライオンはサバンナで雌のハーレムの中に君臨するが、ミスズは女子だ。けれども、彼女らしいと言えば彼女らしい。

「先輩たちが協力してくれた。なんにも聞かずにね。・・・有り難いね、持つべきものは。」

 ビールのグラスやガラスのコップの並んだテーブルに、小さなファイルが乗せられた。

「僕も、・・・少しわかったことがある。情報を整理しようか。」

 背中に背負っていたバックパックをおろして、ヒカルが椅子に腰を下ろす。 

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