第37話 探りを入れてから

 

 学食は今日も賑わっている。

 カフェの予約メニューにかぶりついているミスズは、傍らのアイザックに紅茶を注いでもらいながら手を上げた。

「ヒカル、こっち!」

「ミスズ」

 クラスが違うし取っている授業も違うので、ここでくらいしか顔を合わせる機会のない双子である。

 双子の妹の向かい側に腰を下ろしたヒカルは、手にしていた大きな鞄をテーブルの上に置いた。

 鞄の中からファイルを取り出し、書類が挟まれたそれを開いたヒカルがそれをミスズの方へ向けた。

「何、コレ?」

「モニーク先生の個人情報。職員室からとってきた。」

 双子の兄は、しれっと聞かれたことに答えた。

 ミスズの口からバンズの欠片が落ちる。 

「・・・盗ってきた?」

「取ってきたの。堂々と持ち出したんだけど、誰にも咎められなかったよ?」

 この学校のセキュリティはどうなっているんだ、と口に出さずに思ったミスズとアイザックだったが、言及しないでおく。

「全然知らなかったし、知られてもいないと思うんだけど、モニーク先生って既婚者だったんだ。離婚してるけど。」

 ファイルの書類には先生の履歴が載っている。そこに確かに既婚者だと書かれていた。

 アイザックとミスズが顔を見合わせる。

「・・・先生の身元とか経歴、もっと詳しく調べられないかな?」

 ヒカルがそう言って顔を上げると、ミスズは口の中のものをごくんと飲み込む。

「国民保険番号は?」

「ん、これじゃないかな。」

 書面の中央にある数字の羅列を指差した。ランダムに並んだ数字に見えるそれは、戸籍のないこの国で国勢調査をする際の貴重なデータとなる。

『これを頼りにどこまで調べられるかわかんないけど、後は足で稼ぐかな。それでイケると思う?アイク』

 相棒にもわかるように英語に言い換えて尋ねると、アイザックは小さく頷く。

『出身校はリーズの専門校。ロンドンに出てきてから教職を取ってすぐ、ウチの学校に赴任してるみたいに書かれてる。でも、それで行くと何年前くらいに結婚して離婚したのかとかわかんないよね。』

『じゃあ、卒業後の足取りから探ってみよう。僕は明日リーズまで行ってみるよ。』

『アタシとアイクはロンドンに来てからの様子を調べてみるわ。住居はわかってるものね。』

 ヒカルは広げていたファイルを閉じて、鞄にしまった。

「ねぇ、ヒカル。ママは大丈夫なの?このところずっと帰宅が遅いんでしょ。一人にしておいて平気?」

「ん・・・僕も心配なんだけど、子供が大人の心配なんかするなって言われれば僕もそれ以上言えないし。」

「そりゃ、まあママはアタシらよりもはるかに年長で人生の先輩なんだからそう言うでしょうけど。」

「ミスズこそこんなことになってるって、アーサー様に洩らしたりしてないよね?」

「叔父さんにこんなことが言えるくらいなら、一発で相手を黙らせてくれるわよ。その方がどんなに楽か。」

「・・・だよね。ねぇ、盗聴器やカメラの方では何かわかったことある?」

「あんなの、ちょっと凝った電気屋行けば簡単に買えるわ。誰でもね。シリアルナンバーからじゃいつ頃販売したかってことくらいしかわかんないし。」

「そっか。指紋だって取れなかったもんね。」

「そこまでマヌケじゃないでしょうよ。」

 鞄を手にしたヒカルは立ち上がった。

「じゃ、また何かわかったら連絡してミスズ。」

 ミルクティーを口に運んでいる双子の妹は、兄を見上げてもう一度尋ねた。

「そのファイル、返しに行くの?いつ頃取ってきたのよ?」

「夜中の1時。だから誰も咎めなかった。」

 ちらっと舌を出して見せるヒカルはそのままカフェを出て行く。

「・・・じゃあ、盗んできたのと同じじゃないのよ。」

 ぽつりと言って兄の後姿を眺めた。

 妹としては、危なっかしい真似をするヒカルの事が少しばかり心配だ。

 日頃冷静で穏やかな彼が珍しく焦燥を見せている。それが妙に新鮮だが、それだけ彼は必死なのだろう。隣りに座ったアイザックが、ミスズの食い散らかしたバーガーの片づけを黙ってやっている。よく気の付く相棒の動きを見ていて、一つ忘れていたことを思い出した。

「ヤバ・・・。アリシアの事をヒカルに聞くの忘れちゃった。」



 小さな手を大きく振る姿は中々可憐だ。それには軽く手を上げて応じた。

 赤い屋根のカフェで待っていたアリシアとコーヒーを飲んだ後、また再び校内へ戻る。モニーク先生と会うためだ。

 美術準備室で待っている先生は、逢引に慣れてしまって倦んだような表情のヒカルを手招きする。

『まぁた今日も女生徒と会ってたわね。私の言う事を聞いてくれないのに、ずるいわ。もう、本当にどっかにばらしちゃおうかしら。』

『どっかってどこです?』

『どこでもいいわよ。新聞社でも、報道カメラマンでも国営放送でも、ネットでも、侯爵家にスキャンダルがあればそれでいいんだもの。』

 くふん、と鼻を鳴らして愉快そうに笑う。

 赤い口紅を塗った唇は艶を放って挑発的だが、復縁を迫る割に彼女は自分からヒカルに触れてこない。

 女のプライドとしてヒカルの方から迫ってくるよう仕向けているのか、あるいは他に何か思惑があるのか、その辺りもよくわからないままだ。

 彼女が腰を下ろした作業台に、ヒカルも間を空けて座った。

『・・・先生、結婚はなさらないんですか。』

 紫の瞳を丸くして、びっくりしたような表情を作った彼女は、巻き毛を軽く掻き上げる。

『何を言い出すのかと思ったら。結婚なんか興味ないわよ。こうして可愛い坊やたちと遊べなくなっちゃうじゃない?』

 ヒカルは、黒い瞳を彼女の方へ真っ直ぐ向ける。

『一度は、なさったのに、興味がないと?』

 モニーク先生から気怠そうな雰囲気が消える。教科書を読んでいてもなんとなく緩いような印象が一変した。片方の眉を上げ、それをピクリと動かす。

『私が既婚だと?』

『そうでしょう?今は独身でいらっしゃるけど、過去には既婚歴がありますよね?』

『何かの勘違いよ。』

 その声は今までは違い過ぎるほどに硬い。

『そうでしょうか?』

 モニーク先生の表情の変化を少しも見逃すまいと、ヒカルは彼女を凝視した。

『余計な事を勘繰らない方がいいわ。その方が、お互いのためだと思わない?貴方の秘密を握っているのは私の方なのよ?』

 そう言われればヒカルはそれ以上の追及も出来ないし、確認するわけにも行かないのだ。

『・・・それは、そうですが。』

 彼女の細い指が、作業台の引き出しからペインティングナイフを取り出した。

 勿論ナイフとは言っても、切ることが目的とした道具ではない。だから、彼女がそれをヒカルの頬にそっとあてたとしても、皮膚が裂けるわけではなかった。

『期限を設けましょう?一か月以内に貴方が返事を寄越さなかったら、私は貴方の事も、侯爵家の事も、貴方の養母の事も売り飛ばすわよ。そうね、クリスマスまでってのはどうかしら?・・・ふふ、わたしも貴方が憎いわけじゃないのよ。貴方が好きだからこんなことを言ってるってこと。忘れないで。』

 頬にあたった冷たい金属の感触が、すっと離れる。

 先生の反応から彼女が既婚であることは間違いないと確信できた。それは収穫だったが、その分余計な条件が持ち出されてしまった。

 一か月以内に彼女の経歴を探りだして、ヒカルを脅迫する理由をつきとめられるだろうか。


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