第12話 酔っぱらいと息子


 部屋に戻ると、いやそうに眉を歪めた息子が仁王立ちして待っていた。

「・・・酒臭い」

 はい、どうもすみません、いくら水割りだけでも3杯も飲めばさすがに匂いますよね。

「ごめんなさい。美味しかったから、つい過ごしちゃって・・・。」

 素直に謝罪する。

 悪いことをしたら、とにかく謝る。下手な言い訳はその後だ。この十年、そう子供たちに教えて来たので自分も率先してする。

 頭を下げてから見上げると、室内がふっと暗くなった。前方にたっている息子がスイッチを切り替えたらしい。

 彼の向こうにベランダが見えて、洗練されたデザインのインテリアに、間接照明がロマンチックだ。

 自分はたった今そんな雰囲気を抜け出してきたはずなのに、またも迷い込んでしまったのだろうか。

 侯爵様の傍に居て、自分は不似合いだと感じた。母親の顔に戻って、ヒカルの元に帰ってきたはずなのに。

「叔父さんが・・・いたんでしょ。どうせ、待ち構えてたんだ、アイコの事を。」

「そりゃ、まあいたけど。別に待ち構えてたわけじゃ」

「アイコもそれがわかってて飲みに行ったんだ?叔父さんに会いに?浮気者で女好きで奥さん持ちの男のいるところに」

 非難がましく言われて苦笑する。

 ヒカルの言う事はいちいちもっともなのだが、その言い方はまるで母親が新しく男を作ったからって、それに嫉妬しているかのようだ。そんな事実はどこにもないのに。

 息子は血を分けた叔父に対して随分な言い方をする。女性にはだらしないけれど、アーサー様はそんなに悪い人ではないし、いつだってヒカルとミスズの事を思ってくれている。

 彼には子供がいないから、甥と姪である双子のことが殊更に可愛いのだろうと思うけれど。

 愛子は息子の言いがかりのような言葉は否定したかった。

「約束を違えたのは悪かったわ。それは私が悪いのであって侯爵様の非じゃないの。叔父さんのことをそんな風に言わないで。」

 はっきりと強めに言い切る。

 するとヒカルは悔しそうに顔を歪めた後、何も言わずにうつむいた。

 そうそう、まだまだ親を非難しようなんて十年早い。何もわからないぼっちゃんのくせにと思っているわけではないが、そうして素直に黙ってしまう所は可愛い。

 愛子は軽く息をついてバッグを貴重品用のロッカーへしまう。いつまでも一つの事で揉めたくはない。気持ちを切り替えたかった。

「さあ、もうそろそろ寝ましょう?お風呂先に使っていいわよ。私は少し酔いをさましてから入るから。」

 着替えをしようとクローゼットへ閉まった荷物を開いた。これだけのホテルだ、さぞやアメニティも充実している事だろう。

「わかった。じゃあ、僕が先に使う。ちゃんとお水を飲んで冷ましておいてよ、アイコ」

「わかってるわよ。」

 ヒカルがそのままバスルームに入って行ったのを見送ると、私は大きなベッドに座って、そのまま仰向けに横になった。

 親子だから、同じ部屋で良かろうと予約されていたのでダブルベッドなのには少し焦ったが、別の部屋を予約しなかったのだから当然だ。

 寝ている最中に蹴られたりベッドから落とされたりしなければいいけど、と心配になる。幼い頃は彼の寝相の悪さに随分寝不足にさせられたことを思い出した。

 一緒に寝ていたミスズが夜泣きする理由の大半は、彼の寝相のせいだったからだ。

 そんな二人も、今では別の部屋で寝起きするようになった。そう思うと、幼い頃の事が酷く懐かしい。

 それほど酔っているわけではないが、昼間の疲れも手伝ったのか、眠くなる。ほんの少しだけなら、と思い目を閉じた。

 だから、再び目を覚ました時に、誰かが自分の上にいるなんて思いもよらず、夢の続きなのかと思った。


 柔らかくこめかみから耳元までをゆっくりとなぞる手の感触。なんだろう、くすぐったい。またミスズが寂しがって母親のベッドに入り込んだのだろうか。

 それから、何か温かく濡れたものが首筋を這っていくのを感じた。耳元に熱い吐息が吹きかけられて、長い間忘れていた何かが、ふっと自分の中で目を覚ます。

 身体の上から布が消えて行き、代わりに温かい肌が重なった。

 解放感と、何かに包まれた安心感が同時に訪れる。

 胸を揉みしだかれた気がして、それがとても心地よくて、自然に息が上がっていた。肌の上に、小さな痛みと濡れた感触がやってくる。

「・・・あ、はぁ・・・んん」

 何も考えず洩れた自分の声に驚いて目が覚める。

 ぱちっと目覚めた愛子を間近で凝視しているのは、濡れたままの髪で上気した肌のヒカルだった。

 しかも、彼は何も着ていない。視覚に入る部分は全て素肌だ。ボディソープの匂いがする。

「あ・・・?」

「目が覚めた?」

「ヒカル?あ、お風呂入ったの?ごめん、私寝ちゃってた?」

「うん、無防備にもベッドで仰向けに寝てた。さあ、どうぞお召し上がりくださいってくらいに僕を誘ってた。」

「はあ?何言ってんの?」

 酔っぱらっ寝てしまっただけだろう。

「だから、誘いに乗らせてもらったよ。」

 背後からの淡い灯りに照らされて、彼の黒い瞳は僅かに青く輝き、酷く妖しかった。

 息子のそんな瞳を、表情を見たのは初めてだ。

 だから動揺の余りに怯んでしまったのは仕方がないと思うのだ。





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