第6話 なんのプレイ?


 逆らう事さえ、忘れている。対処の仕方がわからない。

 こういう時は、どうすればいいんだっけ。異性にキスされた時には、どう対応するのが一番正しいのか。

 望まない相手だったら平手打ちがもっとも効果的だった気がする。ぐっと相手の身体を押しやって離れる、というのもあったな。嫌ではない相手だったら、手を伸ばして相手の首に絡ませて、もっと気持ち良くしてって求めるのが・・・。

 自分でも不思議なほど冷静にそんなことを考えていた。だって、唇に誰かが触れること自体が、何年振りかというご無沙汰だ。

 息子なのだから、嫌なわけはない。頬になら何度か今までにもしている。

 しかし、モラル的に考えれば、これ以上なくマズイ事態だ。見ようによっては、母と息子の近親相姦になってしまうだろう。その上、年齢差もあるわけだし。

 平手打ちは可哀想だから、押しのけるしかない、と思うけれど。

 何故か、押しのけて離れようと言う気持ちにはなれなくて。

 熱い舌が歯列を割って口内へ侵入してきても、それに驚きこそすれ、嫌悪感はなかった。

「ふ・・・」

 鼻から抜けるような情けない声が洩れてしまう。

 キスそのものがひどく久しぶりなのに、少しも嫌悪感も抵抗も無いのは、やはり息子だからだろうか。産んだことは無くても母性のなせるわざなのか、子供には大抵なにをされても許してしまう。だから平気なのだろうか。

 それにしても、ヒカルは随分と巧みだ。優しく舌を絡みつかせて吸われると恍惚として来てしまう。初心者がいきなりこんなキスは出来ない。やっぱり彼は結構遊んでいるのだろう。

 どうしよう、気持ちいい。この子、めちゃくちゃ上手な気がする。それとも自分が余りに久しぶりだからそう感じてしまうのだろうか。

 息子の父親もきっと上手だったんだろうな、などと妄想していた。もっとも彼は一度も愛子の口にキスしてくれたことはなかったから、あくまで妄想に過ぎない。

 ヒカルが口を放してくれると、だらしなく舌がでてしまった。まるで、もっとしてくれとねだるあさましい女みたいに。そう思って慌てて口を閉じる。

「アイコ・・・」

 ヒカルが嬉しそうに養母の名前を呟いて、優しくその頬を撫でる。

「可愛い。・・・っと怒らないで。貴方が僕よりずっと目上なのはちゃんとわかってるよ。それでも僕には貴方は可愛い人なんだ。ずっとずっと好きだったんだから。」

 息子のような若い男に、いや、息子に可愛いとか言われて絶句してしまう。

「貴方の言いたいことは大体わかるよ。年が離れてるとか、義理であっても親子だとか、そういう事でしょう?でも、僕にとってはそんな事全然問題じゃないんだ。だって、何歳離れてたって結婚しちゃいけないなんて法律はないし、親子であることがまずいなら養子縁組を解消すればいいだけの事。」

 いやいやいや。それっていうほど簡単なことじゃないんだから。

 それにどうにも信じられない。今のキスは、本当に現実にあった事なのだろうか?実は夢オチで、目覚めるとやっぱり私は大量の洗濯物の前で眠りこけていただけとか。

 だって、10年も親子として暮らしてきたのだ。血の繋がりは無いと言っても、幼い頃は着替えも入浴も一緒にしてきた。お互い異性として意識するのならば、知ってはいけないようなことまで知り尽くしてしまっている間柄ではないか。

 穴の空いた靴下を履いていたとか。パンツのゴムが緩んだ状態で穿いて仕事に出かけてしまっていた、とか。トイレで生理用品を見られてしまったとか。パックしている面白顔を見られたとか。お腹を壊した時には、お尻に座薬を入れて上げたとか。もう数え切れないくらいたくさんあるのだ。

「僕にとっての問題は、僕の恋敵が、もうこの世にはいない父であることなんだ。」

 まるで睨み付けるように愛子の顔を凝視する。

「ちょっと、ちょっと待ってヒカル。多分、なんか誤解してるんだよ。わかんないけど、とにかく、誤解、もしくは勘違いだわ。だって、貴方は自分の育ての母親に恋愛感情があるってことになっちゃうのよ?それも、一回り以上も年上のおばさん相手なのよ?」

 現状が有り得ない話なのだと言い訳するこちらを見て、睨んでいた目元がほころんだ。黒い眼が細くなって口角が上がると、色合いは違ってもあの人に笑い方がとても似ている。

 やっぱり父子なのだとつくづくと思うのだ。

 彼に似てくる息子の成長は、誰にも言えないけれど、ささやかな癒しだ。

 いつも愛想が良くて、笑顔の絶えない人だった。 

 二度と見ることのできない笑顔が、目の前にあるのだから、自分は幸せなのだと。ずっとそう思って、ヒカルが成長するのが楽しみでならなかったのだ。

「悪いけど・・・僕は貴方を母親だと思った事なんか一度も無い。ママって呼んだのはその方が都合がいいからだ。その方がより傍に居られたからだよ。だってママって呼ばなかったら、一緒にお風呂に入ってくれたりしなかったよね、きっと。あんな役得僕が逃すはずないでしょう。」

 頭の上に大きなタライが落ちた来たようなショックがあった。

 可愛い可愛い天使のようだったヒカルが、『役得』とか。

「お尻に薬入れてもらう、とかね。羞恥プレイみたいで恥ずかしかったけど、赤の他人だったら看護師でもない限りしてもらえないし。貴方のあられもないところとか、色々知ることが出来たのは、養子縁組してもらえたらからだよ。どんな下着をつけてるのか、とか。お手伝いと称してたたんであげたりしてたしょう?」

 自分が、今まで息子に抱いていた何かが音を立てて崩れた。

 今『羞恥プレイ』とか口にしたのはどこのどいつだ。

 ちょっと大人っぽくて理知的でクールな息子は、どこへ行ってしまったのだろう。

 母親思いで優しいあのヒカルは、一体どこへ消えたのだ。


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