第51話 Amazon primeでも観れるオススメ海外ドラマ

 今回はNetflixだけでなくAmazon prime でも観れるオススメドラマ。


 NetflixもそうだけどAmazon primeも利用してる人が多いみたいなんで。


「Bigbang theory」ビッグバンセオリー。


 アメリカでは10年以上続いた超人気コメディ。言わずと知れた、という言葉もって有り余るアメリカの国民的なドラマ。


 ちなみに邦題は「ギークなボクらの恋愛法則」。ダサい。




 IQは高いけど色々と難のあるオタク男子、シェルドンとルームメイトのレナードの物語。二人とも理論物理学者で頭は良いんだけど、筋金入りのオタク。そんな二人のアパートにブロンドのリア充女子ペニーが引っ越してくるところから物語は始まる。


 軽快なトークとウィットに飛んだジョークや皮肉が見どころのひとつ。とにかく会話が面白い。物理学ジョークもふんだん出てくるがメインはオタク的なアメリカンジョーク。世界変われどオタクは変わらず、と言ったところ。



 このドラマは2007年に放送開始している。当時は日本でもまだオタク文化の根付きは今ほど見られなかった時代。その頃のアメリカなんてオタクは馬鹿にしてなんぼイジメてなんぼみたいな時代だからある意味では彼らを笑い者にしてるドラマでもある。


 でもアメリカ的な小ざっぱりしたトーンで描かれているから笑い者にはしてるけど、敬う部分はちゃんと敬っている。リア充にはリア充の良さとダメさ。オタクにはオタクの良さとダメさをリアルかつ見事に描ききっている。


 オタク男子はダサくて根暗で幼稚だけど、仕事に対して真面目だし、経済力もあるしなにより異性に対して紳士。リア充女子は可愛くて明るくて前向きだけど、色んな意味でだらしないし、常識がない。


 今考えてみるとちょっと古臭い固定概念だけど、シーズンを重ねていくと時代とともに変化する彼らも見れて面白い。ビッグバンセオリーの面白さはまさにその柔軟性にあると思う。


 中でも印象的だったのはアメリカでちょうどマーベルコミックの映画人気が上昇し始めた頃。


 ふとした時、部屋の中で女子たちがコミックのキャラクターについて語る。


「ソーってセクシーでかわいい」とかなんとか。それを受けたオタクくんたちは「女子がコミックを!?あり得ない!」と驚愕。


 日本と違って少女漫画的なものが比較的少ないアメリカンコミック。今では女の子読者を獲得するために女の子の主人公が増えたけど、それでも大多数はまだまだ男向けだ。アメリカの女の子はコミックよりもほかに夢中になるものが多いのだろうか。


 そんなアメリカで女子がコミックの話をしてる。時代の変化を感じるワンシーンだった。


 さて、利口ぶった話はこの辺にしといて。ここからはキャラクターの魅力を紹介。




 シェルドン・クーパー


 主人公の一人。作中で最もIQが高く、最も厄介なオタク。病的に神経質で猜疑心が強い。無礼で自尊心が高い。ここまで書くと、シェルドンがまるで最悪な人間に思えるが、実際最悪な人間だ。友達にはなりたくない。


 例を出すとシェルドンとルームメイトになる時は彼作の「ルームメイト協定」なるものにサインを迫られ、違反した場合はネチネチとした極上の嫌味を一生言われ続ける。


 また彼には譲れない自分のお気に入りが複数あって、周りに何人人がいようが自分を最優先させる。食事や座る場所。ゲームや映画など。全てはシェルドンの意のままに動かないと延々と嫌味を言われる。主に精神攻撃が得意。


 悪いところは書いて余るが良いところはあまりない。ただ可愛いところはあって、例えば具合の悪い時は眠れるまで「やわらか子猫ちゃん」を歌ってもらわないと寝れない。とか。大のおばあちゃん子で成人した今でも「ばあば」と呼んで心から慕っていたり。機関車が大好きで機関車のことになる夢中になって全てを放り出してしまうとか。


 本作は彼の成長記録でもあるのでシーズン1から観ているとシーズン10の彼のちょっとした言動や行動になぜか涙が出てしまう。もはや親としての目線に近い。だが、それがいい。


 シェルドンなくしては本作は成立しない。主人公の一人、と書いたが事実上、シェルドンがど真ん中の主人公だろう。


 


 レナード・ホフスタッター


 母親は精神科医。父親は民俗学者。兄弟も弁護士だったりとエリート一族の生まれ。本人も優秀な理論物理学者だが一家の中では劣等生らしくコンプレックスを多く抱えている。


 眼鏡で身長が低い中肉中背のよれたシャツでいかにも冴えないと言ったルックス。しかし恋愛に対しては貪欲で隠れリア充な部分ももっている。


 シェルドンに対して半ば諦めの境地で付き合っている友人。彼自身はコミュ力も高い方なのでオタク仲間ながら友人も多い。


 本作はシェルドンの成長記録でもあるがレナードとペニーの恋愛物語でもあるので、二人がくっついたり離れたりでヤキモキする展開がしばらくつづく。


 恋人同士として関係を進展させていくレナードとペニー。その中で男として、また女性として成長していく二人。それを見守りながら、自分も見守られている子供的ポジションのシェルドン。この三人の関係性が見事で、最高に愛おしい。


 シーズン終盤でいつも無茶苦茶なことを言って困らせてばかりいるシェルドンがレナードとペニーに「いつもはこんなこと言わないけどキミはボクにとって大切な人だ」と心からそれぞれに感謝を述べるシーンは涙が止まらなかった。それは友達へあてたものではなく、愛する家族へ向けたものであると感じた。親の結婚式で感謝を言う子供みたいで可愛かった。


 シェルドンなくしてレナードというキャラクターは存在しえないが、レナードなくしてのシェルドンもまた存在し難い。




 ペニー


 イケイケな金髪リア充お姉ちゃん。だった。最初は。特に物事を考えもせず漠然と快楽主義に生きていた彼女がまったく違う世界に生きるレナードたちと出会って、彼らを変え、また彼女自身も変わっていく。


 良い意味でも悪い意味でも普通のリア充な女の子。視聴者目線というか視聴者の代弁者的なポジション。視聴者がオタクくんたちを一歩理解ごとにペニーもまた一歩彼らを理解する。


 ペニーが素晴らしいのは変えるべきだと判断したところはちゃんと変えていくし、変えなくてもいいところは一貫して変えないところ。ふらふらしてるように見えて芯がしっかりしている。シェルドンやレナードに対し、拒絶するとこはちゃんとして、しかし受け入れてあげるところはちゃんと受け入れる。時には混ざって楽しんだりもする。ある意味ペニーが一番あり得ない存在だ。こんな人間がいるとは思えない。


 最初はとても少女的で可愛いけど歳の割に落ち着きがないペニーだが、様々な経験を経ていくうちに成長し、色々な側面を見せるようになる。よき恋人でもありよき友人でもあり、そしてよき母親でもある。まあこの母親という側面は主にシェルドンに対しての場合なのだが。シェルドンに対してのペニーは完全に母親である。一番それを感じるのはシェルドンが人として成長を見せた時に「あらぁそんなこと言えるようになったのねえ」という顔をするところだ。男性に対してでも友達に対してでもない。愛おしさのこもった母性に溢れた顔をする。完全に母親の顔である。


 気がつくと自分もシェルドンに対してそんな顔をしているので、やはりペニーという存在は視聴者が自分を重ね易いように演出されているのかもしれない。そう考えると、今までまったく気が付かずまんまと術中にハマってしまっている。恐ろしいドラマだ。


 


 人物紹介でこんなに長くなってしまった。これでもだいぶ割愛している。それだけこの作品のキャラクターが奥深いということだ。何しろ十年以上つづく作品なわけだから、そりゃあ奥深い。


 まだまだ大事なキャラクターが4人ほどいるが全部紹介してると大変なので続きは次回に持ち越す。


 ビッグバンセオリー、気になった方は是非観てほしい。


 続

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