4.騒々しい出会い

 それから2、3日レッカの城で休ませてもらったあと、食料を船に積んで俺は再び海に出た。

 2か月は戻らないつもりだ。この間で、絶対に廻龍かいりゅうを見つけ出す。

 廻龍は島の傍には寄りつかないらしい。だから島が見えないぐらい、沖に出ないとな。

 船を漕ぎながら、俺はさきほどのエンカとのやりとりを思い返した。


   * * *


「ソータ、レジェルと何かあった?」

「は?」


 海に出る前……エンカが船の整備を手伝ってくれているときだった。

 エンカは不思議そうに俺を見た。


「レジェルがさあ、ソータとミズナさんていったいどういう感じだったのかって聞くからさあ」

「……お前、何て答えたんだよ」

「周りから見たら、ソータがミズナさんを大事にしてるってのは凄くよくわかったけど、大好き過ぎて完全に距離感を間違えてたって答えた」

「おまっ……なんつーことを……」

「だってその頃、セッカさんも言ってたよ。大切ならずっと傍に居ればいいのにって」

「……」


 まあ、そうだな。俺はそのことについて何万回、自分を責めたかわからないな……。


「でさ。レジェルはすごく笑ってて……なるほど、って独りで納得してた」

「……で?」

「いや、それだけ」


   * * *


 結局レジェル、どうするつもりなんだろう。

 何も変わらないなら、俺が恥をかいた分だけ損した気になるんだが。勝手な意見だけどな。


 そんなことを考えていると、遠くに――水平線近くに不思議な影が見えた。

 なんか、まっすぐな棒みたいな……。


「――角!?」


 確か、廻龍には頭のところに一本の太い角があった気がする。まさか……それが水面から出てる?


「おーい!」


 ここからじゃ遠すぎる。しまった、もう少し早く海に出るんだった!


 俺は陸地の方を見た。まだ、ジャスラが見える。廻龍がこんなところまで来てくれるはずがない。

 全力で船を漕いだけど……ジャスラの大地が見えなくなった頃には、角らしきものは見えなくなっていた。


「……くそっ……」


 もう通り過ぎたんだろうか。いや……一年かけてゆっくりとパラリュスを廻るなら、そう遠くには行っていないかもしれない。

 俺は目を閉じて、胸の中の勾玉に意識を集中した。

 ヒコヤの気配を感じて……現れてくれないだろうか。


 すると……脳裏に、遠くの海を廻龍が泳ぐ姿が思い浮かんだ。

 俺――ヒコヤが、何か笛みたいな物を吹いている。

 遠くを泳いでいた廻龍が、こっちに向かってくるのが見えた。


「……!」


 俺はハッとして目を開けた。

 笛……笛が必要なのか。でも、笛なんてどこにあるんだ? ネイアは何も言ってなかった気が……。


「ニュウ」

「……うお!」


 顔を上げると、目の前に恐竜のような顔のどアップがあった。思わず尻餅をつく。


「……」

「……」


 俺達はしばらく見つめ合っていた。

 深い藍色で、かなり大きい。顔だけでも……幅が一メートルぐらいはある。

 間違いない。廻龍だ。

 だけど……それでも、記憶の中の廻龍よりかなり小ぶりな気がするが……。角も少し短いし……。


「……あっ!」


 考えてる場合じゃねぇ!

 俺は咄嗟に、チビ廻龍の顔を掴んだ。


「ニュウ!」

「おい、俺がわかるか? ウルスラに連れてって欲しいんだ!」

「ニュウ、ニュウゥー!」


 チビ廻龍が暴れて顔を横に振る。ここで逃げられたらすべてが水の泡だ!


「ちょ、話を……うおっ!」


 チビ廻龍は俺の手を振り払うと、海の中に逃げようとした。

 俺は思わず、チビ廻龍の角を掴んだ。


「ニュウゥー!」

「だっ、待っ……ゴボゴボ……」


 あっという間に海の中に引きずり込まれる。チビ廻龍がニューニュー鳴きながらもの凄い速さで海の中を泳ぐ。

 このままじゃ、溺れ……。


「ん?」


 俺は辺りを見回した。何かに包まれている感じがする。

 かなりのスピードで泳いでるはずなのに、纏わりついている水が緩やかだ。

 そして……なぜか、普通に息もできる。


「ニュ、ニュウ!」


 チビ廻龍は、かなり慌てているようだった。俺がずっと角を掴んでいるからだろうか。

 しかし、心は通うハズってネイアは言ってたのに、全然通じないぞ。どうしたらいいのか……。


「ニュウ……ニュウ……」


 チビ廻龍が息を切らしたような鳴き声を出して、ピタリと止まった。

 見ると……俺の正面に、チビ廻龍の五倍ぐらいある廻龍がドーンと立ちはだかっていた。

 黒い巨体を静かに横たえ、頭部に生えた角は太く、真っすぐに上に伸びている。


「――モーゼ?」


 思わず口をついて出た。さっき脳裏に浮かんだ映像で視た廻龍は……こいつのような気がする。

 ヒコヤが笛を吹いて、確かそう呼んでいた。


“――懐かしい……名だ……”

「うおっ! 喋れるのか!」


 急に声が響いてきて、思わず叫んだ。


“ヒコヤの魂を受け継ぐ者よ。……お前にしか聞こえぬ”

「は……」

“とりあえず……わたしの孫を離してもらえるか。角を掴まれて驚いている”

「あ、悪い」


 俺はチビ廻龍の角から手を離した。チビ廻龍はピュッと逃げて行って、モーゼの横にピタリと寄り添った。


「孫……そっか。だから、まだ小さいんだな。廻龍っててっきり一頭だと思ってたから……。ごめんな、手荒なことして」

「ニュウゥゥ……」


 チビ廻龍がちょっと唸った。モーゼの陰から俺の様子を伺っている。


「じゃあ、両親とかもいるのか? 家族で暮らすのか?」

“我らは自らの分身を生みだすだけだ。伴侶などおらん。これはわたしの分身の、さらに分身だ”

「そうなんだ……」


 つまり、今は三頭でパラリュスの海を廻っているってことなんだな。


“――ところで何の用だ。ヒコヤが死に……わたしが魂を見送ってから、我らを思い出す人間は誰もおらんというのに”

「あ……」


 のんびり世間話をしている場合じゃないよな。

 俺はちょっと背筋を伸ばすと、深くお辞儀をした。


「十代目ヒコヤイノミコト、ソータです。今はジャスラで暮らしているのですが、俺はどうしてもウルスラに行かなければならない。そしていつかは、テスラにも」

“……”

「遠く離れた二つの国に連れて行ってくれるのは廻龍しかいないと……百二代目ヤハトラの巫女ネイアに聞いて、探していました」

“……わたしには無理だ”

「えっ……」

“三千年以上生きてきて……もうパラリュスの海を渡り行く力は残っておらぬ。ここから静かに眺めるだけ……”

「……そう、か……」

“今パラリュスを廻る使命を果たしているのは……わたしの子。だから……”


 モーゼがヒレでチビ廻龍をひょっと俺の前に押し出した。


“ソータの希望に応えられるのはこれ、だけだ”

「ニュッ、ニュッ!?」


 チビ廻龍が慌てたようにパタパタしている。


「あの……何かすごく嫌がっているように見えるけど……言葉も通じないし……」

“まだ子供ゆえ、仕方がない。これからゆっくりと意思の疎通を図ることだ”

「うーん……」

“――これを授けよう”


 モーゼが急に大きく口を開けた。辺りの水が急激に渦を巻いて……吸い込まれていく。

 チビ廻龍が、驚いてくるくる回っていた。

 やがて今度は逆に水が吐き出された。そして……モーゼの喉の奥から、何かがヒュルヒュルと飛んできた。咄嗟に右手で受け取める。

 見ると……茶色い横笛だった。


“ヒコヤの形見だ。……海に還ったときに……これだけは、わたしが預かっておいた”

「……ありがとう」

“早く――この子に名づけることだ。そうすれば、想いは通じるようになるだろう。しかしお前の言うことをきくかどうかはわからんがな”

「わかった」


 俺は横笛をじっと眺めると胸にあてた。

 ヒコヤの想い……勾玉の記憶を、引き出す。


『――ヒコヤイノミコトの名において命じる』

「ニュ……」


 チビ廻龍が急に動きを止めた。


『海を往く廻龍――我と共に。その名は……ヴォダ』

「……ニュウ……」


 チビ廻龍――ヴォダは少し鳴くと、俺の傍に来ようとして……「やっぱ無理」というように俺の周りをぐるぐる回り出した。


「さっきはごめんな。もう無理矢理、捕まえたりしないからさ」

「ニュウ……」

「ミズナを助けるために――どうしてもお前の協力が必要なんだよ」

「……ニュウ? ……ニュウゥゥ……」


 回るのはやめたが、まだ近付こうとはしない。

 こりゃ……時間がかかりそうだな。


“……ふぉっふぉっふぉっ……”


 急にモーゼが笑いだした。

 廻龍が笑うとは思わず、俺はかなり驚いた。


“――すべては、一人に決めた伴侶のため……か。確かにお前は、ヒコヤの魂を強く受け継ぐ者のようだな”

「……え……それって……」

“さあ……もう行くがよい。わたしはしばし……眠るとしよう”


 モーゼはそう言うと大きく口を開いて欠伸をした。その勢いで俺は激しく飛ばされた。どんどん水面の方に押し出される。


 下を見ると……渦巻く海流の奥底に、モーゼがその巨体を静かに横たえていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る