3.情けない過去

「ふわあー……っと……」


 俺は船の上で大きな欠伸をした。

 周りを見渡すと……すべて海。海、海、海。ずーっと海。

 とても静かで……生き物なんて、全然見かけない。


「そろそろ食べ物が尽きるな……また、ハールに戻らないと」


 独り言を呟き……ごろんと横になる。

 ジャスラ全土の涙の雫を集める旅を終えて、1か月ほど休憩した。その間に、セッカやホムラ、ラティブのモンスのところに挨拶に行った。

 今度は廻龍かいりゅうに会いに行く、と言うと皆にかなり驚かれて、心配された。

 ――ま、そりゃそうか。


 レッカとホムラが用意してくれた船は、かなり頑丈で大きかった。船の漕ぎ方をマスターするだけでも結構大変で、1か月以上かかった。

 それから船で海に出て……もう半年以上が過ぎていた。


 最初の1か月ぐらいは漁の時期ではなかったのでホムラやエンカも一緒に居たが、それ以降はずっと一人ぼっちだ。

 廻龍は海を廻っているから、場所を変えていたらずっと会えない。ネイアの調べで、どうやら一年かけてパラリュスを一周しているということが分かったので、同じ場所にいれば一年以内には見つけられるはずだった。


“……颯太くん”


 胸の中から声が聞こえて、俺は思わずガバッと起き上がった。


『あっ……水那?』

“……うん”

『……大丈夫か?』

“……うん”


 ――って、俺はいつになったらこの会話から卒業できるんだろう。さすがに情けなさ過ぎる……。


『無理するなよ。ちゃんと自分の身体と相談しながら浄化しろよ。疲れたら休むんだぞ』

“ふふっ……”


 水那がちょっと笑う。


『……何だよ』

“……何でもな……あ……”


 水那の声が虚ろになっていく。自分の術に引っ張られているのだろう。


『――声が聞けて……すごく嬉しかった』


 もう聞こえてないかもな、と思いつつ――まぁ、だからかなり思い切って――言うと


“……私も……大好き……”


という声が聞こえ、水那の意識が消えた。


「……」


 俺は絶句したまま、固まってしまった。

 多分、顔が真っ赤になっているに違いない。


 水那……お前、そんなこと言うキャラだったっけ……?

 なんつー爆弾を落としていくんだよ……。



 ――少し浸った後、俺は気を取り直して船を漕ぎ始めた。

 水那の声を聞いたのは、あの神剣みつるぎへ繋げた、初めて目覚めたときから数えて……三回目。

 ネイアが言っていた通り、たまに意識が戻るようになったらしい。

 それはいいことなんだけど、その度に負荷がかかってるとしたら……と思うと、心配になる。


 ネイアによれば、ウルスラには浄化者もいるはず、ということだった。

 水那が「十馬では剣を使いきれない」と言っていたということは、すでに剣が闇を取り込み始めていたということで……浄維刃せいばを使う前に剣が闇を取り込んでいたということは、闇を身体から追い出せる人間――つまり浄化者が傍にいた、ということになるからだ。


 だから廻龍を見つけてウルスラに渡ることは、水那をヤハトラの神殿の闇から解放することにまっすぐに繋がる。

 そう思うと、この一人ぼっちの海も少しは楽しく……は、ならないなあ、やっぱり。

 俺はすっくと立ちあがった。


「おーい、廻龍ー! どこにいるんだー!」


 大声で叫ぶ。俺の声は水平線の彼方にむなしく吸い込まれていった。


   * * *


 何日かかけて、ハールの海岸に辿り着いた。

 レッカの船が何艘か並んでいる。とりあえずその隣に並べて船を杭に縛り付けていると、遠くから何やら話し声が聞こえた。

 見ると……海岸沿いを二人の人影が歩いている。

 あのでっかい男は……エンカだな。隣を歩いているのは……かなり小柄だから、多分レジェルだ。


 エンカはもう33なんだけど、全然身を固めてくれなくて困っているとレッカが言っていた。5年ぐらい前まではフラフラしていたらしいんだけど……今は一人に――レジェルに絞っている、そうだ。

 しかし、ずっとフラれ続けているらしい。


 レジェルは……多分、24ぐらいじゃなかったかな。ジャスラでは20ぐらいが結婚適齢期らしいので、こっちも少し過ぎていることになる。

 そんな微妙な二人となると、話しかける訳にもいかないな。ちょっと隠れて、去っていくのを待つか……。


 俺は船の陰に隠れたが、二人はどうやらこっちの方に向かっているらしく、だんだん何を話しているのかが聞こえてきた。


「……何で付いてくるんですか、エンカさん」

「だってレジェルが話を聞いてくれないし」

「話は聞いています」

「ほんと? じゃあレジェル、結婚しようよ」


 どわー、まっすぐだなー! 俺の方が赤面しそうだ。


「できません」

「何でさー」

「もう、何回も説明したはずですけど?」

「俺、都合が悪いことは忘れる主義」

「……」


 なかなか面白いコンビだとは思うけどな。

 二人は並んでいる船の前で立ち止まって話をしている。

 ……だもんで、完全に動けない状況になってしまった。


「私、ヤハトラの浄化の仕事があるんです」

「それって1年に1回、ヤハトラに行くだけでしょ。それ以外はずっとウチで家事をしてくれてるじゃん」

「力を溜めるために、修業も欠かせないんです」

「別にいいじゃん。結婚してからも修業続ければ」


 まあ、結婚しない理由にはならないよな、確かに。

 俺がうんうん頷いていると、遠くの方から「エンカー」という女の子の声が聞こえてきた。


「ウチの小屋を見に来てくれるー? 戸が開かないのー」

「わかったー。今忙しいから、後でねー!」


 エンカが大声で返事しているのが聞こえる。エンカは器用なので、村で修理屋的なこともしているという話だったな。


 しかし……この途端、レジェルの雰囲気がガラッと変わった。

 びっくりしてこそっと覗いてみると、レジェルは何だか怒っているようだった。

 冷静に突っぱねていたさっきまでと全然違う。


「エンカさん、女性には苦労していないじゃないですか。私に構わず、好きな方と結婚されたらいいと思います」

「あ、ひょっとしてヤキモチ焼いている? 全部、昔の話だよ? あれも、今はただのおトモダチだし」

「嫉妬ではないです。それに、5年前は昔とは言いません」


 ……いや、それって、多分、ヤキモチだよな。


「――言いましたよね。私……一生、誰とも結婚しません」

「だから、何でさ」

「禁忌の血筋だからです」


 レジェルの台詞に、俺はぎょっとしてしまった。

 あのとき……レジェルの血筋――巫女と九代目ヒコヤの子孫だってこと、ネイアはあまり人には言うなとレジェルに伝えたはずだった。

 預かってもらう以上、レッカとキラミさんは知ってるはずだけど……。

 どうしてエンカに言ったんだろう。……納得しなかったからかな?

 ――それとも……自分にも言い聞かせるため……?


「禁忌だと結婚しちゃ駄目なの? ヤハトラの巫女に言われた?」

「ネイア様がそんなこと仰る訳がありません」


 レジェルは強い口調で否定した。


「あくまで、私なりのけじめです」

「じゃあ、ミジェルにもそう言うの?」

「ミジェルにまで強いるつもりはありません」

「じゃあ、なんでレジェルは……」

「結婚して子供を生むと、場合によっては、力が弱くなるんだそうです。私には浄化の仕事がありますから、そういう訳にはいきません」

「そうならないために修業してるんでしょ? それに、ソータもミズナさんも、ちょっと弱くなったぐらいで責めないと思うけど」

「ですから、誰かに言われたとかじゃありません。自分の中の問題です」


 レジェルの凛とした声が響いた。

 この子はすごく芯が強いんだよな。頑固だし……自分が納得しない限り、絶対に折れないんだ。


「それに、言いませんでした? 私、女の子しか生めませんよ。漁をするのであれば男の子が必要だと思いますが」

「べっつにー。ホムラの家に男の子いるしね」


 エンカが異常に明るく言った。


「……っていうか、そんなことまで考えてくれてるんなら、ますます期待が持てそうというか……」

「持たないでください。ないですから」


 レジェルはそう言い捨てると、走り出したようだった。


「あ、ちょ……」


 エンカが慌てて追いかけたようだ。ひょいと覗くと、レジェルが凄い勢いで走り去り、その後をエンカが追っていく背中が見えた。二人は、もと来た道を走っていったようだ。


 ……うーん。

 レジェルは、結婚しない理由を自分で一生懸命探しているような気がする。本心は多分、違うのに……。

 だって、エンカが嫌いとは、一言も言わなかった。


「――あれ?」


 背後から何か気配がして振り向くと、レジェルが真っ赤な顔をして立っていた。


「さっきあっちに走って行ったはず……あ、そうか」


 去って行った方角と今、目の前にいるレジェルを見比べる。


「幻覚だ。自分にかけるだけじゃなくて、幻だけ動かすこともできるようになったんだな。すごいなー、レジェル」

「ソータさん……何でここにいるんですか……」


 レジェルが真っ赤な顔をしたままプルプル震えている。

 俺の誤魔化しなんて、到底通じそうになかった。


「いやー……ちょっと前に海から戻って来たんだけど……出づらくて……」

「……」

「エンカはさ……まあちょっと手が早いというか、いい加減なとこもあるけど……」


 俺が言いかけると

「――エンカさんは、手が早くもないし、いい加減でもないです」

と、レジェルが少しキツい口調で俺の言葉を遮った。


「ずっと一緒に暮らしてきましたけど、いつも優しくしてくれました。私やミジェルが外の世界に慣れるまでずっと傍にいてくれて、いろいろ教えてくれて。ミジェルも本当のお兄ちゃんみたいに懐いていて……」

「……あいつ、レジェルに何もしてないの?」

「何もってなんですか?」

「いや……」


 あいつのことだから、手を握ったり、抱きしめたり……キスぐらいなら、全然余裕でしそうなんだけどな……。


 そう思ってちょっと口ごもると、レジェルは察したらしく

「私なんかに何かする訳がないです」

と、自虐的に言った。


「私は……ちっちゃくて幼くて、エンカさんの周りにいる女の人達とはほど遠いですから」

「……」


 ははー……。

 俺はちょっと脱力した。

 何だよ。レジェルもちゃんと、エンカのことが好きなんじゃないか。


「俺、エンカを尊敬するよ」

「はい?」


 レジェルが不思議そうに俺を見た。


「だってずっと一緒に暮らして、こんなに傍にいるのにさ。エンカは多分、すごーくレジェルを大事にしてるんだと思うな。好きだから、大切にしたいから……手も出さずに見守ってるんだろ」

「……それは、ソータさんの経験ですか?」

「うっ……」


 この子は本当にはっきり物を言うな。

 でも……そうだな。ちゃんと、正面から話をした方がいいよな。……恥ずかしいけど。


「……俺の方がだいぶん悪い。俺は……守ってはいたけど、嫌われたり、怯えられるのが怖くて、ずっと距離を取ってた」

「……」


 そして中途半端に手も出したけど……ま、それは置いておこう。


「エンカみたいに意思表示することもできなくて、ずっと誤解させたままだった」

「……ひどいですね」

「うっ……」


 返す言葉がない。


「まあ……だからさ。自分の気持ちに正直な方がいいと……そういう話だよ。俺は、もうかれこれ――17年間、後悔してるんだ」

「……!」


 レジェルが驚いたように目を見開いた。

 ――そしてしばらく考え込むと

「私……修業、頑張ります。浄化、早く進めます」

と呟いた。


「うん?」


 レジェルがどういう風に感じたのかわからず、俺は変な相槌を打った。


「そして……早く、ミズナさんとお話ししたいです」


 そう言ってレジェルが可笑しそうにしているから……俺は何だかきまり悪くなってしまった。

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