名捨て花と滅びの王子 ―誓いを捨てる日―

ヴィルヘルミナ

名捨て花と滅びの王子 ―誓いを捨てる日―

 恋人に、私は売られた。


「お前はこれから、わたくしの身代わりになるのよ。失敗すれば死ぬと思いなさい」

 ひざまずかされた私を見下ろし、美しい金髪、美しい青い瞳できらびやかな青いドレスに身を包む女性は、第一王子妃キャスリーン。

 茶色の髪と瞳の地味な平民の私とは全く違う、華やかで美しい女性。


 自分では全くわからないけれど、王子妃の声は私の声に良く似ているらしい。年も近く背格好も似ているので私が選ばれた。

 恋人は平民が一生かかっても稼げないお金を受け取って、どこかに消えた。


 私は王城の一室に鎖で繋がれ、キャスリーンの口調と言葉遣いを真似るように強要された。学の無い私には難しいことばかりで、失敗する度に鞭打たれ食事を抜かれる。


 ろくに眠ることも許されず疲弊する中では、逃げることも自分のことすら考える余裕もない。三カ月が過ぎ、ようやく口調と基本的な言葉遣いが身に付いた。


 準備が整うと魔法で鞭の傷をいやされ、体を徹底的に磨かれた。美しいドレスを着せられて、再度私はキャスリーンの前に跪かされる。

「もう少し遅ければ、お前を処分していたところよ」

 キャスリーンは美しい声で笑う。笑い方も強制された。どんなに美しくても他人をあざけるような笑い声が私と似ているとは思いたくない。


「わたくし、やっとあの男から解放されるのね」

 第一王子妃のはずなのに、隣には第二王子が寄り添っている。喜びで抱き合う二人を呆然と見ていると、従僕たちに腕を引かれて馬車に放り込まれた。


      ◆


 馬車は一昼夜を掛けて走り、高い塔の前で止まった。

 塔には半年前に流行り病で死んだとされている第一王子ロードリックが幽閉されている。王子は国を護る為に女神の怒りを受けて目が見えなくなった。


 国王は数年前に突然自らを神と称して、国民が創世の女神を信仰することを禁止した。あちこちにあった女神の神殿は壊され、女神の絵や像は町の広場で焼かれて捨てられた。女神を信仰する者たちは弾圧され、女神の替わりに王をあがめるようにと強制していた。


 女神の怒りが無いのだから、女神など存在しない。それが弾圧する者たちの主張で、国民も女神はいないのではないかと、今では思うようになっている。


 ところが女神の怒りはあった。その怒りを王子がすべて受け止めたということを国民には知らされていないだけだった。


 高い塔の一番上の部屋は、意外にも快適に整えられ、美しい調度品が置かれている。中央のカウチには銀色の髪の美しい青年が座り、紅いリンゴを手で撫でていた。


 目が見えなくなった王子は、一日中様々な物を手で撫でていると聞いている。


「やっとここに来ることができたわ、ロードリック」

「その声は……キャスリーン?」

 信じられない。王子は目を閉じたままで、そんな表情を見せた。紅いリンゴが床に落ちて転がっていく。


「ええ。そうよ」

「どうしてここに? 私は死んだことにしたのだから自由になればいい」


 王は自分を犠牲にして国を救った第一王子の為に、キャスリーンをこの塔で同居させようとしていた。その計画に反対したのはロードリックの弟の第二王子。昔からキャスリーンに恋をしていて、結婚したいと望んでいた。


「わたくしがここに来ることを望んだの。周りの者を説得するのに時間がかかってしまったの」

 王子を騙すことに心が痛む。それでも、キャスリーンを演じなければ殺される。私は恐怖しながら、必死で優しく甘い声を出す。


 すると王子に手招きされ、手を握られた。

「……どうした? 随分やせているではないか」

「貴方のことを想い過ぎて、食べ物が喉を通らなかったのよ」

 三カ月、失敗し続けてろくに食べることができなかった私の体はやせ細っていた。


「何か……とりあえず、そこにある果物を食べるといい」

 王子に促され、テーブルの籠に盛られた美味しそうな果物に手を伸ばし掛けた時、鞭を持つ従僕が靴を鳴らして私は理解した。これを口にしてはダメ。また鞭で打たれてしまう。空腹よりも痛みへの恐怖で震える。


「それはお食事の時間に頂くわね」

「そうか」

 キャスリーンは常に体型を気にしていて、食事を取らないことも多い。私は今、キャスリーンを演じなければならない。


 カウチに私と並んで座った王子は様々な思い出を語る。この半年、誰とも話すことがなかったと喜んで言葉が止まらない。私はキャスリーンから聞いた思い出と違うことに驚きつつも相槌を打ち、時には笑い声をあげる。


 夜になって入浴した後、王子が部屋に控えている従僕たちに外に出るようにと命令した。動揺しながらも従僕たちが出て行く。鞭を持つ従僕は、私に余計なことを話して失敗するなと言い置いて出て行った。 

 寝室には大人三人が眠れるようなベッドが置かれている。平民の私にとっては大きな物でも、王城にあったベッドに比べれば小さい。


 王子の手を引いてベッドに入ると、手探りで体に触れられた。


「君はもっと食べた方がいい」

 緊張の中、返す言葉が見つからなくて無言になってしまう。王子は小さく笑うと、口づけながらあらゆるところを撫でていく。


 優しい手は気持ちいい。ゆっくりと王子が覆い被さってきた。

 目を閉じていても、銀の髪の王子は美しい。恋人と口づけたことはあっても、夜を共にしたことはなかった。恐怖で全身が強張る。


「……怖いかもしれないが、力を抜いてくれ」

「……はい」


 震える体を王子は優しく撫で、何度も口付けて笑う。優しい笑顔で恐怖が薄れてきた時、私を腕の中に閉じ込めて王子が囁いた。

「……君は誰だ?」

「何をおっしゃっているの? わたくしはキャスリーンよ」

 肌の温かさに緩みかけていた心が一気に冷えた。必死に声を作って答えるしかない。


「……キャスリーンは君を身代わりにして、逃げたのだろう? おそらくは弟の元へ」

「そのような夢想はおっしゃらないで」

 可哀想な人。自分の妃と弟のことも、何もかもすべてを知っているのだろう。


 私は王子の首に腕を掛け、引き寄せて囁く。

「王子様、貴方に私の正体が知られたら、私は殺されてしまいます」 

「……すまない。君はどうしてここへ?」


「恋人が私を売りました」

「……それは……酷いことだ……可哀想に」

 王子の胸は温かく、髪を撫でる手は優しい。


「君の名前は?」

「名前は捨てました」

 私の名前を優しく呼んでくれていた恋人はもういない。もう何もかも忘れたい。


「私は、ここにいるしかないのです。ここに置いて下さい」

「……私の傍にいてくれるか?」

「はい」


 私の返事を聞いた王子は、優しい激しさで私を抱いた。我慢できない声は王子の口づけで絡めとられ、抱きしめられて逃げられない。

 恐れていた初めての痛みは優しい痛みだった。鞭で打たれる痛みの方が遥かに痛い。


「……顔が見えないというのはもどかしいな」

「私は貴方に私の顔が見えなくて安心しています。あの方のように美しくはありませんので」


 その夜、王子は何度も私を求めた。

 おそらく王子は寂しいだけ。優しい声も手も、本来は私に向けられるものではない。愛していた人を失って、替わりを求めているだけ。


 私も同じ。恋人に裏切られ、何もかも失って誰かの温もりが欲しいだけ。寂しさに心が軋んで悲鳴をあげても、もうどこにも逃げられない。


「王子様、貴方を愛してもいいですか?」

「ああ。私も君を愛してもいいだろうか?」


 塔の中、閉じた世界の中で、心が欠けた私たちは愛し合う。日中は王子と王子妃のふりをして、夜はただの男と女になる。


 変わらない毎日を繰り返しながら、少しずつ、少しずつ、私たちの心が近づいていった。王子に優しく気遣われて、やせ細っていた私の体は健康を取り戻した。王子の飾らない笑顔が増えるにつれ、私の心も温められて満たされていく。


 仲良く暮らす私たちの姿に安心したのか、鞭を持つ従僕は姿を消し、王子を慕う優しい従僕たちだけが塔に残った。


      ◆


 一年が過ぎた時、私は身籠った。喜ぶ王子が私を抱きしめながら囁く。

「……私が王子でなくなっても、一緒にいてくれるか?」

「一緒にいるわ。何をするの?」


「女神の災厄は、私の中にまだ存在している」

 王子が受け止めた災厄は、女神の警告だった。女神に願い、目と引き換えにして自分の体の中へ封じ込めたのだと王子は笑う。


 これは警告だと王や周囲を説得しようとしたのに、盲目の王子に誰も耳を貸さなかった。


「この国の王子として生まれたからには、国を護り、国民を護るのだと誓いを立ててきた。その誓いを私は捨てる。私は一人の男として君を愛したい。父として子を迎えたい」

 災厄を解放すると女神に祈ると、王子の体が白く光り輝いた。


 王子の目がゆっくりと開き、眩しそうに目を細めると私を見て嬉しそうに笑う。初めて見る王子の瞳は紅く輝いている。

「怖いか?」

「いいえ。それよりも、私の容姿を残念に思っているのではない?」

 精一杯の笑顔を作ってみても、心は不安に染まっていく。


「目が見えなくなってから私の指先は様々な物を感じてきた。何度君の顔を触ったと思う? 想像通り、いや、想像以上に私の好みだ」

 王子の言葉は優しい。この塔に来て随分綺麗になったとは思う。それでもキャスリーンの美しさには敵わない。不安で震える私の頬や唇に、笑顔の王子が何度も口付ける。


 塔の窓から見える空に黒い雲が沸き上がり、瞬く間に闇に包まれた。

「これから、どうなるの?」

「女神を敬うことを忘れた者たちは、滅びの日を迎えるだろう。私を塔に閉じ込めることで、女神の警告を無かったことにした王や貴族たちが最初の贄となる」


 黒い雲から魔法灯で輝く王城へ大きな雷が落ち、国中に雷が雨のように降り注ぐ。怖ろしい光景なのに、とても綺麗。

「あんなに激しい災厄を貴方は身体の中に抱えていたのね」

 それはどれ程苦しいことだったのか。想像するだけで心が震える。毎日隣にいたのに、全く気が付かなかった。


「……私の中で育った。私が育ててしまったのだ。私が受け止めたのは警告だった。国が滅ぶ災厄ではなかった」

 噛み締めるような言葉に悔しさが滲む。その紅い瞳に孤独が見えて、咄嗟に王子の手を両手で包んだ。私は王子を独りにはしない。


「これから、どうするの?」

「ここに来る前に友人へ手紙を送ってある。届いているかわからないが、力になってくれるだろう」

 王子の友人は、外国の王子らしい。この国からはかなり遠い。


「私は国よりも君を選ぶ」

 その紅い瞳には、ほんの少しの陰りが見える。

「私は貴方と一緒に罪を背負うわ」

  

 自分たちの自由の為に、国を滅ぼした私たちが幸せになれるかどうかはわからない。


「君に新しい名前を贈ってもいいだろうか?」

「私も貴方に新しい名前を贈ってもいいかしら?」


 互いに贈り合う名前は、とても優しい響きを持っていた。

 そして私たちは、手を取り合って、塔を後にした。

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