第八章:鈍色の夜空に何を思う/02

「瑛士、こっちです!」

「ああ! ……キーは!?」

「此処に!」

「運転は俺に任せろ! 遥は玲奈を頼む!!」

「心得ました!!」

 そして辿り着いた、ホテルの地下駐車場。尚もしつこく追ってくる『インディゴ・ワン』の追っ手、三人の戦闘員を続けざまの連射で始末しながら瑛士が叫び、それに遥が応じる。

 丁度弾切れだ。予備弾倉も使い切ったから、もう手持ちの武器はない。

 瑛士は弾切れでホールド・オープン状態を晒した1911のスライドを戻し、またズボンの後ろ腰へ雑に差し込むと、遥が投げ渡してきた車のキーを空中でキャッチして受け取る。

「……ヘッ、ご機嫌だ!」

 キーを受け止めた左の手のひらを開いてみると、そこに収まっていたのは……ポルシェのエンブレムが刻まれた、細身なスマートキーだった。

 ロック解除のボタンを押し込むと、丁度遥と……彼女に預けていた、放心状態の玲奈の傍にあった赤いスポーツカーのハザードランプが数度、ブザー音とともに明滅する。ドアロックが解除されたという合図だ。

 助手席側のドアを開けた遥が、後部座席にどうにか玲奈を押し込んでいる傍ら。瑛士は運転席側の――――左ハンドル車だから、ボディ左側のドアを開け。そのままシートに滑り込むと、間髪入れずにエンジンを始動させた。

 背後、いや車体の尻に搭載した排気量三リッターの水平対向六気筒、フラット・シックスのツインターボエンジンが上品な唸り声を上げて目を覚ます。

 ――――二〇一九年式、ポルシェ・911カレラ4S。

 それが、遥がキーを渡してくれたこの真っ赤なドイツ製スポーツカーの名だった。

 型式で表すなら992型か。扱いがピーキーなRR駆動……リアエンジン・リアドライヴの駆動形式で知られるポルシェ・911シリーズだが、このカレラ4Sモデルは四輪駆動を採用した扱いやすいモデルだ。

 勿論、エンジンは尻に搭載したままで、だ。世界広しといえども、エンジンを後部に搭載したまま四駆化したスポーツカーはこの911ぐらいだろう。少なくとも、瑛士はポルシェ以外に心当たりがない。

 高級ホテルのパーティ、それも各界の著名人ばかりが集まるパーティに出席するからと、車もそれ相応の物を用意すべきと思った遥が乗ってきた物だった。確かにこれなら、他の超高級車の群れに混ざってもまるで違和感がない。

 まあ、理由はさておき――――瑛士としても、911カレラ4Sというチョイスはありがたかった。

 走行性能の方は十分すぎるぐらいの車だ。そこいらの車など鼻歌でチギれるほどのスペックの車、逃走という今のシチュエーションにはこれ以上ないほどにうってつけだ。

 もしもこれが911でなく非力な大衆車、それもワゴンタイプの軽自動車だったら、流石の瑛士もどう逃げたものか頭を抱えていたところだったが……しかし911ならば、それこそ鼻歌を歌いながらでも逃げ切れる。瑛士にハイパワーのスポーツカーを与えることは、まさに鬼に金棒、シュワルツェネッガーにロケット・ランチャーと同義だ。

「瑛士、今です!」

「オーケィ、飛ばすぜ! 舌ァ噛むんじゃあねえぞッ!!」

 開いた助手席の窓からXDMを連射し、こっちに駆けてきていた最後の追っ手四人を射殺した遥が叫ぶと、瑛士はニヤリと不敵に笑んで911のステアリングを握り締める。

 八速刻みのDCT――――デュアル・クラッチ・トランスミッション。説明すると長いが、要はマニュアル式の構造から進化したスポーツ走行向けのオートマチック・ギアボックスだ。瑛士は電動式サイドブレーキを解除しつつ、それの手動操作モードの『M』のスイッチを押し込み、ギアを一速に入れた。

「追ってこいよ……付いて来られるのならな!!」

 そのまま瑛士はアクセル・ペダルを踏み込み、急発進。ギャァァッと軽く尻を滑らせながら駐車スペースより出ると、そのまま地下駐車場を爆走。地上へと通ずるスロープをとんでもない速度で駆け昇る。

 段差で軽く飛び跳ねるぐらいの勢いで駐車場を出て、外界へ。通行人が驚くのも気にせず、やはりギャァァッと尻を派手に滑らせながら公道に出ると、瑛士は911を更に加速させて、一目散に横浜の高級ホテルを後にしていく。

 手元のパドルシフトでタンタン、とギアを手動で変速させつつ、瑛士は時速一四〇キロ近い速度で……そこから更に加速しつつ、あんまりにも頭のネジが飛んでるとしか思えない速度で夜の公道を爆走する。

 飛び出していった先、横浜の街には……いつの間にか、雨が降り始めていた。

 真っ赤なボディを降りしきる雨に濡らしながら、911カレラ4Sが水飛沫を上げて爆走する。ハイビームに切り替えたヘッドライトで雨粒を、街明かりを切り裂いて、ただただ真っ直ぐに。

 そんな911のバックミラーの向こう側では、慌ててホテルの地下駐車場を出てきた数台のバン……恐らくは『インディゴ・ワン』の戦闘員が乗り合わせていたのだろう、シボレー・エキスプレスの黒いバンが追いかけて来ようとするのが見えたが。しかしあの程度のバンでこのポルシェ・911に追いつけるはずがない。バックミラーの中で、追っ手のバンは五秒と経たずに小さな点となって消えていった。

 ――――どうにかこうにか、逃げおおせた。

「ふぅーっ……」

 もう加速して敵を撒く必要もないと判断し、瑛士は時速六〇キロ前後の巡航速度まで911を減速させながら、シートの背もたれに身体を深く預けて息をつく。

「……逃げ切り、ましたね」

 そうして安堵するのは、隣に座る遥とて同様だった。

 ひとまずの安堵感に包まれる、真っ赤な911カレラ4Sの車内。横浜の片隅にある通りを巡航速度で駆け抜け、都内へと戻るべく高速道路のランプを目指す、そんな911に揺られる三人は……暫くの間、無言のままだった。

 車内に聞こえるのは、カーステレオから流れるFMラジオの曲だけ。丁度今は……新進気鋭の美少女演歌歌手として話題の新人、花守はなもり友奈ゆうなの新曲『遠く遠く、貴方に届け』が流れていた。

 今の車内に漂う雰囲気に何処か似合う、しんみりとした曲調の曲だ。

 花守友奈はまだ二十歳かそこいらの新人歌手らしいが……噂によると、数年前に起こった凄惨なテロ事件。学園の生徒に教師の大半が惨殺され、四五〇人を超える死傷者を出した史上最悪のテロ事件『美代学園占拠事件』の数少ない生き残りらしい。

 今は廃校になった学園での、文字通り生死の境目に立っていた、そんな壮絶な体験を経ているからなのか……彼女の歌声は、とても二十歳前後の少女のものとは思えないほどに感情が籠もったもので。花守友奈の歌声は、こちらの心を否応なく揺さぶってくるような、そんな強く訴えかけるモノのある歌声だった。

 ――――そういえば、あの事件には『スタビリティ』が関わっていたという噂を小耳に挟んだことがある。

 それが真実かどうかは分からない。だが……仮にそうだとしたら、ますますデニス・アールクヴィストと『インディゴ・ワン』を放っておけなくなってしまう。ひょっとすればアールクヴィストは、またあの時と同じような悲劇を繰り返すつもりなのかも知れないのだから。ひとえに、自分から『スタビリティ』とユーリ・ヴァレンタインを奪ったこの国への……的外れにも程がある復讐の為に。

「…………なあ、玲奈」

 思わず、変なことを考えてしまった。

 瑛士は頭に過ぎった妙な考えを振り払うように、一度頭を左右に振ると。カーステレオから流れるしんみりとした曲を聴きながら、911の後部座席でぐったりとしている玲奈にそう、何気なく話しかけてみた。

 だが、玲奈は答えない。バックミラー越しに見た彼女の顔は……やはりというべきか、何処か虚ろだった。

「もしかして、さっきの女が……シュヴェルトライテとかいう奴が、前に言ってた玲奈の姉貴なのか?」

 そんな玲奈に、瑛士は問うてみた。答えが返ってこなくてもいいと思いながら、ただ真っ直ぐに疑問をぶつけてみた。

「……………………うん」

 とすれば、玲奈は至極悲しげな顔でコクリ、と頷き返してくれる。

 瑛士はそんな玲奈の様子を、とても悲しそうな彼女の顔を……虚ろな表情を見て。ただ一言「そうか……」とだけ返す。これ以上の言葉を、一体どんな言葉を彼女に掛けて良いものか……分からなかった。

「…………兄さん」

「シュヴェルトライテ姉様が、敵…………」

 そんな風に頷き返す瑛士の横で、遥もまた影色の差した顔で俯き、ひとりごちる。

 失意と同様、そして困惑に揺れる銀色の二人。静かで何処か悲しげな曲が、少女の歌声がカーステレオから流れる中。そんな二人を乗せて、真っ赤なポルシェ・911カレラ4Sは、しめやかな雨に濡れる夜の街を駆け抜けていく。

「…………コイツは、思っていた以上にとんでもないことになりそうだ」

 雨の中を走り抜ける911のステアリングを右手だけで握り締めながら、窓枠に肘を突いた左手で頬杖を突きつつ。雨の降る夜道に911を走らせる瑛士は、独り渋い顔を浮かべていた。行く先に迫る暗雲に、漠然とした不安を覚えるかのように――――――。





(Part.1『片翼の乙女たちと月下の輪舞曲』完)

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