須能雪羽の短編集

須能 雪羽

暗い宇宙の硬いキス

 複座戦闘艇は、無重力の宙を漂った。半日ほども彷徨い、小惑星群の一つに衝突して、慣性移動をようやく終えた。


「熱烈なキスだ。引力に捕まらなくて良かったな、クルズ軍曹」

「肯定しますが、好転してもいません」

「不安材料が一つ減っただけでもさ」


 前席のノエルから、後席は見えない。間に挟まる機器が、視界を妨げる。どうもクルズは、自身の仕事に忙しいらしい。


「何か見つけた?」

「その反対です。熱いキスの対価に、電気系をやられました」

「あー……」


 技術の最先端を行く戦闘艇だが、機器の動力は電気だ。不安材料が減るどころか、数えるのも諦めるほどに増えてしまった。


「全部?」

「非常系統以外について、肯定です」


 非常系統は、脱出装置と空気発生器エアレイをバッテリーで稼働する。しかしジェネレーターが止まったのなら、それも三日持つかどうか。


「小隊は――」

「ノエルツーの撃墜は確認しました。ノエルスリーは未確認ですが、現状を思うと帰艦の可能性は低いかと」

「ジェシーが先とはね」

すり抜けのジェシースリップスルーですか。あれを卑怯と呼ぶ者も居ますが、高等技術です。彼が恥じるべきことは、何もありません」


 クルズの回答は、いつも冷静で正確だ。メスシリンダーと揶揄する者まで居る。


 ただし例外がある。例えば「ジェシーが恥じることなどない」と言ったとき、クルズの声量は表面張力分ほども増した。


「俺もそう思う。サミーを救ったのが、奴の最後の仕事か」


 格闘戦ドッグファイトをしながら、ノエルは見ていた。ノエル3を狙った三機を相手に、よく戦っていた。


 相手は慌てているように見えたが、それが敵の戦法だった。ノエル2は、敵艦の射線上におびき出された。


「母艦は?」

「リスト上は健在でした」


 戦闘艇を移送する巡航母艦。武装と速度は巡洋艦と同程度だが、継戦時間は短い。


「……どうしてオリーに、返事をしなかったんです?」

「補給の合間に、そんな決断が出来るわけないじゃないか」

「ご冗談を。即断即決が曹長の売りではないですか」


 ノエルたちが補給に戻ったとき、属する分艦隊が孤立したと分かった。

 すると女性技術兵メカニックのオリーが、先達の技術兵たちを押し退けて、ノエルのところに飛んできた。


「ノエル曹長。必ず生きて戻って下さい。約束してくれるなら、私も必ず生き残ります。たとえ艦が沈んでも」


 その意味が分からない愚物は、ノエル自身を含めて周囲には居なかった。誰も仕事をこなしつつ、短く口笛で祝福した。


「下手くそだから、確約は出来ないな。戻った後でお互いが生きてるか、確認し合うほうが確実だと思うよ?」


 それがノエルの返答だ。断ったわけではない。

 だがオリーは悔しそうに唇を噛んで、「了解しました。ではまたそのときに」と背を向けた。


「小官の情報では、曹長には既に決めた相手がいらっしゃるとか?」

「軍曹にしては、なかなか攻撃的だね。しかもそれ、噂だろ?」

「疑問の解決と、噂の真偽を知るのと、手間を省いたまでです」


 そんなことを、誰にも言ったことがない。だのにどうして、噂が流れたのか。

 しかし事実だった。ノエルには、好意を抱く相手が居る。


「じゃあ俺も手間を省こう。その噂が、真実だからだよ。好きな人の目の前で、誰かを傷付けたくなかった」


 ガタッ、と。何かぶつけた音がした。上ずった吐息も聞こえる。


「クルズ?」


 次の言葉がなくて、心配になった。彼女の航宙服にだけ異常が起きて、呼吸不能というのもない話ではない。


「だ、大丈夫です。正気です」

「良かった。何か考えごとかい?」

「どうしたら良いかと思いまして」

「何を?」


 また、すぐには返事がなかった。だが今度は、何か言いあぐねているようだ。


「落ち着けよ、君らしくもない」

「――恐縮です」


 ビジネス的な発言だと、普通に話せるらしい。それから何度も深呼吸を繰り返して、ようやく思う言葉が発せられた。


「きっ、キスを! していただけますでしょうか……」


 最後のほうは、うんと小さな音量になる。しかし漏れなく聞き取れた。


「キス?」

「我々には、時間がないのです。ファーストキスをしないまま心中では、心残りです」


 この頑なで、不器用なところ。それが堪らなく愛おしい。意図せず口元が緩んで、クスと笑ってしまう。


「わ、笑わないで下さい」

「いやごめん。とりあえず俺の告白は、受けてもらえたのかな」

「は……」


 やはり顔は見えない。だが今は、彼女の顔が真っ赤に染まる様を見た気がする。


「そっちに行っても?」

「だ、ダメです! 来ないで下さい!」


 前席と後席の移動は、身体を密着させながらになるほど狭い。先ほどは勇気を振り絞ったらしいが、今度は拒絶されてしまった。


「笑ったのは謝るよ。でも俺も、キスせずに死ぬのは嫌だ」

「ダメです、待って下さい」


 クルズの口調が、感情を律したものに戻る。彼女は光学式スコープを取り出して、遠くを見ているようだ。


「何が見えた?」

「友軍の駆逐艦です。救助を求めるべきですが、方法が……」


 識別シグナルも消えたこの機体は、他のデブリと区別がつかない。


「発光器くらい載せとけって、言っとくよ」

「それがいいと思います」


 クルズの口調は変わらないが、諦めの色に染まっていた。

 あの駆逐艦に乗れれば、生還出来る。何か方法がある筈だ。あってほしい。


「――軍曹、やっぱりそっちへ行くよ」

「な、何を?」

「俺たちには時間がない。だろ?」


 華奢なクルズを抱えて、ノエルは空気発生器の出力を最大にした。ただし、排出はゼロに。


「そんなことをしたら!」

「大丈夫。俺を信じて」


 彼女の背に、動悸が伝わる。生死の分かれ目のせいか、愛しい人と接しているからか。それはノエルにも分からない。


 ――やがて、その時が来る。

 エアタンクが破裂する寸前、脱出装置を作動させた。ハッチが開き、機体からシートが離れる。


 その直後、強烈に吹き出した空気が二人の身体を押した。

 成功だ、駆逐艦の方向に向かっている。


「見つけてもらえるでしょうか」

「きっとね」


 エアタンクの破裂は、燃料系に誘爆を起こした。速度は増し、駆逐艦にも必ず見えたことだろう。


 抱き締めあった二人は、ヘルメット越しに語り合う。救助までの不安を打ち消す為に。

 透明なシールドを触れ合った姿は、キスをしているようでもあった。

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