第4章 後日譚 ∧ 前日譚

拝啓 早いもので年内も余日少なくなりましたが、




 テーブルに並んだふたつの粗茶から、湯気が立ち昇っていく。

 穏やかな午後だ。まるで今が冬であることさえ、忘れてしまうかのような……。

 

「書かない間にもう暑いくらいの季節だものね」

「何の話だ? 冬はまだこれからだぞ?」

「なんでもないわ、あまりにすれ違いが長引きすぎてちょっと気が動転してるみたい」

「って言っても、お前が家を出て行ってからまだ二週間足らずだが……」

「はあ……。そうみたいね」


 目の前でなにやら可笑しなことを言っているのが、たちばな こと。俺の高校の時からの親友であり、現在同じ東京大学に通う天才であり、そして、少し前から結婚を前提にした半同棲相手である。

 だが、俺たちの間には恋愛感情はない。ただ安定を求めるという利害の一致から、共同生活をすることになったのだ。お互いのことは、もうかなり理解しているからな。

 

「それにしても、やっぱりここで二人暮らしは少し厳しいわね」

「まあ……そうだな」


 そう言われ、俺も見慣れた部屋をぐるりと見回す。当然だが、大学に通うための下宿なのだから二人で住むにはかなり不便だろう。


「ベッドも一つしかないしな」

 前に橘が泊まりに来たことを思い出す。あの時は、色々一人で悶々としたものだ。

「別に新しい家でも一つでもいいのよ?」

「ご冗談を」

 誘うように言ってくるが、その提案にはのらない。別に、俺は橘とそういうことがしたい訳じゃないからな。橘も俺がのらないことを分かって言っているのだ。

「私に魅力がないみたいじゃない」

 分かっていて、意地悪く頬を膨らませる橘。そういうあざとさ、他で見せたら堕ちない男はいないだろう。だって少し……まあ幾何いくばくかはかわいい。

「ははは、魅力のありまくるお前と同じベッドなんていくらなんでも身体に毒だからな、遠慮しておこうってことだ」

「やっぱり男って変態ね」

「面倒な女か」


 初めてここに来た時、いきなり成人誌などと言い放った人物である。この程度の応酬では、赤面すらしない。こういうとこはもう少し可愛げがあってもいい。

 ……まあ、でも。


 ────……ええ、マリヨン ヌ


 あの顔を真っ赤にした橘が見れたなら、サプライズをした価値があるというものだ。


「気に入ってるのか? それ」

「え? ああ……」

 橘の首元には、まさに俺がクリスマスにプレゼントしたネックレスが提げられていた。銀の月のモチーフが、照明に照らされ乱反射している。

「確かに素敵だけれど、一瀬にしては、センスが良すぎないかしら? 女子のファッションなんて興味なかったでしょう?」

「はは、鋭いな。実は……」

 

 俺がネックレスを買ったのは、橘と会うイブの前日。

 そう、まさに朝比奈とデートした時だった────。


    

          *



「待たせて悪かったな」

「もお! デート中の女の子をほったらかすなんて言語道断ですよ、先輩!」

「はは……すっかり元通りだな」

 橘に電話をかけ終えて戻ると、そこにはもうおとなしい朝比奈の影はなかった。

「まあ、先輩相手にはこっちの方がもう慣れましたから」

「そうかい」

 嘘を告白した彼女の表情は晴れやかで、ならまあそれもいいかと思えた。


「最後に一つ、付き合って欲しいんだけどいいか?」

「なんです?」

「その……言いにくいんだが、橘に渡すネックレスを一緒に選んでくれないか?」

「・・・へっ?」


 十分後。某ブランド店にて。

 朝比奈には来る道中でプロポーズとサプライズの計画を話した。


「いやー先輩もロマンチックなこと考えますねー」

「俺はただなあなあで始めたくないだけだ」

「たかだか学生の事実婚なのに凄いですねー」

「いや、多分籍はそのうち入れるらしいが」

 と、前に確か橘が言っていた気がする。よく考えれば、あってもなくても変わらないような気もするが……。

「へえ、そうなんですね。じゃあもう完全に一瀬琴葉さんになりますね」

「ん!? た、確かにそうなるのか……」

 中学生の妄想みたいなものだが、そう聞くと一気に実感が湧いてくるな。 

 まあ、それも明日上手くいけば、だが……。


「んで、どれにすればいいんだ……?」

 ガラス越しに並んだ爪ほどの小さなアクセサリーを前に、俺は完全に指針を失っていた。オシャレに無頓着な男子が、こんな店に来ただけでアウェー感が溢れている。要約すると、一人で入る勇気がなかった。

「んー、こういうのとかどうですか?」

 そう言って朝比奈が手に取ったのは、金色のオープンハート。サイズは他に比べるとやや大きめか。

「いや橘はあんまり派手なの好きじゃないからな……。何より好きでもないのにハートは不正解だろ」

「冗談ですよ~、ハートは普通にあんまり人気じゃないですしね」

 え、そうなのか……。女心、難しすぎないか。どうしよう、三日後くらいにメルカリで売られてたら。

「なんか逆に人気のやつとかあるのか?」

 おぞましい想像は置いておいて、とりあえず朝比奈に尋ねる。も

「んー、難しいですね。でもやっぱり安直なのって好まれないんですよ。だからモチーフの意味とかで決めたらいいんじゃないですかね?」

「モチーフの意味?」

「そうです。ハートなら愛、星なら健康だったり富だったり。そういうのってちょっと素敵じゃないですか!」

「なるほど……いいな。調べてみるか」

 朝比奈のアドバイス通り、スマホでモチーフの意味を調べながらしばしショーケースと睨めっこ。

「星は子供っぽいか……。橘はこんな目立つの好きじゃないだろ……。控えめすぎても無難すぎる……か……」

「あはは、先輩めっちゃ真剣ですね」

 熟考していたら、隣で見ていた朝比奈が唐突に笑う。真剣で何が悪いんだと、抗議しようと思ったが、朝比奈の笑顔が少し寂しそうだったので躊躇う。まるで、片思いの相手を思い浮かべているかのような。


「あたし、なんとなく分かりました。稲藤先輩が先輩と一緒にいる理由」

「え、なんだよそれ」

「え~? そういう橘先輩のことが大好きなところですよっ」

「な、だからそういうんじゃないって言ってるだろ」

「えー? 本当ですかねー」

 ・・・ったく、ちょっと興味あったんだけどな。稲藤が俺とつるむ理由。これは当てにならなさそうだ。

 兎にも角にも、それからなんとか自分の納得いくものを見つけて、朝比奈の太鼓判を頂いたところで、今日はお開きとなった。

「月は、知的な魅力と女性らしさか~。確かにっぽいです。さすが先輩! 愛妻家ですね!」

「うるせ。お前ももう少し見習え」

「ひっど~い。これでも素はもう少しお淑やかなのに~」

「はは、そうだったな」

 帰り際、駅までの道のりでそんなやりとりをしつつ。

「まあ、とにかく。明日、頑張ってくださいね。せんぱいっ」

「ああ、今日は本当にありがとう」


 そうして彼女と別れてすぐ、俺は明日の聖夜に向けて早くも緊張し始めていた。

 朝比奈と稲藤の問題は、とりあえず後回しだ。すべては明日、橘と元通りになってから考えよう。はあ、ちゃんと元通りに、戻れるだろうか……。


 ……その夜結局、眠れず朝を迎えたのは、もうご存じの話。



            *



「────って感じで、まあだから俺だけで選べなくてそこは申し訳ないと思ったけどさ。やっぱメルカリに売られるのだけはなんとしても阻止したく……」

 俺が俯いていると、頭上から遮るような笑い声が聞こえてくる。

「ふふっ、なんで私が人から貰ったものを売ると思ったのよ。肝心のそこが理解できてないわよ」

「あ、それもそうだな……」

「でしょう? それに、そんなこと気にしないわよ。むしろその子に感謝したいくらいだわ」

「それはそれで嫌味っぽいぞ」

 橘にはかなり強めの京都人の血が流れている気がする。本音を隠してしたたかに笑う表情は、本場でもきっと引けを取らないだろう。両親ともに千葉出身だけど。


 改めて紹介しよう。目の前の皮肉家なクーデレが、橘 琴葉。俺の高校の時からの親友であり、現在同じ東京大学に通う天才であり、そして、


 ────今日から一瀬 琴葉になる俺の妻だ。


 

「ま、なんにせよ。今日も付けて来てくれるくらい気に入ってるなら良かったよ」

「当たり前でしょう。今日くらいはね……」

「ま、そうだな」



 十二月二十七日。金曜日。そして、大安。

 

 今日、俺たちは入籍する。



「じゃあ、そろそろ行きましょうか」

「ああ、そうだな」


 玄関を開けると、当たり前だがまだ寒い空気が肌に刺さる。

 それでも、午後の夕陽はまるで春を迎えるように、温かく感じられたのだった。


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