湾曲した道程~俺がやるべきことは───



「あたし、実は稲藤先輩と同じ中学だったんですよね」


 ゲームセンターを後にした俺たちは、三階吹き抜け付近のベンチに二人座っていた。

 ちょうどクリスマスツリーの頂上の星と目が合う高さで、俺も朝比奈もツリーをなんとなく眺めていたので、最初は彼女が独り言を言ったのだと思った。だがそうではないらしいので、遅れて相槌を返す。


「……そうだったのか」

「はい、ソフトテニス部の先輩後輩だったんです」

「だったらなんで……」


 ────好きな人を知ろうとしすぎた結果、ミスっちゃった訳だ……


「俺よりもよっぽど君の方が、稲藤のことを知ってるはずだろ」

「……」


 俯いて何かを考え込んでいる朝比奈。何かまずいことを言ってしまっただろうか。

 しかし、彼女はゆっくりと顔をこちらに向けて、困ったように笑った。


「まぁ、色々あって……今の稲藤先輩のこと全然知らないんですよね」

「そうなのか」


 そんな表情をされて、深追いするほど愚かではない。

 簡単な相槌だけ打って、次の朝比奈の言葉を待つ。

 

「だから仲のいい一瀬先輩と話したら、何か分かるかもって思って……」

「それで俺とデートしようと?」

「最初は稲藤先輩の気を引くためだったんですけど……気を引けるどころか、じゃあ代わりに一瀬先輩が好きなフリしてくれって言われたんですよ! 酷すぎません!? あたしが稲藤先輩のことしか好きになれないの分かってて言ったんですよきっと!!」

「ちょ、落ち着いて。なんで稲藤はそんなことを?」


 早口でまくし立てる彼女を一旦制して尋ねる。

 稲藤が朝比奈にそんなことをさせて、何か得をするとは到底思えないが……。


「それを言えば私が諦めると思ったんですよ、きっと。だからあえて話にのった訳なんですけど……」

「それで後に引けなくなったと」

「本当にごめんなさい! 嘘ついてた上にこんな、利用するみたいな真似……」

「あー……」


 朝比奈が自分のことを好きじゃなかったと知って、少しもガッカリしなかったといえば嘘になる。そりゃあそうだ。こんな可愛い子に好かれて、嬉しくない奴なんていない。俺はそういうのに慣れてもいないのだ。

 でも、どこか。ガッカリする気持ち以上に、安心している自分がいた。その理由は、ちょっとまだ言語化できていないけれど。


「気にすんなよ。そもそも嘘は稲藤に頼まれたことだ、朝比奈が謝ることじゃない」

「でも、一瀬先輩には橘先輩という可愛い奥さんがいながら……あたし……」


 このしおらしい彼女がやはり素の朝比奈であるようだ。それ故に演じている時から罪悪感が募っていたのだろう。彼女はやはり思ったよりも演技が上手い。いや、あの小悪魔みたいな後輩キャラは一朝一夕で手に入れたものではなさそうだが。

 なんにせよ、彼女を責め立てたい気持ちは微塵もないので、ここは許されたいと請う彼女の良心を慰める。


「いや、いいんだ。正直橘と結婚できるかもう怪しいし」

「え、そうなんですか?」


 サラッと冗談のように軽く言ったのだが、彼女の面持ちは未だに真剣そのものだ。

 ……そこで思う。

 俺はそれを何とかするためにここに来たのではないのか、と。


「朝比奈。好きじゃない人と結婚するってどう思う?」

「また急ですね。何かあったんですか」

「いや、恋愛感情がないからなのか、あいつの気持ちが最近分かんなくてな。喧嘩……とは言わないか、すれ違いみたいな感じなんだ今」

「えっ、今更そんなことで悩んでたんですか? あんなに堂々と生放送で宣言しておいて?」

「う」


 朝比奈の悪気のなさそうな顔が、余計辛い。しかし、悩み始めてしまったのだから仕方がない。ここは恥を承知で、彼女との会話の中で解決の糸口を探る。


「そもそも恋愛感情があったって、すれ違いも喧嘩もしますよね? むしろ相手を好きじゃないからこそ、そこんとこ冷静になれるって感じじゃないんですか?」

「朝比奈……お前……」

 

 俺は思わず彼女の両肩をがっと強く掴む。突然のことに、びくっと彼女の肩が跳ねる。


「いや、え、どうしたんですかせんぱいっ」

「お前すごいな! 俺たちより俺たちの理論が分かってるんじゃないか?!」

「え、えぇ!?」


 そうだ、そうだった。『好き』なんて気持ちは移ろいやすいから、そんな不安定な感情に依存するなんて以ての外だ。そう橘と言っていたじゃないか。なんで忘れていたのか。

 いや、なんで、じゃない。理由は分かっている。橘の本音と向き合うのを恐れていただけだ。朝比奈から振り回される日々が楽だったから、無意識にそっちに逃げていたんだな……。

 

 それに気付けたら、俺がやるべきことは────


「悪い朝比奈! ちょっとここで待っててくれ!!」


 俺は出口めがけて駆け出した。そういえば、前にこうして地面を蹴った時も、橘のためだったな。大学入ってから運動なんて殆どしなくなったというのに。足が筋肉痛になる度にお前を思い出してしまいそうだ。なんて。


 ────ブルブル、ブルブル


 ちょうど駐車場に出た時、俺が今まさに取り出そうとしたスマートフォンが震え出す。

 電話のお相手はちょうど、俺が今まさに電話をかけようとしていた人物だ。


 雪が降りそうなほど冷たい空気の中で手はかじかむが、鳩尾みぞおちの奥が熱くなる。

 すうっと息を吸い込んで、白を夜に散りばめて、俺は名前を思いっきり叫んだ。


「橘……!! 明日のクリスマスイブ。会って話がしたい!!」

「一瀬………」


 周りの家族連れやカップルが、俺を横目にひそひそと話している。橘が返事するまでの時間が、長い。もう二時間くらい待ったんじゃなかろうか。いや画面を見ると、まだ電話して五分も経ってない。早く、早くなんでもいいから返事をしてくれ……。


「……ごめんなさい」


「え……?」


「本当にごめんなさい。今まで返信できなくて。私も、ちゃんと話したいです……」



 その言葉を聞いて。

 呼吸をやっと思い出したかのように、大きく息を吐く。

 初めて夕飯を囲んだ時と同じように、顔が少し綻んだ。


 大きな遠回りをしてきたような気がする。俺は橘のことをもっと知ろうとしなくちゃいけなかったのだ。恋愛感情があったってなくたって関係ない。一緒に暮らしていく人間と向き合わなくちゃいけないことに、変わりはない。


 さあ、聖夜に喧嘩でも始めようか。ふたつがひとつになれるかの分岐点。



 

 ────クリスマスイブまで、あと一日。



 

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