まあプリッツよりもトッポが好きなんですけどね。


「お前ならきっとできる。俺、琴葉のこと応援してるからな」

「ありがとう。本当に毎日のように電話してしまってごめんなさい」

「いや、俺も相談に乗ってくれて助かったよ。ありがとな!」

「ええ。じゃあ、そろそろ切るわね」

「ああ。うまくいくといいな」

「あなたもね」


 夏の燃えるような夕焼けとは打って変わって、淡く包み込むように優しい橙が、私の部屋に満ちていく。クリスマスイブは明日。


 彼は今頃どうしているだろうか────。






     *




「ギリギリセーフ……か?」


 腕時計は夕方五時ぴったりを指している。待ち合わせ時間ジャストだ。

 電車で十分のところにある、このショッピングモールで、例の彼女が待っているらしい。


 吹き抜けになったモール中央に置かれた、この巨大なクリスマスツリーが目印とのことだ。俺は彼女の顔も名前も知らない。世も冬休み。この人混みの中で、彼女が俺を見つけてくれたらいいが……。


「それにしても俺を好きな人ねえ。朝比奈に立て続けでそんな人が現れるなんて遂にモテ期来ちゃったかー、なんて……はは」


 俺が小声でひとり軽口を叩いていると、背中をぽんぽんと叩かれる。

 振り向くと、誰かの人差し指が俺の頬を突き刺した。


「先輩のほっぺ、ぷにぷにー!」


「な、なんでお前がここに!?」


 誰かの……否、それはあのあされんの指だった。彼女はにひひと太陽のように笑っている。やはりクリスマスツリーの前には似つかわしくなくて、クリスマスツリーに勝るくらい眩しかった。


「ま、まさか今日も俺をストーカーしてたのか!? 冬休みくらい一人にしてくれ!」

「なっ! 失礼だなーっ。今日はちゃんと公式にアポ取ってますよ」

「ひぇ? じゃあお前が稲藤に頼んだ子……?」

「はい、そうですよ?」


 そうだったのか……。まさかその二人が知り合いだったとは。さすが稲藤といったところか、その人脈は後輩にまで及んでいるらしかった。確かに朝比奈の容姿を考えれば、稲藤の目にもすぐまるだろうしな……。

 いや、でもおかしくないか。彼女は最初に俺と同じサークルに入ることで、接近してきた。そしてそれからも直接昼休みになる度に話しかけてきたのだ。



「なんで直接俺を誘わず、わざわざ稲藤に頼んだんだ?」


 彼女は少しだけ上を向いて逡巡する。しかしまたすぐに向日葵の笑顔をこちらに向けて答えた。


「単純に稲藤先輩に頼んだのがサークルに行く前だったんですよー。だって先輩がサークルに顔出せるかも、昼に会って話してくれるかも、ある種賭けじゃないですかー」


 だから少しでも確率を上げたくって、とあざとい表情で言った朝比奈は、誰の目にも明らかに可愛かった。こちらとしては願ってもないキャスティングだったが、やはりこんな目立つ子とデートなんて否が応でも緊張してしまう。


「それじゃっ、行きますよせんぱいっ」

「ど、どこに」


 急に抱かれるように腕を引かれ、どぎまぎしつつも彼女についていく。デートとはいえ、今日はこちらがあまりプランを考えたりなどしなくても良さそうだ。振り回してくれる人間と一緒にいるのは、こういう場面では楽だと言える。


「まずはプリクラです!!」

「嘘だろ……」


 そう、一瀬浩貴は写真を撮られるのが大嫌いだった────……。


 駄目だ、嫌すぎて三人称で語りを入れてしまった。振り回されるの全然楽じゃない、どうすればいい。なんとか回避を……。


「いやっ、ちょっとそれはまだなんかその……時期尚早というか、take it so soというか、デート始まっていきなりプリクラというのもなあ?」

「えー、あたし先輩との写真欲しいですもーん」

「ま、あとでな……」


 俺が今日考えなければいけないのは、この子と信頼関係が結べるのなら橘としたような結婚が出来うるのか、ということだ。

 俺の腕を引いて前を歩く朝比奈に、橘の姿を重ねる。橘と過ごした日常に、朝比奈の姿を重ねる。平行世界が浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。


 


「これ、似合ってますかね?」

「え、あ、ああ……」


 あれこれ考えている間に連れてこられた場所は、女性ものの洋服屋だった。

 朝比奈はプリーツロングスカートと書かれたところのハンガーラックからベージュのものをひとつ手に取って、自らの腰に当てて俺に見せる。俺はあまり女性のファッションには明るくないが、ポッキーよりはプリッツ派なのでとりあえず頷いておいた。


「もー、ちゃんと聞いててくださいよせんぱいっ」

「悪い。朝比奈さんはスタイルもいいし、何でも似合うんじゃないか?」

「でも身長はいつもブーツ履いてるんで本当はもっと背低いですよ」


 足元を見ると確かにかかとが数センチ高くなっている。これで橘と同じくらいだから……160ちょっとくらいだろうか。そう思うとやはり橘は女子の中では高い方なんだろう。いや、今は橘のことを考えている場合じゃない。


「そういえば、それいつもつけてるよな」


 ポニーテールを括った青いリボンを指差す。出会ってから今日までそれを外していた瞬間を見たことがなかったので、何の気なしに質問してみる。


「あ、これはですね……」


 その瞬間。

 朝比奈が店の奥の、更に奥を見つめるように目を細めた。そして見たことのない慈愛の表情を浮かべていたのだ。


「大切な人がくれたんです。だから肌身離せなくって」

「そ、そうなのか……」


 そのただならぬ雰囲気に気が引けて、俺は深く掘り下げるのは避けた。

 同時に、確信めいた違和感が俺の中で徐々に膨らんでいった────。




「パスタ美味しかったですねー!」

「そうだな」


 あれから、雑貨を見たり夕食を食べたりして、デートは概ね順調に進行していった。時刻はもう九時近く。そろそろ終盤だ。このまま忘れてくれていたらいいが……。


「じゃ、先輩! そろそろプリクラ行きましょ?」


 く、やはり駄目か……。そんな都合よく忘れてくれているはずがないよな。

 俺はまた例のごとく腕を引かれながら、ゲームセンターの方に連れられる。


 朝比奈と結婚したら、休日出かける度にこんな風に振り回されまくるんだろうな。朝起こしてくれる時は、やかましそうだ。布団まで引っぺがされて、耳も引っ張られるかもしれない。それこそ些細なことで写真を撮ろうって言い出して、俺は嫌々ながらもアルバムを見返して微笑ましく思ったりするのかもしれない。

 俺から見た朝比奈花蓮という人物はそういう人だ。



「お前と結婚したら楽しそうだよな」



 アーケードゲームの効果音やらBGMがけたたましく鳴り響くこのフロアで、俺の呟き声は彼女に届かない。気付く様子もなく、ずんずんとプリクラ機が並ぶコーナーまで朝比奈は歩いていく。

 辿り着いたところで俺は、もう一度声をかけた。引かれていた手で、朝比奈の手を引いて。


「なあ」

「え、ちょ、なんですか先輩。こんなところ連れ込んで」


 喧騒から少しでも離れようとプリクラ機裏で話そうかと思ったのだが、思ったよりも幅が狭い。両肘が朝比奈の身体を囲うように壁に密着している。まるで壁ドンだ。しかしながら、あまり大声では言いたくない内容なので仕方ない。


「朝比奈……」

「急に呼び捨て?! 怖いですよ先輩、まさか襲うんですか? 急に男にならないでくださ────」



「お前、本当は俺のこと好きじゃないだろ」



 朝比奈の戯言を遮って、俺は核心に迫る一言を彼女に突き付けた。


「……え? そ、そんなこと気にしてたんですか? あ、まさか最近流行りのメンヘラ系男子ってやつですか? あたしはそういうの好きじゃないですよ?」

「そういう冗談はいい。そもそも、朝比奈は元々人を振り回すような人じゃなかったんじゃないのか?」


 わかったようなことを言うな、と言われたらそれまで。しかし、彼女に対する違和感は出逢った当初からあった。時折これが本当の朝比奈なんじゃないかと思わせる瞬間が、幾度かあったのだ。それが今日、やっと確信に至ったということ。勘違いならはなはだ迷惑な話ではあるが……。


「ははは、あたしそんなに演技下手だったかなー」

 

 そう困ったように顔を少し赤らめて笑う朝比奈は、今までの小悪魔みたいな笑顔とはまるで違って、むしろどちらかというと気弱な子に見えた。それは、彼女の言う『演技』がけして下手ではなかったことを意味する。実際今日まで俺も確信することができなかった。

 しかし、表情や性格は誤魔化せても、彼女が心に持つ感情だけは誤魔化すことができなかった。彼女は嘘をついていた。一瀬浩貴が好きだという嘘。それこそが、俺が彼女の演技に気付けたヒントだった。


「よくよく考えれば、朝比奈が俺のことを知ろうとしたことなかったもんな。昔の部活だったり、俺がデートで行きたいとこだったり、話題を俺に振らなかった。それは好きな人相手なら有り得ないんだよな。普通は、好きな人のことって興味持つし、色々聞くだろ? だからおかしいなって思ったんだ」


 悪く言えば自己中で、良く言えば活発な朝比奈だからこそ、その違和感に気付くのが遅くなったのだ。まあ、その性格も『演技』だったみたいだが……。


「そっかあ……。好きな人を知ろうとしすぎた結果、ミスっちゃった訳だ……」


 彼女がなにやら意味深な言葉をぽつりと零す。俺に近づいたのは、本当に好きな人に近づくため……という意味か。憶測を刹那の間に済ますが、それ以上はわかりようがない。


「朝比奈は、なんで嘘なんかついたんだ?」

「……ばれちゃったら仕方ないよね」


 誰に問うでもなく自分の中で自問自答して、朝比奈は顔を上げて俺の目をじっと見る。

 その顔はもう笑っても困ってもいなかった。ただ、真剣な表情で口を開いた。


「一瀬先輩が好きなフリをしてくれって、頼まれたんですよ。好きな人に」


 その人はいったい……。

 俺の疑問が声に出ていたかは分からない。だが、結果的に朝比奈はその問いに答えてくれた。

 


稲藤いなふじ先輩です。あたし、彼のことがずっと大好きだったんです」


 

 彼女が言い終えてから、やけにゲーム機の音が頭に耳に貼りついてくる。

 それからすぐに聞き覚えのある声が脳裏にフラッシュバックしてきた。



 ────……いい結果を期待してるよ。



 彼女が口にした名前に俺が驚いたことは、言うまでもない。

 数時間前、彼がその時何を思ってどんな顔をしていたのか。俺は今更ながらに気になって仕方がないのだった。

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