第2章 始点→終点

掃除も確定申告も先延ばしにしてはいけない


『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない』


 これは、日本国憲法第24条1項によるものだ。

 憲法条文のメジャーどころは高校の時に暗記していたが、念のため本棚から六法全書を引っ張り出して確認した。

 ちなみに、大学の講義に必要とかではなく、趣味で買ったものである。

 ついでに民法のページも見ておこうか。


『男は、十八歳に、女は、十六歳にならなければ、婚姻することができない。』


 第731条、婚姻適齢の規定である。

 もっとも、再来年からは男女ともに十八歳以上と法改正される。

 また成人年齢も同じく十八歳以上に引き下げられるので、未成年者が親に同意を求める必要も今後はなくなるのだ。


「俺も橘も、もう二十歳だから関係ないんだけどな……」

 

 なぜ俺がこんな東大生東大生しているかといえば、答えは簡単だ。

 普通に、ただ単純に、テンパっていた。


 ──じゃあする? 結婚。


「気持ち悪い……。心底自分が気持ち悪い……」


 どんなプロポーズだ。

 しかも酒の勢いとか一番俺が嫌いなやつじゃないか。

 

 どうやって帰ったのかさえ覚えていない。

 ただ記憶の混濁の中、寝起きの俺が覚えていたのは、自分が橘にそんな言葉を投げかけたこと。そして、それを受け止められてしまったことだ。


「一体これからどうなるんだ……」


 今日は幸いにして土曜日だったため、なんとか頭を冷静に保とうと結婚についての文献を読み漁っていたのだ。

 うん、この行動がすでに冷静な判断に基づいていなさそう。 


 広くはないワンルームの、白い壁紙を覆い尽くすほどの大きな本棚には漫画から大衆文学、果てには広辞苑まで幅広く取り揃えられている。


 そして透明なガラステーブルの上には、重々しい六法全書と、結婚に関するサイトのコピーが散乱していた。

 他にも、いつ投函されたか分からないようなチラシや干し終わった洋服がぐちゃぐちゃに積まれている。

 さすがに片付けなくては……。


「…………」


 いや面倒だな。

 なんと幸運なことに明日も休日だ。

 つまり、今慌ててやる必要なんてどこにもない。よし、そうしよう。


 週休二日というゆとり教育の名残に感謝しつつ、俺はベッドにごろんと寝転んだ。

 さてぼんやり動画でも見ようかとスマホを取り出したところで、ブブブブと手の中でそいつは震えた。

 メッセージが届いた通知音だ。


 アプリを起動すると、送り主はたちばなだった。

 昨日の今日なので恐々とその内容を確認する。


『今からそっち行くから』


「ん!?」


 驚きの一文目に思わず声を漏らす。とりあえず唾を飲んで下に続く文章を目で追った。


『ちゃんと昨日のこと、話し合いましょう』

 

 そうだ。

 一人で本を開いて考えたって、仕方がなかったのだ。仕様がなかったのだ。

 

 ───婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し……


 そう、結婚はいつだって二人の中点に存在すべきものだ。

 橘というもう一人の当事者がいない限り、俺の心のもやもやも、未来像の靄々もやもやも解消されることはない。


 しかしながら、俺ひとりでも出来ることが、ただひとつだけある。



「そ、掃除……!」



 橘が千葉の実家からここまで到達するのに約一時間半。

 その間にダイニングはもちろん、念のためキッチン回りやトイレに至るまで。

 

 妄想上のゴングが鳴り響いて、師走のタイムアタックが始まったのだった。

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