第15話 少女アルテ
マスターは眠っているだけだと理解したアルテは、あれからたくさんのことを考えた。
あの金剛石は猛毒ではなかったのか。それとも、やっぱり猛毒で、眠ったら一生起きないような類の症状を引き起こすのか。しかし今日一日であまりに色々なことを経験して思考したアルテには、すでに余裕はなかった。
いつのまにかアルテはクラッシュしていた。マスターの眠るベッドに突っ伏したまま、口や鼻、耳などから煙が噴き出し、そのまま自己修復という眠りへと入っていったのだ。
「おはよう、アルテ」
「おはよう……ございます、マスター……」
目を開けると、そこにはマスターがいた。
アルテはやさしく頭を撫でられていた。
窓の外はすでに明るくなっていて、澄んだ陽光が差し込んでいた。
「じゃあ、オルキンスさんとは仲が悪いわけじゃなかったんですか?」
「うん、彼は親友だよ。騙してごめんね」
アルテはマスターから『アルテ感情発露計画』の全貌を聞いた。あまりに多くの仕掛けがあったため頭の中で整理しきれなかったが、断片的に記憶することはできた。
アルテが自分に隠れて日誌を読んでいたことを知っていた。
そこからアルテには感情が芽生えていると判断し、計画を思いついた。
日誌に嘘を書き、アルテに二つのことを認識させるよう誘導した。
それは『自分が困っていること』と『オルキンスが金剛石の情報を持っていること』。
「……そして、あとはアルテがどういう行動に出るか。そこまでは僕にも分らなかった。でもどうやら上手くいったみたいだね」
アルテはぼーっと聞いていたが、一つだけわからないことがあった。
「でもどうして、わたしがマスターの力になりたいって思ってることがわかったんですか?」
不思議な顔をするアルテに、マスターはにっこりと笑って答える。
「アルテの顔がそう言っているからかな」
「えぇっ!?」
驚いたあと、姿見の前まで行って自分の顔を確認するアルテを見て、マスターは満足そうに笑う。
「というのは冗談。人間はねアルテ、だれもがみんな、好きな相手の役に立ちたいと思うものなんだ。僕はアルテに好かれているから……それはつまるところ、なんとかして僕の力になりたいと思っている、ってことになるわけだ」
アルテはむすっとして言う。
「マスター、それは自意識過剰というのでは……」
「ん、まぁ……そうとも言うかな」
照れるように笑うマスター。
その姿を見て、アルテはようやく現実味を感じ始めた。
なんかよくわからないけど、いつものマスターがいてよかった。
本当によかった。
そう思ったら、今度は別の涙がこみあげてきた。
アルテはうつむいて、小声でマスターに言った。
「マスター。もうこんなひどいことしないでください。わたし、本当に悲しくて、マスターが死んじゃったと思って、壊れちゃうところだったんです……」
「……ごめんね。実は僕もまだ、アルテに感情が芽生えているかどうか、絶対の自信はなかったんだよ。だから……うん、心の中ではまだ君を機械人形として扱ってしまったのかもしれない」
声のトーンを落としてそう話すマスターの姿は、すこしだけ小さくなったように見えた。
――失敗は誰にだってある。逆に言えば、人間だからこそ失敗をするんだ。
マスターも人間だ。だから間違うこともある。
反省の色を示すマスターの姿から、アルテはまたひとつ学んだ。
ふと、アルテは重大なことに気がついた。
いつのまにか、マスターに感情を出していることに対してのあの気持ちがなくなっていたのだ。
「マスター、ひとつお話していいですか?」
「ん? ああ、いいよ」
「わたし、感情を出してはダメだと思っていました。ずっと」
「うん」
「なぜかというと、感情を出してしまったらマスターの目的が達成されてしまうからで……だからそうなったら、わたしは存在する意味がなくなってしまうと思っていました」
「うん」
「でも、今は全然そんな気持ちがなくなってしまったんです」
アルテは今の自分の気持ちをすべて、なんのオブラートにも包まずにストレートに発信している。
それは言葉を発するたびに相槌を打ってくれるマスターの包容力のためなのか、それともその場の雰囲気なのか。アルテにはまったくわからない。
マスターは、自分に向けられたアルテの瞳をしっかりと見て答える。
「それは、君が人間になった証拠だよ」
「……え?」
「機械は人間のために造られる。人間が使わなければ、機械は質量を持った単なる物体だ」
「……」
「でもアルテ、君は違う。君は今回の件で、僕の力になろうと『自分の意思』を持って動いた。だからもう機械じゃない」
マスターの手がアルテの頭に置かれる。
「ただそれだけの、簡単な理由だよ」
そしてマスターはにっこりと微笑んだ。
アルテはぼーっとしていた。
今さっきマスターに言われたことを頭の中に記憶し、なんども繰り返し再生する。
わたしが人間になったから?
わたしの体は機械でできているけど、それでも人間?
どこがどういうふうに?
マスターはそんなアルテを見てくすくすと笑みをこぼした。
「アルテ、人間っていうのはとっても複雑なんだよ。だから焦ることはない。これからすこしずつ学んでいけばいいんだ。君は経験を糧に成長することに関しては僕ら人間なんかよりずっとすごい才能を持っているんだから、ね」
アルテはマスターを見る。
じーっと見つめているだけで、なんだか全身が温かくなるようだった。
両手をグッと握りしめて、うん、とうなづく。
「はい、マスター。わたし、頑張っていろんなことを学びます!」
笑い合う二人はどこからどうみても、『青年と少女』だった。
シューっといきなりアルテの耳から煙が出た。
アルテは煙をとめるように両耳をふさぐ。
「あ、そういえば昨日はメンテナンスできなかったね。よし、今からやろう。ちょっと失礼」
そう言っていつものようにアルテの服を脱がそうとするマスターだったが、アルテは反射的に一歩あとずさった。
「アルテ?」
「あ、えっと」
首を傾げながらも、困惑するアルテの服をつかもうとするマスター。
アルテはその手を払い、自分の胸を守るようにして腕をクロスさせた。
「ど、どうしたの?」
「じ、自分で脱げます。だからマスターは、その……うしろを向いててください」
口をあけたまま無言で後ろを向くマスターの表情は、まるで満天の流星群を見たあとのようだ。
マスターは思った。
メンテナンスができる女性技師がひとり必要になるかな。
しかもそう遠くないうちに。
いそいそと服を脱ぐアルテと、感動に打ち震えるマスター。
そんなどこか微妙な感じの空間に、インターホンの音が鳴り響く。
外には、ひげをそって髪を切り、身だしなみを整えて契約書を手に持った長身の男が立っていた。
自律思考型成長機構搭載オートマタ アルテ 空ノ @mistral101
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます