おまけ;慰安旅行

後日談、タツミが工房に馴染んでからのおはなしです。

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「そうだ、温泉行こう」


 刺繍へ静かに没頭していると思ったクヅキがなんか言った。

 不意をつかれたタツミは聞き返した。


「え? はい?」


「温泉に行きたい。どうせ金は余ってるんだし、慰安旅行に行こう」


「おんせん……? て、なんですか?」


 タツミにとって温泉は聞き慣れない言葉だった。

 そもそも風呂の習慣がないのだから、温泉文化もあまりメジャーでない。


「温泉ってのは、あれだ、天然で地面から沸いてる、なんか入ってたり濁ってたり臭かったりするお湯に入るやつ」


「……え」


 タツミは濁ったり臭かったりするようなお湯に入りたくはない。


「……それは、なにがいいんですか……?」


「ん。俺も実際に行ったことはないけど。たぶん気持ちいい」


 気温の寒い季節は、クヅキは盥にお湯を入れてもらって体を洗う。だからお湯に浸かるのは気持ちいいだろうと見当がついた。

 そして温泉とかいうやつに興味があった。


「……え、まじですか……?」


 タツミにはさっぱり想像がつかない。

 クヅキは魔力シャワーをゲロかけられるみたいだと言うが、タツミには臭いお湯に浸かる方がゲロに入るみたいだ。


「まじだって。あと、なんか体にいいって魔視台テレビで言ってた」


 温泉文化はあまり流行ってないが、一部マニアの趣味以外にも湯治というのはある。そういう番組をたまたま見たらしい。


「そんな……まじなのか……」


 でもタツミは湯治なんてまったく知らない。意味が分からなかった。


「よし、さっそく計画だ」


 刺繍を放り出し、机の上に紙を広げる。

 頭にでかでかと「いあんりょこう」と書いて「おんせんへいく!!」と続ける。っていうか、漢字書けないのか?

 さらに「いくところ」「にしいず」と書いた。


「にしーず……? 聞いたことないです」


「西伊豆は温泉がいっぱいあって海も綺麗で山が迫ってて食べ物もうまい。ってテレビが言ってた」


 “西伊豆”にはなんかファンタジーっぽい地名でも入れておいてくれ。


「二泊三日。旅行経費はもちろん全部工房持ち。行きたい人はだれでも参加可能」


 クヅキはさくさくと決めていく。


「家族とかいて旅行には行けないって人は、そうだな、旅行代金の半分ぐらいを現金支給。慰安だからな」


 紙の下の方に「いくひと」と「いかないひと」の書き込み欄を作った。選べるらしい。

 なるほど、なかなかホワイトだ。タツミはゲロに入るより現金を貰う方が嬉しい。


「まず行くのは、俺とタツミ」


 クヅキは行く人の欄に自分の名前とタツミの名前を書いた。

 タツミに選択の権利はなかった。ゲロ決定だった。

 なんてさすがにタツミもイヤだ。


「いや、え、ちょ。俺、その」


「楽しみだな!」


 すっげーきらっきらした笑顔でクヅキに振り向かれて、タツミは行きたくないとは言えなくなった。


「……そう、ですね」


「よし。みんなにも聞きに行くぞ」


 クヅキは紙を持って立ち上がった。


 ***


「あ? 温泉? また唐突だな」


 クヅキが最初にやって来たのはライドウのところだった。


「西伊豆の慰安旅行だ。いいだろ?」


「そりゃまぁ。お前が行きたいってんなら、介助についていってやってもいいが」


 クヅキが魔導紋や刺繍以外に興味を示すのは珍しい。それはライドウもいいことだと思う。


「だが、俺は温泉なんかには絶対入らないからな」


 ライドウも温泉否定派だった。中身は枯れたジジイだが、合理的魔術師なので入浴趣味なんて妙なものはない。


 後ろで聞いていたタツミもなるほど、と思う。なにも慰安旅行へ行ったからといって温泉ゲロに入らなければいいのだ。


「いいよ。温泉のなかはタツミに頼むから」


「……」


 扉も蛇口もままならないクヅキが一人で温泉へ入れるわけもなく、タツミには入浴しないという選択肢もないらしかった。


「そうしろ。西伊豆か。確かイセエビが食べられるな」


 にやりと笑ったライドウも楽しみそうで、これは本当に行くはめになるのだろう。


「たまには上げ膳据え膳ってのもいい」


 クヅキがライドウの名前をリストに書き入れた。


 ***


「はぁ? 温泉? どうせ行くなら泳げるビーチとかがいい!」


 ブロッサの部屋へ行くと、ブロッサとヒナコがいた。


「そうねぇ。温泉は、ちょっと」


 クヅキの提示した温泉にブロッサは全否定、ヒナコも難色を示した。

 そのまま反対してください、とタツミは心の中で熱烈に願った。


「西伊豆なら海水浴場もあるし、海が透明だからシュノーケリングもできるぞ」


 クヅキが恐らくテレビの受け売りを偉そうに言う。


「へえ、そうなの?」


「ああ。昼はプライベートビーチで泳いで、夕日を見ながら温泉で温まって、駿河湾の海産物とうまい酒をきゅっといけるぞ(地名は以下略)」


 ブロッサとヒナコが顔を見合わせる。


「それに温泉は美人の湯って言って、お肌つるつるになるらしいぞ」


「……あら。いいじゃない」


「そうねぇ。慰安旅行だっていうなら、行ってもいいかも」


 温泉以外の楽しみがあるのなら、とブロッサとヒナコも参加を了承。

 クヅキはリストに追加した。

 タツミの絶望も追加された。


 ***


「温泉。行かない」


 モズクはにべもなかった。


「……だよな。一人ぐらい留守番してくれる方が安心だし。費用計算だけ頼む」


 モズクがこくりとうなずく。

 クヅキは行かない人リストにモズクの名前を書いた。

 タツミは羨ましかった。


 ***


「へーえ! 慰安旅行!」


 最後に大部屋へ行くと、時間帯が微妙だったのかお針子のおば……お姉さんたちはあまりいなかった。

 とりあえず手近にいる人たちに声をかけると、リーリエ――初めてタツミがミシンを使ったときにいろいろ面倒を見てくれたおばちゃんだ――が大きな声をあげた。


「たまにはいいじゃない。ねぇ」


 乗り気らしい。温泉なのに。

 リーリエはさっさと参加者欄に自分で名前を書き込んだ。


「うちは子供も小さいし、二泊三日はきびしいかなぁ」


 横から覗いたお姉さんはそう言う。


「わたしも介護があるからねぇ」


「旅費がでるなら行きたいー」


「正直、現金もらえると助かる。ごめん、工房長」


 おばちゃ……お姉さんたちの反応は様々で、しかし参加可能者のほうが少なそうだった。


「おう。いいよいいよ。好きな方を選べ」


 タツミには聞きもしなかったのに、お姉さんたちにはクヅキは鷹揚にうなずいた。


「この紙ここに貼っとくから、今いない人にも聞いといてな」


 ***


「慰安旅行? 行く行く!」


 夕方になってやって来たアリスは、話を聞くなり食いぎみに手を挙げた。


「……温泉だぞ」


 そんなアリスにタツミは小さい声で釘をさす。


「……え、温泉て、なに?」


 アリスもこそっと聞き返してくる。


「……なんか、臭いお湯とかにつかるらしいよ」


 アリスは一瞬おののいた。が、脳内で「クヅキと旅行に行ける」と「臭いお湯につかる」がせめぎあい、即座にクヅキが勝った。


「行く! 行きます!」


 タツミはこいつすげぇと思った。


「お、アリスも行くか! あ、でもお前、学校休むのか?」


 クヅキが言った。


「え?」


「学校休んで旅行に行ったら怒られないか、アリス」


「休みのときに行くんじゃないんですか、慰安旅行」


「うん。休みのときなんて道も混むし行きたくないだろ。平日に行きます」


 アリスがうううと唸る。


「休みます……! 学校、休んで行きます」


「ダメだろ。今回は諦めろ。現金支給もあるから」


 別に! お金がほしいわけじゃない!

 相変わらずデリカシーにかけたクヅキの発言にアリスはぐううと唸った。

 鋭い視線をタツミに向ける。


「……タツミ、行くの?」


 別に行きたいわけではないが。ほぼ強制的に。


「……うん、参加」


 アリスが呪い殺してきそうな目で睨んでくる。

 タツミの心中など知りもしない。タツミはそっとため息をついた。


「お、おみやげお願いします! クヅキサン!」


「おう。なんか温泉まんじゅうとかいうのがあるらしい」


「……できれば、食べ物じゃなくて、残る物でお願いします」


 クヅキが不参加者にアリスの名前を書き込んだ。


 ***


 そんなこんなで某月某日。

 某工房の温泉慰安旅行が決行された。

 その模様は、まぁどうでもいいがおおむねこんな感じになった。




「すご! すご! クヅキさん! 海! 海! 海見えますよ!」


「……タツミうるさい。酔ってんだよ。声かけんな。……うう、きもちわるい」




「わあ! 海水浴! 俺、海で泳ぐの初めてです!」


「……まだ泳ぐには寒いだろ。ブロッサたちとシュノーケリングにしろよ」


「はい! クヅキさんも行きますよね」


「……やだ。泳げないもん」



「おおお! これが! 温泉! え、臭くないじゃないですか」


「……硫黄泉じゃないからな」




「おお! すげ! オーシャンビュー! 夕日! 海に夕日が沈んでますよ!」


「騒がしいな。西に日が沈むのなんて当たり前だろが。いいからちょっとこのシャワーひねって」




「なんかぽかぽかして、いいですねぇ」


「…………のぼせた。出る」




「ふわあ。なにこれ。まっさーじきもちいいー。きもちいいですよ、クヅキさん」


「……俺はいい。他人に触られんのやだ」




「おおおおお! 夕飯!? これ、これ全部で一人分ですか! すげー豪華! うわ、なにこれおいしい! エビ? アワビ? うわあ!」


「……もう食べられん。タツミ、やる」




「お酒? いえ、さすがに、俺、未成年なので。ちょっと舐めるだけで。……くうぅぅ~」


「……胃が。きもちわる。寝る」




「花火だ! クヅキさん、花火ですよ!」


「……うるさ。寝られん」



 ***


「はああ。温泉、楽しかったですねぇ」


 旅から帰った寂寥感に包まれつつ、タツミはしみじみと言った。

 心なしかその頬はつやつやぷるんとしている。


「また行きたいですねぇ」


 じとりとした視線をクヅキが投げた。


「お前、タツミ。お前には“最も温泉を楽しんだ男”の称号をくれてやる」

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志望理由;野垂れ死ぬよりはマシかなと思いました。 たかぱし かげる @takapashied

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