銀色自転車とふわふわの宇宙

仔月

銀色自転車とふわふわの宇宙


温かいものがほっぺたを伝っている。それをごまかすように、足をずんずんと進めていく。目指すはひみつきち。ぼくだけの場所。あそこならば、太一(たいち)くんも陽(よう)ちゃんもいない。気が付けば、目の前にはボウボウの草むらが広がっていた。どの草も見上げてしまうほどに高い。注意深く、あたりを見る。よし。誰もいない……今だ!足をぐっと踏み出す。瞬間、ほっぺたが熱くなる。手をあててみると、そこには赤いものがべったりと張り付いていた。横を見る。一本の草から、ざくざくとしたものが伸びていた。また、温かいものがあふれてくる。


「……えぐっ……」


思わず、声を出しそうになる。そのとき、いつもの声が聞こえてきた。


「おーい。翔(かける)―。どこにいるんだー。返事しろー」

「翔ちゃん~どこにいるの~」


太一くんと陽ちゃんだ。ぼくは必死にガマンする。あそこはぼくのひみつきちなんだ。だれにも教えるもんか。


「たっく、翔はどこにいったんだよ。夏休み、どこにも行かなかったことをちょっとからかっただけじゃんか」

「でも……ちょっと言い過ぎなんじゃ……」

「ああ……? なんて?」

「……ごめんなさい……」


陽ちゃんは泣きそうな声をしている。思わず、飛び出しそうになる。そうだ……陽ちゃんは悪くない。悪いのは太一くんだ。でも、ぼくと陽ちゃんは、太一くんに逆らえない。何度も、太一くんから離れようとした。けれど、クラスでいじめられている人を見るたび、心がふるえだす。ああなりたくない。痛いのはイヤだ。


今も、太一くんの怒鳴り声が聞こえてくる。


(ごめん……陽ちゃん)


なさけなかった。涙と声をひっしにがまんして、ぼくは進んでいく。奥へ、奥へと。


やがて、ボウボウの草がへってきた。もう、ひみつきちは目の前だ。やっと、ぼくは息をつく。ここには、ぼくしかいない。そう思うと、身体の力が抜けてきた。まだだ。休むのはひみつきちに着いてからにしよう。力をふりしぼる。そして、目の前の草をかきわけ、ぐっと踏み出す。まぶしい光が飛び込んでる。思わず、目をとじてしまう。あまりにまぶしくて、ぼくは何度もまばたきしてしまう。そのうち、目が慣れてきた。草原のなかに、ぐるりとくりぬかれたかのように、丸い穴がある。いつもの場所、ひみつきち。そのはずだった。


そこには知らない人がいた。こちらを振り向く。真っ赤な髪。吸いこまれそうな瞳。


「やあ、少年。はじめまして」


女の人が声をかけてくる。綺麗な声だった。


「おねえさん……だれ?」


じりじりと後ずさる。どうして……?ひみつきちの場所はだれにも言っていないはずなのに


「そうだね……宇宙人……と言ったら、信じるかな?」


そう言って、にやりと笑う。


「おねえさん……宇宙人なの?」


その言葉を聞き、ぼくはムズムズしてしまう。宇宙人、ぼくはヒョロヒョロのタコのようなものを想像してしまう。けれど、おねえさんはそうではなかった。どうして……いくつもの疑問が浮かぶ。


「そうだよ……おねえさんはね。遠い遠いところから来たんだ」


その日から、ぼくとおねえさんはともだちになった。



「それでさ……太一くんはひどいんだよ。すぐ暴力をふるってくるし……」

「なるほどね~この星にはひどいヤツがいるもんだね」


そう言って、おねえさんは怒ってくれる。ぼくのために。そのことがとてもうれしかった。


「それよりも、おねえさんの星の話を聞かせてよ!」

「いいよ。どこまで話したかな。そうそう、ふわふわの海の話をしたところだったね」


なんでも、おねえさんの星にはふわふわの海があるらしい。まるで、出来立てのオムレツみたいにトロトロ。なかには、たくさんの星がつまっていて、夜になると、星たちが飛び出してくる。そして、朝になると、また、海のなかに帰っていく。オムレツのお布団へ。


「いいなぁ。ぼくも行ってみたいな。おねえさんの星に」


そうだ。本当は、ぼくはこんなところにいたくない。もう、太一くんにおびえるのはイヤだった。


「じゃあ、行こうか。遠い遠いところへ」


おねえさんの瞳が光る。黒々としたものが渦巻いている。それを見て、ぼくはちょっとだけ怖くなった。今にも、吸いこまれてしまいそうで……けれど、太一くんへのこわさのほうが大きかった。


「うん……行こうよ。おねえさん……もう一人連れてきてもいいかな?陽ちゃんっていうんだけど……」


そうだ。おねえさんの星へ行けるなら、陽ちゃんも連れていこう。もう、おびえなくてもいいんだ。


「うーん、少年。これはひみつの旅行なんだ。だから、わたしたちだけで行こう。な?」


「ひみつの旅行」その言葉に、ぼくの心はぐっと引き寄せられる。


「わかった……」

「よし、ちょっと待って」


そう言うと、おねえさんは草むらのなかに入っていった。やがて、おねえさんは出てきた。その手には、銀色の自転車があった。おおきな車輪。おおきなサドル。かっこいい。ぼくの目はひきつけられる。


「少年、後ろに乗って」


おねえさんがうしろのサドルをたたく。サドルに手を置き、ウンと力を入れる。身体をぐっと持ち上げ、サドルに座る。そこにはふかふかのクッションが敷かれていた。


「よし、行くよ。ふりおとされないように、ちゃんとつかまってな」


おねえさんのおなかに手を回し、身体をギュッと寄せる。温かい。ぼくのなかのモヤモヤしたものが晴れていく。


おねえさんがペダルをこぐ。大きな車輪がまわる。そのとき、おかしなことがおこった。浮遊感。下を見ると、いたはずのひみつきちが小さくなっている。ぼくたちは浮いていた。見えない道を通り、自転車は空をかけていく。


「……すごい……!」

「はは、すごいだろー。少年、宇宙人はすごいんだぞー」


いまや、ひみつきちは豆粒のように小さくなっていた。ちょっとだけこわくなる。そして、おねえさんのおなかをギュッとつかむ。


「少年、前を見な。凄いものが見れるよ」


前を見る。そこにはまぶしいものが広がっていた。星だ。どの星もキラキラと光っている。。こんぺいとうみたいで、食べてしまいたくなる。そのとき、おねえさんがひとつの星に手を伸ばした。


「少年、どうだい?」


そう言うと、おねえさんはそれをぐっとわたしてきた。ぼくは、落っこちてしまわないように、おねえさんにしっかりとだきつきながら、それをつかむ。見てみると、それは水色の星だった。ひんやりと冷たい。思い切って、口のなかに入れてみる。すると、甘酸っぱいものが広がる。


「サイダーだ!」

「はは、なるほど。サイダーか。良いね。どんどん行こう」


そうして、ぼくたちは星の海をわたっていく。



おねえさんがペダルをこぐ。カラカラ、カラカラ。車輪がまわる。あたりにはまっくろなものが広がっている。それを見ていると、心のなかがざわざわしてくる。気付いたら、ぼくの手はプルプルとふるえていた。そのとき、聞いたことのない歌が聞こえてきた。おねえさんだ。優しい声。いつのまにか、ぼくのふるえは止まっていた。思い切って、ぼくも口ずさむ。おねえさんの歌を聞きながら。調子っ外れな歌。だけど、おねえさんは何も言わず、聞いてくれていた。ここにいていいよ と言われているようでうれしかった。


目の前には、まっかな星があった。近づくにつれて、汗が止まらなくなってきた。


「おねえさん、あついよ……」

「少年、がまんだ。良いものを見せてあげよう」


そう言うと、おねえさんはスクッと立ち上がる。そうして、まっかな星に飛び込んでいった。おねえさんの背中に手を伸ばす。けれど、手は届かない。おねえさんはゆっくりと落ちていった。ボチャン。そんな音が聞こえた。そして、おねえさんは顔を出す。まっかな星のなかから。


「少年も来な。気持ちいいよ」


声が聞こえてくる。まっかな星とのあいだには、まっくらなものが広がっている。思わず、足がすくんでしまう。


「大丈夫だ。少年、わたしを信じろ」


足が震える。それでも、ぼくはそれをひっしにおさえる。そうして、目をギュッとつむり、飛び込む。まっかな星へと。


ぼくはクルクルと回転していた。このまま、何もないところへ落ちていくのだろうか。そう思っていた。そのとき、身体が温かいものに包まれる。ビックリして、目を開けてしまう。すると、まっかなものが飛び込んできた。手を動かす。ぐっとしたものがひっかかる。けれど、動かすことはできる。そう、プールのなかみたいだ。


「少年、こっちだ」


声が聞こえる。上からだ。そして、ぼくはのぼっていく。真っ赤な海のなかを。


顔を出す。そらにはまっくろなものが広がっていた。


「少年、どうだい? 温泉みたいで気持ちいいだろ?」

「うん!こんなものがあるなんて、知らなかった」


真っ赤な海。ここには、ぼくたちだけ。けれど、むねのなかはあたたかなものでみたされていた。



あれから、どれぐらいの時間がたったのだろう。あたりにはまっくろなものが広がっている。もはや、ぼくのほしは見えなくなっていた。むねのおくがしめつけられる。会いたくないと思っていたのに、太一くん、陽ちゃん、おとうさん、おかあさんのことが浮かんでくる。ほっぺたを温かいものが伝う。気付けば、ぼくは声をあげて、泣いていた。


「……おねえさん。ごめんなさい。ぼく、帰りたいよ」

「……そうか。仕方ないね。じゃあ、帰ろうか」


そう言うと、おねえさんは自転車の方向を変える。まっくろなものが広がるほうへと。



目のまえを見る、そこには黒い穴がある。それはぐるぐるとうずまいている。見ていると、吸いこまれてしまいそうで、ぼくは怖くなってきた。


「おねえさん……どこへ行っているの」

「大丈夫だ。少年、安心しな。少年のねがいは聞きとどけたから」


そうして、ぼくたちは黒い穴へと入っていった。クルクル、クルクル。視界がまわる。そうして、ぼくのからだはあちこちに飛び散っていった。おねえさんのからだも。やがて、ぼくたちはひとつになった。クルクルと回りながら、どこまでも落ちていく。




目を開ける。まぶしいものが飛び込んでくる。あまりのまぶしさに、涙がにじんでくる。これは……たいよう……?あたりを見わたす。そこはひみつきちだった。けれど、おねえさんはいなかった。おねえさんはどこへ行ったのだろうか……?


草むらの中を何度も探した。おねえさんはどこにもいなかった。まるで、最初からいなかったように。声をあげて、ぼくは泣いた。


やがて、たいようがしずんでくる。そうだ。いつまでも、こうしているわけにはいかない。陽ちゃんが心配しているはずだ。そう思い、ぼくはいつもの公園にむかう。


だが、そこには陽ちゃんの姿はなかった。それどころか、太一くんの姿もなかった。いつも、この時間にはいるはずなのに……もう、帰ってしまったのだろうか。


(せっかく、おねえさんとの旅行のことを話そうと思ったのに)


しょうがない。明日、学校で話そう。どんな反応をするだろう。二人の反応を考えると、ワクワクしてくる。調子っ外れな歌を歌いながら、ぼくは足を進める。ぼくの家に向かって。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

銀色自転車とふわふわの宇宙 仔月 @submoon01

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ