第28話 ピアニストの栄養補給

 有無を言わさない無言の圧力で、雪姫は焼肉屋へ連れて行こうとする。けれど、どうしても俺は着替えたかった。女子の恰好でいるのは嫌いじゃないけれど疲れるんだ。

 雪姫に頼み込んで、美月と先に店に行ってもらい俺は一度帰宅した。

 急いで着替えて顔を洗ってから、走って焼肉屋へ向かう。美月の制服は今度クリーニングに出してから返そうと思って、大事にしまうことにした。

 自分ではすごく恰好いいと思っている迷彩柄の七分丈のズボンと黒いTシャツを着る。

 年中不動のこのスタイルで家を飛び出す。

 駅の近くの焼肉屋だから、走ったら美月たちと同じタイミングで着くと思う。けど、雪姫が早足になってたから、もしかしたら待たせるかも。なんて思いながら走っていた。

 最近、なぜかこの道をよく走る。なんだか、既視感を覚える。ブルームーンに呼び出されて駅にいったときぐらい全力で走っていた。

 駅のちかく、聞いていた焼肉屋の入っているビルにつく。

 ビルの前で、俺がさっきまで着ていた制服のふたりが立っていた。

 片方は黒髪の長身の女で、ヘッドホンを耳にあて両手をブレザーのポケットにつっこんで、足を動かし、イライラを隠さず待っている。

 もうひとりは凛として立ちながらも、周囲をまったく気にしない様子で携帯を触っていた。

 人通りの多い駅前の道で、なぜかふたりはすぐに見つけられたことに気づく。あのふたり、なぜか視線が集まるのに、ちかくに人が寄りつかない。理由もわかった。雪姫がすごいイライラしてて怖い。俺も近づきたくない。

 待たせた俺が悪い。そう腹を決めて走って近づこうとしたところだった。

「お姉さんたち、高校生? どこいくのー? カラオケいかね?」

 染めて明るい髪色に、耳や手や首につけられた金属製のアクセサリー。外見に気を使っている男ふたりが、美月と雪姫に話しかけた。俺は正直すごいと思った。だって俺、街中で知らないひとに話しかけるなんてできないから。

 ただ、いまはやめてほしかった。美月と雪姫のどちらかでも、声をかけられてイヤそうな顔をしたら割って入ろうと決めた。

「で?」

 雪姫が声をかけてきた男にすこしだけ目を配って言う。威圧感とイライラを隠さずに。その目は、どこかへ行けと睨んでいる。

「ごめんなさい。待ち合わせしてるんです」

 美月はきっぱりと取りつく隙を与えず言う。言葉は優しいけれど、仮面を被ったような無表情で冷たい笑顔を浮かべた。笑わない目は、興味が無いと言っていた。

 美月と雪姫に声をかけた男2人は、俺の横を「やべえ」と言い合いながら歩き去って行った。

 雪姫が告白に対してもあんな様子で断ると聞いたのを思い出した。あれはこわい。

「えーっと、わるいおそくなった」

 手を顔の位置まであげて、腰を低くして近づく。

「あーっ、脱いでるーっ。つまんないー。しぐれー、もっかい女装してよー」

「お腹へったよ。にく。にく。たべる」

 雪姫がぐいぐい来る。俺の腕をとっていますぐにでも焼肉屋に連れていこうとしてくる。鼻息があらいし、言葉がカタコトに聞こえた。

「ちょっと雪姫がお腹減り過ぎておかしくなっちゃってるから、女装は今度な」

「わかったわ。じゃあ、今度いっしょに可愛い服を着ましょうね」

「なんか微妙にかわってね?」

「んー? 約束したもんっ」

 機嫌良く美月がそう言うと、俺と美月は、また雪姫に引っ張られるようにしてエレベーターに連れ込まれる。開いたエレベーターに、強引に乗り込まされると、焼肉屋の入っている階のボタンを、叩くように雪姫が押す。上昇するエレベーターの中、上がっていく数字をひとつひとつ数える雪姫の様子を見て、俺と美月はわらった。

 焼肉屋の階でエレベーターが開くと、肉の焼ける良い匂いがする。店内は、話し声とお皿の音と人の足音が混ざり合うぐらい騒がしかった。

 雪姫は俺と会ったときに外していたヘッドホンをもう一度つけなおしていた。

 その姿を見て俺はヘッドホンをする雪姫の肩をたたいた。

「大丈夫か?」

 雪姫は唇を尖らせて言った。

「我慢する」

 そういいながら、しぶしぶヘッドホンをはずしていた。

「美月といたときもこんな感じ?」

「歩いてるときはお話してたわよ。お店の前は、やっぱりうるさかったみたい」

「悪いとしか言いようが無いな」

 店員さんが何人ですかと聞いてきた。俺は3人ですと答える。すぐに席へと案内してくれるみたいだ。店員さんの誘導についていくなか、たまたまテーブル席にひとりで座っている女性を見つけた。それがどこかで見たことある顔だなと思った。

 俺の担任の女教師だった。

 そういやセブンが、昨日パチンコ屋で九鬼先生が大勝ちしたらしいことを言っていた。ギャンブラーはギャンブルで勝ったら焼肉へ行きたがるのだろうか。セブンも買ったときは焼肉とか寿司に行っている気がする。

 無視するのも気が悪いと思い、店員さんの誘導を外れて九鬼先生のところへ行く。

「先生、こんばんは」

 そういうと、九鬼先生は目をすこし開いて、俺を見てくる。

「なんだ、天宮か。ひとり焼肉か?」

「同じ学年の奴と、3人で来てる。皇樹と、えーっと、雪姫なんていうんだっけ。まぁ、音楽科のやつと」

「天宮、そのうち刺されるぞ」

 九鬼先生は俺を気にせず肉を焼く。熱された網の上で火がちらついた。銀色のトングで裏返した分厚い牛タンの脂が落ちて、また火が立っていた。しっかりと焼き色のついたタンを取り皿にのせ、黄色い皮を下にしたレモンをキュッと絞り、鉄製の長い箸を使い一口で食べた。

「すげえ、うまそうなんですけど」

「やらんぞ。それは当然だ。ひとり焼肉に関して、私はプロだからな」

「熟成されてる」

 先生は箸を逆に持ちビシッと音を立て、俺の頭を叩く。金属製の棒で軽く小突かれる。

「まったく。仕事終わりの年頃の女を捕まえて熟成されてるとは、なにごとか」

「いたいなぁ。どうせ昨日、スロットで勝ったから焼き肉食いに来たんだろ?」

「よし、天宮。牛タン食うだろー? おいしいぞ。せっかくだから焼いてやる。ほら、座れ、黙って座らんか」

「あいさつだけなんで、失礼します。ほら、他にも待たせてる人いるし、じゃ」

「調子の良いやつめ。またな」

 手をひらひらさせて振る九鬼先生に頭を下げて、テーブルを移動した。

 店員さんからお店のシステムの説明を受けている美月と雪姫を見つける。雪姫は真剣にメニューを見ていて、美月は店員さんの説明にうなずいていた。

 4人掛けのテーブル。手前と奥の席にそれぞれひとりずつ座っている。雪姫と美月、どちらの横に座ればいいのか迷う。いや、そんなのきっとどっちでもいいはずだ。

 そんな迷った様子を見た美月が、二人掛けの椅子を奥に詰めてくれた。開いた席をポンポンと叩いてくる。

 ありがたい。そう思いながら美月の横に座った。

「なー、なー、雑音。なんかコースの値段で頼めるもの変わるらしい。けど、どれ頼んで良いかわかんないよ。なのに、おなかはぺこぺこだよー」

 雪姫は、もう考えるのはイヤというようにメニューを投げた。

 美月がメニューを受け取る。

「ふんふん、なになに?お得コースとスタンダートとスペシャルとプレミアムと……? お値段ちょっとずつ変わるのね。ふんふん、めんどうくさいからプレミアムでいいかしら?」

「うん、うん。皇樹いいね。異議なし」

 一番値段の高いコースをさらりと提案してくる美月。頼めるものも多いけれど出費も多い。

 4000円……4000円か。今月発売のゲーム買えなかったらどうしよう。花恋にまた、お小遣いをもらってゲーム買いに行くはめになる。俺が「ゲーム買いたいからお金が欲しい」って頼むと、花恋は全く嫌な顔をせず、財布からお金を出して「お兄ちゃんはしょうがないなあ。はい、今月のお小遣いだよ」ってうれしそうに言う。それに甘えてしまったら、十年後までそうやって生きているダメな俺の未来が見える。花恋に金の無心をする奥の手は3か月に1度までにしないといけない。兄の威厳のためにも。

「しぐれも、それでいい? あと夕飯ぐらい、わたし払うわよ」

「いいよ、いいよ。あたしが連れてきたんだし、あたしが払うよ。っていっても、払うのあたしの父さんだけど」

「わたしもそうよ。パパのお金、湯水のように使っちゃうんだから」

「あたしのとこもそんな感じだよ。父さんが使う時間ないからって言って、あたしが使うと喜ぶんだ」

 いっしょ、いっしょ。そう言ってふたりは意外なところで息統合し合う。

「ってことはタダ飯? やばい、テンション上がってきた。俺、牛タン食べたい。牛タン食べるんだ」

「雑音、あたしも、あたしも食べるぞ。頑張って、力の限り焼いてくれ。あたしは食べるだけだから」

「焼く係りは任せろ」

 店員さんにコースを伝えた。テーブルの上に置いてあるタッチパネルで決められた品の範囲内で注文し放題というシステムらしい。ただし、食べられる量に限る。

「よーし、食べるわよー」

「うん、うん。気合いれよう」

 雪姫はブレザーを脱ぐ。白いブラウスと胸元に青いリボン、ピアノを弾くときのような恰好だ。そのまま手首の飾り気のないヘアゴムで、髪を高い位置にポニーテールにくくった。

 美月もブレザーを脱いで畳んだ後、くせのついた長い髪をポニーテールにまとめる。さらに前髪を持ち上げてねじった後、ピンで髪をとめておでこを出した。なんとなく幼くて、可愛らしく見える。

 俺はそれをチラ見しながら、タッチパネルを使って牛タンを3人前頼んだ。ついでに俺のごはんと。

「とりあえず我慢できないから牛タン頼んだ。あと、なんかいるか?メニューわかんなかったらコレ渡すし」

「雑音、にくー、にくー。食べ応えあるの」

「オッケー、牛タンだな」

「わたしも、にくー。厚切りのロースたのんで」

「オッケー、厚切りの牛タン?だっけ?」

「おい、おい。だめだ、こいつ。皇樹、タッチパネル取り上げろ」

「しぐれー、お肉頼むからパネルちょうだい」

「ほら、好きなだけ牛タン頼めよ」

「うん、うん。最初は牛タンでいいよ。ちょっと通っぽいし。けど、それだけじゃ満足できないっ!」

「まずロースでしょ。あっ、サラダも欲しい。キムチも外せないわね。えっと、あとはサンチュ頼んでサムギョプサルにしたいし……コーンバターも頼んじゃおっと。大根おろしとわさび組み合わせて自分でソース作っちゃおうかしら」

 悩みながらタッチパネルをスライドさせている美月。悩んでいるわりには決断が早く、どんどんと注文を入れていた。

「いいよー。皇樹、いいよ」

 上機嫌になった雪姫は、笑いながら言った。

 店員さんがテーブルの中央にあるコンロに火をつけた。網が温まる間もなく、肉が運ばれてきた。

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