甘く時間は蕩けて-後編-(2022年バレンタイン(スグリ×ヤク))

 タイトル通り

 本編二部作目第四十二節閲覧後推奨

 甘く時間は蕩けて-前編-の続き
















 陽が大分傾きかけた頃。目的の場所に到着したヤクは、設置されているドアノッカーでコンコンとドアをノックする。その後部屋の奥から足音が聞こえてきたということは、部屋主は起きていたらしい。ドアが開かれ、部屋主であるスグリに出迎えられる。


「ヤクか、仕事終わりか?」

「ああ。すまないが邪魔をする」


 目的地とはスグリが住んでいる部屋のことだった。出迎えられたヤクはそのまま部屋の中に入る。彼らしい落ち着いた空間のリビングには、渡されたであろうチョコレートの包みがいくつか。予想通りの出来事に小さく笑えば、気付いたらしいスグリがつられて今年もだ、と言葉を零した。


「毎年のことだが、大量すぎて勘弁してくれとも思うさ」

「私もだ。ああそうだ。私が帰る前、お前宛に追加のチョコレートが届いていたぞ」

「マジか……」


 冗談じゃない、といった様子で天を仰ぐスグリの様子に苦笑してから本来の目的を思い出す。


「もう夕食は食べたのか?」

「まだだな。これからのつもりなんだが、食っていくだろう?」

「そうさせてもらう。帰りがけにお前の好物も買ってきたから、食べてくれ」

「わざわざ悪いな。これは……味噌田楽か。帰ってからチョコレートばかり食べていたから、こういう塩味があるものは助かる」

「そうだろうと思ったぞ」


 それから簡単に準備を済ませ、二人は談笑しながら夕食を共にする。そしてそれらを食べ終わる頃、ヤクはあるものをスグリに渡す。丁寧に包装された包みを渡せば、スグリに視線でこれは何かと訴えかけられる。


「一応、バレンティアの贈り物だ。チョコレートではないから、安心してくれ」

「ここにきた本命はこれか。ありがとな。開けてもいいか?」

「ああ。気に入ってくれるとその、嬉しいんだが……」

「嬉しいに決まっているさ。お前からの贈り物なんだからな。……って、これアウスガールズ産の醸造酒じゃないか!どこに売ってたんだ?ミズガルーズ国内でも滅多に手に入らないのに」


 驚愕の声を上げるスグリに経緯を説明する。ミズガルーズは確かに大国だが、大陸の違うアウスガールズ産の商品はなかなか手に入らないのだ。ゆえにアウスガールズ出身であるスグリは、久々に見る古郷の酒を前に表情が明るい。少年の頃のような瞳に戻ったかスグリを見て、つい懐かしさを覚える。


「それでおすすめの飲み方というものを教わったのだが……。ぬる燗、というものがどういうものなのかが分からなくてだな……」


 それに必要な道具も購入したんだが、ともう一つの包みを渡す。箱の中身は特徴的な形をしている水差しのような陶磁器。新品であるそれは傷一つなく、見た目はまるで新雪のよう。それらを見たスグリは、懐かしいななんて独り言ちてから説明した。


「ぬる燗ってのは、アウスガールズ産の醸造酒をぬるめに温めたもののことだ。ホットワインのようなものって言えば想像できるか?」

「なるほどな。しかしぬるめとはまた珍しい」

「だろうな。他にもアウスガールズ産の酒には出し方とかで色々名称があるんだが、まぁ今は別にその話はいいか。早速試させてもらうな」

「そのために買ってきたのだから、是非そうしてくれ」


 それからスグリはお湯を沸かしてから火を止め、そこに酒を入れた陶磁器──スグリはそれを徳利と呼んでいた──を入れる。数分後、徳利を取り出し濡れた表面を拭いたスグリが食卓に戻った。どこか楽しそうな表情だ。

 徳利と同じく傷一つない陶磁器で作られた杯──お猪口と呼ばれているらしい──に酒が注がれると、対面にいるヤクのところにまでふわりとした甘い香りが立った。ワインやブランデーでは出すことのできない芳しさに、面白い酒だと感心する。


「それじゃあ、早速」


 取り出したチョコレートを一つ口に入れ、程よく溶けたのだろうか酒を口にするスグリ。ほう、と幸せそうに息を吐いたスグリである。満足そうに笑ってから感想を述べた。


「美味いなこれは。いい塩梅にチョコの甘みが広がるが、最後には酒で口の中が洗われるようだ。まさか醸造酒がここまでチョコレートと合うなんて、思ってもなかったな。これならチョコ消費も苦にならなそうだ」

「気に入ってもらえたようで良かった」

「ああ、さすがお前だな。最高の贈り物だ」

「大量のチョコレート消費の苦しさはわかるからな……。どうせ消費するのなら、せめて楽しめるような方法がいいだろう」

「確かにな。しかし先を越されるとは思わなかった」


 少し待っててくれ、そう言って一度自室に戻ったスグリだが、数分後にある包みを持ってリビングに戻ってきた。ほら、と手渡されたものに今度はヤクが視線で尋ねれば、お前と同じだという答えが返ってきた。丁寧に梱包されていた包装紙を開けば、ワインボトルが顔を出す。ラベルには「魔術師専用」と記されてあった。


 この惑星カウニスに住む魔術師たちは、酒を飲むとアルコールによって体内のマナコントロールが乱れてしまう。その影響で血中に含まれるマナのバランスが崩れてしまい、それが結果として「酔い」という症状で表面化するのだ。なので魔術師たちがアルコール類を口にする機会は、ほとんど与えられない。

 しかし、魔術師とはいえアルコール類を嗜んでみたいという魔術師も世の中にいる。そんな彼らのため、とある酒蔵を中心にアルコールの吸収を抑え、それによるマナコントロールを抑制させる成分を添加した、魔術師専用の酒が造られるようになったそうだ。認知度はまだ低いが、少しずつ専門店などで販売されているとのこと。


「俺からもお前に、バレンティアの贈り物だ。前々から俺はお前に酒を勧めることはなかったが、あまり強く制限するのもどうかと思ってたんだ。物は試しって言うわけじゃないが、そういった酒ならお前でも飲めるかもと思ってな」

「こんな珍しそうな酒、本当に私がもらってもいいのか?」

「当たり前だろう。そのために買ったんだ。それにそういう酒を飲んでも大丈夫だとわかれば、お前と酒を酌み交わせることもできるからな」

「お前が飲みたいだけか」

「そうとも言える」


 まったく自己都合な理由を隠すことなく白状したスグリに若干呆れてしまうが、それ以上に自分のことを想ったであろうプレゼントを前に、心が満たされる。しかもスグリと自分が同じような考えでいたことが知れて、幸福感から久々に頬が緩んでしまう。悟られないようにと口に手を抑えながら微苦笑を浮かべる。


「理由はともかくとして、私のために用意してくれたことは素直に嬉しい。感謝するぞ、スグリ」

「どういたしまして」

「せっかくだ、私も酒とチョコレートの組み合わせを試してみることにしよう。グラス、借りるぞ」

「ああ、そこの棚に入っているから自由に使ってくれ」


 部屋主の許しを得たヤクは、勝手知ったるスグリのキッチンに向かい、戸棚にしまわれているワイングラスを片手にリビングへ戻る。ワインは常温のまま部屋に置いていたらしい。もっともチョコレートと合わせるのなら、その方がいいのだとか。


 ワイングラスに注がれたルビーを彷彿とさせる澄んだ液体は、近付ければ奥深い葡萄酒の、発酵した芳醇な香りで鼻腔が擽られる。カカオの成分を多く含んだビターチョコレートのプレートを一枚口にした後、ワインを飲み口の中で転がしてみた。

 するとどうだろう、マリアージュされたビターチョコレートとやや渋みがあるワインが、口の中で互いの味わいを引き立てているではないか。熟成されたワインの渋みがビターチョコレートの香りを引き出し、鼻から抜ける香ばしいアロマに重厚さを重ね合わせているかのよう。あれほど食べるのに苦労していたチョコレートが、こんなに美味いものだったのかと再確認させられる。衝撃、まさにその一言に尽きる。


 さらに初めて意識して飲んだワインの風味もまた良い。いつもはアルコール類に触れる機会がないが、なるほどこれは確かに、日々の疲れを癒してくれる大人の嗜好品だ。


「どうだ?」

「ああ、これは美味い。それにワインとの組み合わせでチョコレートの味がこんなに変化するとは思わなんだ。この方法ならお前と同じく、チョコ消費が苦行にならずに済みそうだ」

「それはなにより」


 その後は互いに酒を酌み交わしながら幸せな時間を過ごした──はず。


 翌朝のこと。目を覚ませばそこは何故かスグリの自室で。隣には一糸纏わぬスグリが同じく衣服を纏っていない自分を抱き枕にしながら、眠りこけていて。加えて痛む腰に疑問を持ちつつ、今日は自分は夜勤だったはずだと輪郭がはっきりしない思考で思い出しながら、二度寝の構えに入るのであった。

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Fragment-memory of side story- 黒乃 @2kurono5

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