48 大伯母の旅立ち


今年の2月、母方の大伯母が亡くなりました。


今回は、彼女のお葬式にて、私が実際に体験したお話です。




深いくぼみの入った大きくパッチリとした目、

ツンっと先が上がった鼻、

薄い知性的な唇はいつも笑みをたたえ、

赤い口紅をしていて、

きゅっと引き締まった小顔は、若かりし頃の、エマニュエル・ベアールのような、端正な顔立ち。

白いドライブ手袋をはめ、

バブル期の香り色濃い4ドアのセダンを乗り回す。


大伯母はどんな人ですか?と聞かれれば

親族一同、「キャリアウーマン」と

答えてしまうような、仕事一筋の方でありました。


彼女に子供はいなかったけれど、

その分、母やその姉達を沢山可愛がってくれたそうで、それだけ面倒見の良い、

心優しい方だったといいます。


お金を稼げば、自分ひとりじめせず、

家族や誰か困っている人のために使うので、

仏壇の中には、彼女宛の感謝の手紙が沢山見つかったとか。



そんな大伯母が老衰のため亡くなったと知らされたのは、今年の2月4日。


普段気丈で冗談好きな母が言葉を失い、暗く沈んだ表情を浮かべたところから、大伯母がどれだけ愛情深く接していたか伝わり、胸が苦しくなりました。



私自身、幼い頃に車に乗せてもらったり、

明るく元気に接してもらったりと、お世話になった方でありました。


低い目線から運転席の彼女を見上げて見えたのはいつも、笑みを浮かべる口元で、子供ながらにかっこいいと思っていたのを思い出します。



「生き方さえ違えば、女優になってたんじゃないか。」


そんな話が出るほど、人として魅力的な方の死に、私達の心に大きな穴があいたのです。





お通夜の日、読経が終わってお顔を拝見したのですが、死に化粧をした彼女は、それこそ、まだ生きているかのようでした。



「見てみやぁ。鼻があたっとるがん。

 ほんと、外人みたいに綺麗な顔だわあ。」


喪主の伯母に促されて見てみれば、

木製の棺桶の顔が見えるようにある透明な窓に、たしかに、大伯母の鼻の先が当たって、ぷくっとそこだけ膨らんでいました。


「ほんと、綺麗な人だわあ。」


伯母はそう言って、鼻をすすり涙を拭きました。

いつも明るくて元気な伯母の、涙する姿に、私は何を言うことができませんでした。





翌日、葬儀が執り行われ、浄土真宗特有の抑揚でお経が捧げられたあと、お花をたむけ、棺桶の蓋を閉じました。


その最中、葬儀場のスタッフさんが「よくお顔を見てあげてください。これが最後ですから。」と言うと、母を含めた三姉妹は、わっと涙を流していました。


直接生まれたわけではないけれど、彼女達はたしかに、大伯母の娘であったようです。


それから、深い眠りについた大伯母と共に火葬場へ行きました。




彼女を火葬炉へ見送り待機室で待っていますと、1時間半ほど経ってから、館内放送がかかりました。



『〇〇様、火葬が終わりましたのでお戻りください。』



先程見送った部屋に戻りますと、そこにはむあっと熱気を放つ石の台と、その上に、バラバラになった白い骨がありました。


骨と言えるのはほんの少しで、灰ばかりが目立ちます。


初老のスタッフさんの案内のもと、

違い箸を持ちまして、骨を骨壷に収めていきました。


「故人が立ち姿となれるよう、

 お足元の骨からお収めください。

 大きな骨は、私の方で入れやすいように

 させていただきます。

 ではまず、足の指のお骨から…」




一つ一つの骨について説明頂き、

「へー。」「ここはその骨なんだ。」など

驚きの声が出ることもありました。



「続いて、大腿骨。

 太ももの骨を収めましょう。

 こちらは大きいので私の方で

 小さくさせていただきます。」



15cmほどの大きさで、くっきり形を残している大腿骨。


こんな大きな骨、どうやって小さくするのだろうと見ていますと、スタッフさんの竹製の箸が軽く触れただけで、

シャオっと霜柱のような音を出し、崩れてしまいました。



看護師を務める伯母が言うには、

晩年はずっと車椅子生活だったので

それで足の骨が弱くなったのだろうとのことでした。



(見た目はしっかり形があるように見えても、

中身はぼろぼろだったりするんだな。)


私は内心驚き、骨を眺めていました。


(きっと、あの骨も脆いんだろうな。)



殆どが原型をとどめていなかった大伯母の骨。


唯一しっかり形があったのは数個のみで、そのうちの一つである大腿骨は簡単に崩れました。


それとは別に形がしっかり残っていたのは、頭側にある湾曲した骨。


位置と形からして、おそらく下の顎の骨ではないかと思われました。




「次に喉仏…と思いましたが、

 それは形が分かりませんね。」

「この骨は違いますか?」

「それは恐らく、鎖骨の一部でしょう。

 一番喉に近いこの骨を収めましょうか。

 さて、次は顔のお骨ですが。

 ああ、この骨は、

 しっかり残っていますね。

 下の顎の骨でしょう。」



伯母が、感心したように声を上げます。



「伯母は顎が丈夫だったんです。

 しっかり残るものなんですね。」

「そうなのですね。

 こちらも小さくさせていただきましょう。」



スタッフさんの箸が、骨に触れました。


ただ、先程の大腿骨と違って、顎の骨は橋が触れても崩れることなく、しっかりと掴み持ち上げることができるほどの硬さがありました。



「これは本当にしっかりしていますね。

 恐れ入りますが、砕かせていただいても

 よろしいでしょうか?」

「ええ、お願いします。」


伯母が答えると、スタッフさんは何やら鉄製の鋏のような道具を取り出しまして、骨を砕きます。


箸ではどうすることもできなかった骨が、

ガッガッガッという音を立てて、

ようやく骨壷に入りそうなほどの大きさまで小さくなりました。


静かな密室に響く、ガッガッと骨を砕く音は、しばらく私の耳に残っていました。



「では、これにて終わりですので、

 また葬儀場までお戻りください。

 本日はお疲れ様でございました。」



私達は彼に頭を下げて、骨壷と遺影を持ち、

車で葬儀場まで戻りました。







葬儀場に戻ると、お食事が用意してありました。


皆それぞれ席についた時、私はコップの水を口に含みました。


「喪主様よりご挨拶願います。」


スタッフさんが仰ったので、

私は水を飲み切る前に、伯母のいる方へ

正対してしまいました。


そのせいか、ちゃんと水が飲めなかったようで、伯母が頭を下げて、挨拶の文句をしたためた紙を開いている時に、

奥歯と下の間に残っていた僅かな水が喉の方へ滑り込んできたのです。



「うぐっ。」


私は嫌な予感がしました。


時々ですが、変な姿勢や慌てながら飲み物を飲むと、喉あたりがひきつって嫌な痛みがしばらく続くことがあるのですが、

ちょうど、そんな具合の痛みに襲われる気配がしたのです。



ビキッ


(うわっ、ほらきた。)


そう思って顔をしかめます。

まあ、放っておけば治るだろうと気にしないようにしたのですが…

今回はそうはいきませんでした。



ビキッビキビキビキ!


音にするとそんな具合でしょうか。


喉あたりから這い上がった痛みは顎全体に広がりました。


例えるなら、

5、6個の鉗子で四方から同時に顎の骨を挟まれた、

骨に張り付いたスジや筋肉が一瞬で硬直してしまった、

そんな痛みに襲われたのです。



(え?何だこの痛み方…。)



困惑していると、顎の痛みは徐々に上へとのぼって、頭全体に痛みが広がりました。


割れんばかりの痛みに、声を上げそうになりましたが、何故か声を出すことができません。


痛みのあまり、目を何とか閉じてやり過ごそうとしますが、和らぐことはなく、余計に強く感じます。


しだいに、顔のいたる所の肉が硬直し始めて、思うように動かしにくくなりました。

反対に、肩から下は脱力しきってしまい、力が入らず、それこそ、全く自由がきかなくなったのです。



「ーで…、の…。」



ぐわんぐわんとする脳に、伯母の声が微かに入ってきました。



(ああ、そうだ。伯母さんが喋ってる。

 聞かないと。)



伯母の話を聞かなきゃ、聞かなければ、という強い気持ちに駆られ、痛む顔を何とか動かして、目を開きました。



そこで私は、驚きの光景を目にしました。



私の座っている席からは、親族全員を見渡すことが出来たのですが、

一人ひとり、黄色い光の柱を体から放っていて、それらは天井に向かってすーっと伸びていたのです。


光の柱としましたが、まっすぐ固定されたものではなく、オーロラのように不安定に揺らめき形を変えていました。


会場のライトとは違った光は、太陽よりも眩しかったです。

ただ、あまりにも心地よく、温かいものでした。



相変わらず、痛みは感じていたのですが、不思議なことに全く気になりませんでした。


現実ではありえない光景を目にしているのに、

心は落ち着いていて、おばの声以外の物音が聞こえなくなりました。



割れそうに痛い頭、目の前には数々の光の柱、

普通であれば発狂しているものなのに、本当に変ですね。

むしろ、心地よさを感じていたぐらいです。


ですが、体中を様々な感情が巡っていました。



“これは一体どうなってるの?”

“何が起きてるの?”

“私は、ここにいてはいけないのでは?”

“早くここから去らないといけないのに。”



言葉にするとこんな具合でしょうか。


自分自身は落ち着いていると自覚しているのに、私の中には同時に、混乱している感情が存在していたのです。


その時の私の中には、確実に、自分以外の何かの思いがありました。


妙なことを言っていますよね。

でも、これが一番、ピッタリと当てはまる表現なんです。




「伯母は、元気な頃は仕事一筋な人でした。」


伯母が、大伯母の生前について話し始めました。


「今とは違い、

 結婚するのが当たり前の時代です。

 美しい容姿を持ちながら、貞淑を保ち、

 仕事に務めることはどれほど

 難しかったでしょうか。」


伯母が鼻をすすります。


「彼女が大切にしていた仏壇を

 整理したことがあります。

 中からは、多くの彼女に向けた

 感謝の手紙が出てきました。」



言葉をつまらせながら、それでも、一句一句はっきりと話します。


「晩年、認知症を患い、

 見かける人には手を出したり、

 ちょっかいをかけたり…。

 でも、それは、人と関わりたいという

 伯母の心からきた言動だと思います。

 私は、私は…。」


こらえきれなくなった涙が頬を流れました。



「伯母は、本当に心の綺麗な人で、

 人としての魅力あふれる人だったと

 思うのです。」



その言葉を聞いた途端、私の中を駆け巡っていた混乱や申し訳ないといった気持ちが、消え去りました。


伯母は目にハンカチを当てながら話を続けます。



「私は、私は本当に伯母はすごい人

 だったと思います。

 自分の財産を見返りも求めず

 渡すことなど、簡単にできません。」



大伯母は、戦争の経験者でした。

常に、ものがなかったということを

私に教えてくれました。

食べることもままならなかったとも。


貧しさを経験したあとに、

自分で稼いで得たお金を手放すことは、

恐怖も伴うものだったのではないでしょうか。


親族達は真剣に伯母の話を聞いていました。


彼らの周りには光の柱が、眩しくも温かく揺らめいています。




「この度は、お集まりくださりまして

 誠にありがとうございます。

 心ばかりですがお食事を

 ご用意しましたので、

 お召し上がりください。

 本当にありがとうございました。」



伯母が、ありがとうと言って頭を下げた、その時…。


親族一人ひとりを包んでいた光の柱は上にあがって薄れていき、

同時に、私の中から何かが上に向かってすぅーっと抜けていく感覚がありました。


気がつくと、音も眩しさも元通りになっていて、体は何不自由なく動かせて、そして、頭や顔の痛みはきれいさっぱり消えていました。





私が思うに、あの瞬間、私の中には大伯母が入っていたのだと思います。


勘違いかもしれませんが。


彼女が私の中から抜ける瞬間、

ある、一つの感情を残していきました。


それは、感謝でも、未練でもありません。


“良くやったなあ”という、達成感でした。



仕事が大好きだった大伯母。


彼女にとっては人生という長い道のりも

一つの仕事であったのではないか、

それだけ真剣に取り組んできたものだったのかと思うと、胸が熱くなります。



今の私は、大伯母のように、往年まで誇り高く働き、生き、そして、去りゆく時には達成感を感じられるでしょうか。



薔薇色の唇に微笑み、颯爽と回すハンドル、見返りを求めない献身。



彼女は私の目標です。



四十九日が過ぎ、今はお墓に納骨された大伯母。


あちらでも楽しく過ごせていますようにと、心から願っています。




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