第29話 ぼくのママだよ



「花ー!どっちが合うかなぁ?」


お母さんが両手に持ったハンガーをふりふりっと揺らす。


右手にはクリーム色、左手にはモスグリーンのニットがあった。


「うーん。お母さんはこっちの

 緑のニットじゃない?

 黄色は肌に合わないよ。」

「やっぱそっか〜。

 花は服合わせるの得意よね。」

「でしょー。結構自信あるんだよね。

 あ、それにね、これだったらぁ…。」


私はお母さんの左手からハンガーごと服を取り上げて、体に当てた。


「私にも似合いそうじゃない?」

「もー!ちゃっかりしてるんだから!」

「あははは。」



私達はいわゆる友達親子っていうのかな。


普段から仲良しだし、お休みの日は一緒にお出掛けしたりする。


今日は地下鉄環状線を二駅乗ったところにあるデパートへ服を買いに来ていた。




「お母さんってスタイルいいから

 助かっちゃう!」

「そう?花に言ってもらえると

 嬉しいな。」

「ほんとだって!友達にも自慢してるし。」



私のお母さんは、昔、アパレルショップ店員をしてただけあって、スタイルがめちゃくちゃいい。


同じ服を共有できる、というか、私の方できつくなって着れなくなったのを、お母さんにあげちゃうくらい。


たまに友達がお母さんと会うと、

十歳くらい若く見えちゃう、とにかく自慢の私のお母さん。



自分の親と喧嘩して口きかないなんて話もある中で、こんなにも仲良いなんてすごいことじゃない?なんて思ったりする。



「ごめーん!花。遅れちゃった。

 ポイントカード探してたら

 手間取っちゃって。」

「やだあ、何やってんの!」

「だってほら、こんなにあるんだよ?」

「うわあ、パンパンじゃん!」



お母さんが広げて見せたお財布の中、

たしかに、ポイントカードがぎっしり入っている。


私はちらっと、一部が透明なシートで区切られて中が見られるようになっている、カード入れの部分を見た。


その中には、プリクラがいくつも入っていた。


最近、私とお母さんで撮ったもの、もう古くなって色褪せているけど、私が赤ちゃんの頃にお兄ちゃんとお父さんと家族みんなで撮ったものなどなどが隙間なくしきつめてある。



お母さんの、こういう家族思いなところも好き


次の誕生日プレゼントはカードケースにしようかな?なんて3ヶ月先のことを考えた。




「あっ!大切なこと忘れてた。」

「え?なに?」

「最近ここにできたカフェで

 フルーツパフェ食べに来たんだった!

 早く並びに行こう!」

「そうだった!行こ行こ!」


私はお母さんと手を繋いで、カフェに向かった。





「びっくりしたわ。

 花ってミント食べれるのね。

 チョコミント好きなのは知ってるけど。」


お母さんが財布を鞄にしまいながら言う。


「食べれるよ!私ミント系好きみたい。」

「へー。お母さんはスースーしたの

 苦手だなぁ。ニオイもだめ。」

「それにしても美味しかったねー!」

「ほんとね!あれ、花、

 ここは私も出すって言ってなかった?」

「えへへ。ごちそうさまでっす!」

「もー。仕方ないんだから。

 学生のうちよ?社会人なったら

 出世払いね!」

「はーい!」



新しい春服に、甘くてとろけるようなパフェ。


こんな幸せな休日ってない。

つくづく、お母さんの子供で良かったなって思った。



「お母さん、そろそろ電車くるよ。」

「そろそろって…。まあ、

 地下鉄だからすぐ次のが来るわよ。

 ゆっくりでいいわ。

 気になるならちょっと歩いて5番に行く?

 改札に近いから。」



お母さんは目の前にある4番口から顔をそらして、交差点を一つ越えた先にある、5番口を指さした。



「うーん。そうしよっかな!」

「じゃあ行こう!」



地下鉄駅の出入口までの数十メートル、

信号待ちの時間まで、お母さんとの会話は尽きなかった。



お買い物の時も、カフェの時も、ずっとずっとお話してたのに。


今だって、今日の晩御飯の話なんてしちゃって。

さっき食べたばかりなのに。

でも、お母さんのご飯は美味しいから、こんなこと思っても仕方ないよね。


私達ってば本当に仲良しだなあ。




「今日はハンバーグにしようかな。

 花、好きでしょ?」

「ええ?いいの!なんで?」

「最近なんか疲れてるみたいだから。

 花ってば、疲れたり、

 不安なことがあると甘えん坊に

 なるでしょ。」


私は言い当てられて驚いた。


いつも通り元気でいたつもりなのに、

お母さんにはバレバレだったみたい。


お母さんの言うとおりで

アルバイトの連勤が続いてて疲れが溜まっていたのだ。



「あーあ。お母さんにはかなわないな。」

「当たり前でしょ。花のお母さんだもん。」

「お母さん。」

「ん?何?」

「大好きだよ!」

「当たり前でしょっ。」

「何それー!自信ありすぎー!」

「あはは!痛い痛い!」



私達はじゃれ合いながら、青になった信号を渡る。


コンクリートで固められた、冷たい灰色の5番口がぽっかり口を開けて、人が入るのを待っている。



私達が入ろうとしたとき、スッと一人の女性が前を通り過ぎて、カツカツと音を立てながら階段を降りていった。


爽やかで清涼感のあるシトラス系の香水の匂いがする。

スーッとしたいい匂いだ。


「花?降りるよ。」

「あ、うん。」



私は少し小走りして、お母さんの隣についた。



普段はビジネスマンがよく使っているこの駅、休日の3時だからか人が少ない。



私達の前には、さっき前を通り過ぎて行った一人の女性が、6センチぐらいの細いヒールのパンプスを履いて颯爽と階段を降りている。



静かな空間に、カンッカンッという、かかとを鳴らす音が響き渡ってた。


右の肘にはトートバッグをぶら下げて、

左手にはスマートフォンを握り、時折画面を気にしている。


紺色のブラウスに、ベージュのチノパンを合わせて、

なんとも清潔感のあるコーデだ。

女性の身体が上下に揺れる度に、

香水の匂いがする。



ふと、私は彼女の腰辺りが気になって見た。


さっきからそこらへんだけ、

体の動きに合わないへんなシワがよっていたからだ。



(あれっ、赤ちゃんだ。)



女性の両脇からにょきっと赤ちゃんの足が見えている。

可愛い足は、彼女を抱くように背中に回していて、上下へ擦るように動いている。



みずみずしい肌にぷくぷくっとした関節、もぞもぞ動く小さな指はとても可愛い。


白い筋をとったみかんみたいだな、なんて変なことを考えた。



女性はどうやら、お母さんらしかった。



抱っこされていて顔はわからないけれど、

ぴょこぴょこ動く足の感じから、ご機嫌がいいことが分かる。



ママとのお出かけが楽しいみたいだ。

まるで今の私みたい。



そう思ってお母さんの方をちらっと見る。

私は、ぎょっとした。



お母さんの顔が、今まで見たことないくらい険しい。



そうだ。

お母さんは育児に厳しい人だった。



食事は一つ一つの素材に至るまで気をつけて

家事も完璧にこなして、ファッションだって気を抜かないし、人付き合いや世間体を大切にする。

その厳しさはすべて、家族、そして私達子供のために発揮されていた。



お母さんの目線は、女性の足元に向いている。



(お母さん、怒ってるんだ。

 この人が赤ちゃん抱えながら高いヒールを

 履いてることに。)



私は内心冷や汗をかいた。


お母さんは怒ると、しばらく黙って

そして、「ごめん。ほっといて。」しか言わなくなるのだ。


その時のオーラの怖さったらないし、何より私はお母さんが好きだから、余計に辛くなる。




はらはらしながら女性を見ると、

彼女はこっちのことなどお構いなしに

颯爽と階段を降りている。


その時、ピコンっとスマホの通知音が鳴った。


彼女のSNSの通知だった。


 

女性は画面をぱっと見て、「あ。」と声を漏らすと、スマホをトートバッグの中に放り、肩にかけ直して、早足になった。


激しくゆれる女性の身体に、赤ちゃんは一層強くしがみついていた。


そして、さっきまでご機嫌に動かしていた足で、ぎゅうっと背中を掴んだ。



(高いヒールでそんなに早く走ったら

 危なくない?え、大丈夫?)



焦る女性の足が、どんどんとリズムを崩して、カンカンというと音が、カンカカンッという不規則なものに変わった。



最後の一段を降りようと、足を伸ばした時だ。


「きゃあ!」

「あっ!」



ずざっと擦れる音がして、女性の身体が大きく右に傾き、そのまま地面へとへたり込んでしまった。


赤ちゃんの足がバタバタっと激しく動いて、

そのままぴんっとのばし、だらりと力なく垂れ下がった。



(赤ちゃん…!)



私は慌てて駆け寄って、「大丈夫ですか!?」と女性を起こす。


正直、手が震えた。


体が起き上がれば、赤ちゃんの顔が見えるはず。

現実を受け入れられるか分からなかった。



女性が「いたた…。」と顔をあげる。


そして、私の顔を見てにこっと笑った。



「すみません!ありがとうございます。

 大丈夫ですよ。恥ずかしいな。

 ほんとすみません!」

女性はバッグを持って立ち上がり、

胸とお腹あたりを手で払って、さっきよりも若干遅い早さで走っていった。



私は頭の中が真っ白になった。


さっきまでたしかに、赤ちゃんはいたはず。

だって、だって私は見たんだ。


みずみずしい肌のぷくっとしたご機嫌に動かすあの足を。

そして、愛おしそうにお母さんを抱いてもいたあの足を。



(あ、やだ、私、見えてたのに

 見えてなかった。)


左手にはスマホ、右手にはトートバッグ。

紺色のブラウスにチノパン。


抱っこ紐なんてどこにもつけてなかったのに、

彼女の両手はふさがってたのに、

なんで、あの赤ちゃんは女性にしがみつけていたの。



(私、私、何を見てた?

 あれは、一体何?)



嫌な汗がおでこににじむ。




「花…。」



お母さんの声がして振り向く。



お母さんは私と同じように頭に手を当てていた。



「お母さん、もしかして…。」



今のが見えてたの?

そういう前に、お母さんは脱力したように笑った。



「ごめんねぇ。お母さん動けなくて。

 さっきの女の人の香水で

 気分悪くなっちゃって。

 ここに入ってから頭が痛かったの。

 やっぱスースーしたのは苦手だな。」



あははと笑うお母さん。


お母さんには見えてなかったんだ。

あの、赤ちゃんの足が。


今見たことを言うべき?

言ったとして、それを信じてくれる?


頭の中が混乱して言葉も出せない。



「あ、ああ…あ。」

「それにしても…。」


お母さんがにこっと笑う。



「花はすごいね!

 すぐ駆け寄れちゃうんだもん!

 すごーい!」



地下空間で薄暗いこの場所で、お母さんの笑顔が輝いて見えた。


涙が静かに込み上がる。




「お母さん…。」

「ええ?どうしたの!?花、泣いてるの?

 あはは!さっきのでびっくりしちゃったの?

 大丈夫!大丈夫!あの人走っていったじゃない。」



お母さんは明るく笑いながら私を抱きしめて頭をなでてくれた。



私は鼻を鳴らしながら、目を閉じてお母さんの胸に顔を押し当てて、脇から手を差し入れた。






そうして、両手を背中に回して、お母さんの服をシワがよるほどぎゅうっと掴んだ。


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