明日はきっといい日になる

@mikakuro

第1話

 ゆきは頭から布団を被り、泣いていた。「早く明日になれ」と祈りながら。

 昔から嫌なことがあると、布団に潜り泣いていた。泣いて、泣いて、気がつくと朝になっていった。目が覚めると、目の端が少し痛み体が怠い。しかし泣いていた時のように胸が痛む感じはなくなり、ぼんやりと「なんであんなに泣いてたのかな。」と落ち着いている。今日は、ベルトで母をぶつ父の姿が頭から離れず、母が何か叫んでいたが、それすらも聞こえなかった。父と母が喧嘩することはしょっちゅうで、幼いゆきの前でもかまわずに言い合いをする。お互い激しく、止まらない文句の言葉が、ゆきには恐ろしい呪文のようにも聞こえた。一緒に住んでいた祖母や10歳年上の姉も止めることはできず、おさまるのを待つしかできなかった。ゆきには11歳上の兄もいたが、高校生で、バイトばかりしていたのであまり家にいることはなかった。たまに帰ってくると、脱いだ靴下をゆきに投げてきたり、おつかいに行けと命令されるので、ゆきは兄が好きになれなかった。兄にとっては可愛い妹に対して、少しの悪戯のつもりだったかもしれないが、ゆきにとっては心の底からやめてくれと訴えていた。嫌なことがあると布団を頭からかぶるクセがあるゆきに対して、兄はその上から覆いかぶさり、「布団蒸し攻撃」をしかけてくる。それが嫌で嫌でたまらなかったゆきは、心底兄がにがてだった。自分より11歳も年上の兄が悪魔のような存在であることは揺るがない事実だった。それに対して姉は優しく、ゆきにとっては母のようでありとても慕っていた。厳しくもあったが、ゆきにとってはそれは大事な生きていくうえでの大切な指針となっていた。姉が言うことは絶対だとゆきは思っていた。

「ゆき、起きてる?」

姉がそっと布団に入ってきた。

「うん。」

泣きすぎたからかゆきは、声がかすれてうまく返事できなかった。

「お母さんたちね、離婚するんだって。」

「えっ。」

ゆきは思わず布団を押しのけた。姉は続けて言った。

「お父さんがね、お母さんを追い出したよ。もう帰ってこないと思う。」

「なんで!嫌だ!」

ゆきは叫んでいた。ゆきは母が36歳のときにできた子どもだ。5人兄弟の末っ子としてとても可愛いがられた。帝王切開で産まれてきたゆきのことを母は

「お腹を痛めて産んだ愛おしい子。」

と常々言っていた。溺愛されていたのだ。そんな母がゆきはとても大好きだった。溶接の職人だった父はいつも出張で家にはほとんどおらず、ゆきは母に懐いていた。その母も、夜や昼間も家にはいないことが多かったのだが、それでもゆききとってはかけがいのない母親に変わりはなかった。

「お母さんと一緒に行く!」

ゆきは泣き叫んだ。姉は困ったような顔をして、

「じゃあ、お姉ちゃんと離れちゃうよ。」

とポツリと言った。

いよいよ大泣きになったゆきは

「お姉ちゃんがいないと嫌だ。」

幼いゆきはきっと何を言ってももう無理なことはわかっていたが、言わずにはいれなかった。母親がいつかこの家からいなくなるだろうということも頭の隅にはあったが、それを受け止められるほど、成長してはいなかった。何度も泣いた。こんなに辛いのはわたしだけじゃないかと思いながら、自分なんて不幸なんだと5歳ながらにしてゆきは自分の人生を恨んだ。ゆきが小学校に入学する前の年、母は家から出ていった。

小学校に入学したゆきは、いつもどこかで居心地の悪さを感じていた。「ひかる」という友達ができたが、2人でなにをして遊ぶのではなく、他の友達の悪口を言い合って過ごしていた。ゆきにはそれがいいことなのかも、悪いことなのかもわからずに「ひかる」と過ごしていた。ひかるにも中学生になる姉がいて、少し大人びいたところがあった。ゆきはひかるから初めて少女漫画を貸してもらい、その中の男女のやりとりをみて驚いた。キスをしたり、抱き合ったりと、自分には経験のない出来事が描かれており、胸の奥がきゅうっとなるような不思議な感じがした。ひかるに

「この本の男の子かっこいいよね。」

と言われ、

「う、うん。」

と曖昧に返事したものの、自分がこの本に惹かれていることがよく分かった。ひかるから続きを借り、ひとりで読んでいると、下腹部に違和感を覚えて。くすぐったいような、不思議な感じ。頬が紅潮していくのがわかった。体が火照っている。しかし幼いゆきにはこのどうしようもない体の変化を自分で抑える方法がわからなかった。けれどこれを誰かに、ましてや大好きな姉に伝える気にもならなかった。借りた本をそっとランドセルに隠し、自分の部屋から下のリビングへとおりたのだった。

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