決着

 突然の悲鳴に、大型巨人は拳を振り上げたまま固まってしまった。

 悲鳴は何処から聞こえたのか? 大型巨人はアニミスに向けていた視線を上げ、周囲を見渡した。

 アニミスは何もしていない。そもそも近くに大型巨人以外の巨人は居ないのだ。何かするなんて不可能である。

「ギ、ギギョガッ!?」

「ギャギィ!?」

「ギガッ!? ギョ、ギ……」

 アニミスが蹲っている間も次々と上がる悲鳴は、一ヶ所から聞こえるものではない。あちらこちらから、途絶える事なく聞こえてくる。大型巨人は右往左往しながら、兎に角その声を上げさせている何かを探した。

 そして大型巨人は一つ目を大きく見開き、身を強張らせる。

 受けた傷の所為で上手く動けないアニミスには、周囲の様子などよく分からない。ましてや自分の方を向いている……即ち自分の背後側を見ている大型巨人が何を目の当たりにしたかなんて、全く分からないのが当然の事。

 しかし彼女は感じ取っていた。

 自分にも匹敵する大きな気配。ひしひしと感じられる鋭い視線と、敵意とは違う悪意。辺りに鳴り響くのは、爪が石造りの道を引っ掻く甲高い音。

「ゴガアアアアアアアアッ!」

 そしてこの獰猛な鳴き声。

 トラだ。それもかつて自分が打ち倒した、あのトラであるとアニミスは理解した。

 アニミスを包囲する巨人達の群れ、その群れの外側をトラは猛然と駆け、巨人の一匹の首に噛み付く。噛み付かれた巨人は反射的にトラを殴るが、アニミスの突撃を受けても耐える身体に、アニミスを怯ませる事すら出来ない拳が通じる訳もない。トラが軽く首を捻るように動かせば、ゴキリ、と音が鳴り、噛み付かれた巨人の身体から力が抜けた。

 巨人を一匹倒すと、トラはだらだらと血と涎を垂らした口を開く。自由になった巨人は大地に倒れ伏し、ぴくりとも動かない。されどトラは自らが仕留めた巨人には見向きもせず、未だ生きている巨人達を凝視していた。

 巨人達はどよめいた。徒党を組み、上からの指示に従うだけの知能があるからこそ理解出来るのだ……このトラが狩りを楽しんでいると。

 アニミスに負けてから、トラも山に暮らしていた。しかし山で得られる獲物はキツネやネズミなど、小さな生き物ばかり。狩猟者としての本能が燻っていた時に、大型巨人は巨人達をトラに差し向け――――彼女の本能に火を付けてしまったのだ。

 喰うために殺すのではなく、遊びとして殺す。

 それは自然界において、決して珍しい行いではない。例えば猫は自分の目の前を横切ったトカゲを、食べもしないのに弄んで殺す。トラも猫と同じ事をしたに過ぎない。

 ただ、大柄なトラがオモチャにするものは、猫よりも遥かに大きくて強いというだけの事だ。

「ギ、ギョギョギギョギ! ギョッ、ギョギョギアッ!」

 大型巨人は慌てながらも、巨人達に指示を出す。命令を受けた巨人達はトラに襲い掛かるが、力ではトラが上回っていた。組み付いたところで振り払われ、噛み付かれれば一撃で骨が砕け、爪は巨人の分厚い腹を切り裂く。次々と巨人達は倒れていく。

 しかし巨人の数は圧倒的だ。何十と倒されても、まるで減っていないかのように見えるほどの大群である。仲間の骸を盾にして突撃すれば、さしものトラも纏めては薙ぎ払えない。数多の犠牲を積み重ねてようやく一匹がしがみつけば僅かに動きが鈍り、二匹が近付くための時間を稼げる。

 少しずつだが押している。大型巨人はトラと仲間達の攻防が優勢に進んでいると考えたのか、にたりと笑みを浮かべた。

 彼にとって残念な事に、その笑みはすぐに凍り付く事となる。

「グガアアアゴォォォォォッ!」

 空高くより、猛々しい咆哮が響いたのだから。

 次の瞬間、空より降ってきた何かが一匹の巨人の頭を叩き潰した。突然の襲撃者に三匹の巨人が振り返り、わたふたしながら襲撃者に跳び掛かろうとする。

 だが、それは叶わぬ夢。

 襲撃者は巨人の身の丈ほどはあろうかという翼を広げ、迫り来る巨人を薙ぎ払ったからだ! 巨人達は大柄な身体を突き飛ばされ、大地を転がる。死ぬほどの威力ではないが、巨人三匹を纏めて吹き飛ばす怪力。巨人達がどよめくには十分だ。

 そのどよめきを浴び、襲撃者――――大烏は満足げに笑った。表情筋はなくとも「グガッガガガガガ」と鳴けば、誰にでも分かるというものだ。

「ギョ……ギョ、ギョ、ギギギョ! ギョッギィ!」

 大型巨人の命令を受け、十匹以上の巨人が大烏の下へと殺到する。しかし大烏は軽やかに飛び上がるや、旋風を起こしながら急上昇。巨人達の届かぬ高度まで上がり、ぐるぐると旋回を始めた。

 そして孤立した巨人を見付けるや、急降下して襲撃。丸くて大きな頭を掴むと羽ばたいてぐりんとその場で一回りし、巨人の頭を

 片足で掴んだ巨人の頭を、大烏は無造作に投げ捨てた。大切な脳を失った身体は数秒だけ意味のない動きをした後、力なく倒れる。

 骨格と体重で劣る大烏に、トラやアニミスほどの怪力はない。だが工夫をすれば一撃で巨人を仕留める事など造作もないのだ……まるでそう誇示するかのような行動に、巨人達が更にどよめく。

 そのどよめきを見た大烏は満足そうにカチカチと嘴を鳴らし――――次いで激しい、怒りの形相を巨人達に向けた。

 大烏は怒り狂っていた。何故か? 実に簡単な理由だ。

 

 ただそれだけの理由。されど大烏にとっては、何日間も山を飛び回って見付けた一番素敵な場所だった。加えて彼女にとって住処を奪われるのはこれが二度目。トラやアニミスよりも賢い彼女は、そうした記憶を掘り起こされた事に一層強い怒りを募らせる。

 そして人間ほど賢くない彼女は、最初に自分の住処を奪った人間と敵対関係にあるコイツらを見逃そうとは思わない。そんなまどろっこしい手など使わず、憎らしい相手は自ら叩き潰す!

「グガアアアアアアアアアァァッ!」

 王都全域に響き渡るような叫びを上げ、大烏は自らの怒りを巨人達に示した。

 巨人達は狼狽えた。トラだけでも手に負えるか分からないのに、トラと同じぐらいおっかない化け物が現れたのだから。彼等は自らの命を投げ打ってでも強敵に立ち向かう勇猛果敢にして獰猛な性格であるが、負ける勝負に身を委ねるほど気高くはない。戦いは種としての繁栄が望めるからこそ行うのであり、負けてしまう戦いなんて意味がないからだ。

 ならば優先すべきは己の命。

 一匹が後退り、また一匹が後退り……隊列が乱れていく。統率が失われ、群れだったものが『個』に落ちぶれていく。

 アニミスに匹敵するトラと大烏をこんな状態で倒すなど、土台無理な話であった。

「ゴガアアアアアアアアアアアッ!」

「グガアアゴオオオオオオ!」

 すっかり戦意を喪失した巨人達であるが、トラと大烏は彼等を許さず。ぐちゃぐちゃとなった集団に突撃し、更に巨人達は混乱していく。逃げ出す方角すら統一されていない所為で、仲間同士でぶつかったり、行く手を遮ってしまったり。互いに足を引っ張り、被害が拡大していった。

「ギョウッ! ギョギョギョゥ! ギョギョッオゥ! ギョォギョッギギィオッ!」

 この混乱を治めようとしてか、大型巨人は声を荒らげる。されど敗北を悟った巨人達は言う事を聞かず、右往左往するばかり。次々とトラや大烏に討ち取られていく。

 しかしそれでも大型巨人は指揮を諦めない。トラも大烏も恐るべき敵だが、徒党は組んでいないのだ。『アイツ』を助けに来たのではなく、自分の目的を果たすために来ただけ……大型巨人はトラと大烏の考えを見抜き、勝機があると判断していた。感情こそ昂ぶっているが、冷静は判断である。

 この冷静な指揮を続ければ、巨人達はいずれトラと大烏を討ち取れたかも知れない。集団の力とはそれほどまでに強いのだ。個々では巨人よりも遥かにか弱い人間であっても、知能と集団の力で自然を切り拓けるぐらいなのだから。強く、賢く、数が多い巨人達が『自然』に勝てない道理はない。

 そう、彼はまだ勝機があったのだ。

 ――――彼の後ろに居る、最も警戒すべき『魔物』さえいなければ。

 ジャリッと、砂を踏む音がした。

 とても小さな音で、トラと大烏の雄叫び、巨人達の怒声と悲鳴で簡単に掻き消される程度のもの。しかし大型巨人は確かにその音を聞いた。空気の振動ではなく、ハッキリとした気配の形で。

 そして彼は、わなわなと震えながら背後を振り返る。

 彼の後ろには、一頭の鹿が立っていた。

 何度も殴られて傷だらけの身体。口からは血がだらだらと零れ、大地を踏み締めている四本の足は生まれ立てのように震えている。分厚い皮は埃と泥と血で汚れ、毛が禿げて剥き出しになった地肌は内出血で青くなっていた。

 どう見ても死に損ないだ。今すぐくたばってもおかしくない。

 だが、大型巨人は悟った。コイツは絶対に死なない。その胸に宿る『激情』が消えない限り、何度でも立ち上がる。殴れば殴るほど奴は『激情』を燃え上がらせ、命も共に激しく燃えていく。その灯火が消える事は、ない。

 弱りきった鹿である筈のアニミスの姿に、大型巨人は大きく後退りした。

「……ク、キュ……オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!」

 傷みで藻掻いたのは一瞬。続いてアニミスの口から吐き出された雄叫びは、血反吐と共に自らの強さを誇示する。叫ばなければ覚えなかった痛みに苛立つが、叫ばずにはいられない。

 沸き立つ激情がアニミスを突き動かす。誇り? 使命感? 恐怖心? ……どれも違う。そんな七面倒な感情ではアニミスを動かせない。

 アニミスを突き動かすものは、怒りのみ。

 最初はかつての自分を怖がらせた奴だからぶん殴ろうと思った。次に住処を滅茶苦茶にされた怒りをぶつけようとした。そして今の胸のうちを満たすのは――――自分より強い奴がいるなんて気に入らないという、身勝手極まりない、故に真っ直ぐな想いだけだ!

「ギ……ギ……! ギョオオオオオオオオオオッ!」

 大型巨人が吼える。貴様など怖くないとばかりに。

「クキュオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!」

 その咆哮を、何倍も大きな声でアニミスは押し返す。喉から血が噴こうとも、腹の傷が開こうとも構わずに。

 大型巨人は尻餅を撞いた。何もされていない。何かされる訳がない。アニミスは最早死にかけであり、対する大型巨人はちょっと両手を骨折しただけ。普通に戦えば圧倒出来る……理性では分かっているのだ。

 けれども戦えない。コイツと戦ったら負けるという、そんな非現実的な意識に囚われてしまったがために。

 大型巨人は気迫で圧倒されたのだ。思いっきり殴れば死ぬ筈の獣の、決して消えぬ憤怒に飲まれて。

 攻撃に転じぬならば、アニミスにとっては好機である。

「ク……キュルルオオオオォ!」

 痛む身体に鞭を打ち、アニミスは駆けた。

 迫り来るアニミス。もしも大型巨人が立ち上がり、正面から受け止めたなら……傷だらけのアニミスは簡単に突き飛ばされる。そうでなければおかしい。

 だが大型巨人の本能は予感していた。コイツはもう何をしようが、例え今ここで奇跡が起こって殺せたとしても、絶対に止まらないのだと。

「ギョ、ギョオオオオオオオオオッ!」

 それでも彼は巨人達の長であり、己の内に湧き上がった恐怖と戦えるものだった。

 戦えてしまうものだった、と言う方が正しいかも知れないが。

 アニミスは駆ける。身体を走る痛みなど無視して、激情のままに。

 そして自らの頭にある、最も優れた武器を大型巨人に差し向けた。

 大きく捻れ、槍のように鋭くなった角を、アニミスは巨人へと突き出す。大型巨人はアニミス目掛け腕を伸ばしてきたが、それでもアニミスは止まらず駆け抜ける。ついに大型巨人はアニミスの『武器』を素手で掴み――――

 全速力で突っ込んだアニミスの武器は、大型巨人の指を粉砕して吹っ飛ばした。

 大型巨人は目を丸くした。次いで傷みで顔を顰め、続いて大きく身を捩る。迫り来るアニミスの角を躱すために。

 だがもう遅い。何をしたところで、未来は最早変わらず。

 血を噴き出しながら駆けたアニミスの角の先が、大型巨人の胸に深々と突き刺さるのであった。

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