大群

 アニミスは背中に跳び付いてきた巨人の思惑が、全くといって良いほど理解出来なかった。

 何故背中に乗った? 今なら自分を倒せると思ったのだろうか? それとも腹が減って襲うのが我慢出来なかった?

 跳び付いてきた巨人の力はそこらの有象無象と大差なく、アニミスがその気になれば簡単に踏み潰せる程度の存在だ。何か特別な事をしているかといえばそうではなく、本当にただしがみつくだけ。勝ち目がないのは明白なのにどうしてこの巨人は自分に挑んでくるのか、アニミスには想像すら出来ない。

 何故ならアニミスは一頭で生きてきた動物だからだ。

 頼れるのは我が身のみ、大切なのは我が命のみ、優先すべきは我が想いのみ。他に勝るものはなく、ただただ自分のためだけに生きていく。それがアニミス、ネジレオオツノジカの生き様だ。或いは大多数の生物の、と言い換えても良い。

 彼女には分からないのである。我が身の危険を顧みず、捨て身になろうとも強者に挑もうという気概が。

 されど巨人は、その気概を理解する。

「ギ、ギョウッ!」

 アニミスが困惑している、その隙を突くように大型巨人が蹴りを放つ。蹴りはアニミスの腹に当たり、彼女の身を僅かながら打ち上げた。

 大型巨人は素早く転がり、アニミスの下から脱出する。しかし顔面も手もボロボロだ。息も絶え絶えで、体力の残りは少ないであろう。逃げたところで悪足掻きに過ぎず、今なら簡単に追い詰め、仕留められる。

 アニミスは背中に乗った巨人を、近くにあった豪邸の残骸に叩き付けた。普通の巨人は大型巨人と違いこの衝撃に耐えられず、メキメキと様々なもののへし折れる感触がアニミスの肌を伝わる。巨人の身体から力が抜け、二度と邪魔はしてこないだろう。

 壁にめり込んだまま動かなくなった巨人から離れ、アニミスは再び大型巨人と向き合おうとする。ところがどうした事か、大型巨人の前にずらりと巨人達が並び、行く手を遮るではないか。アニミスが少し本気で突進すれば、その命は簡単に散ってしまうというのに。

 誰かのために身を挺する。アニミスには全く理解出来ない行動だ。

 そしてこれが巨人達の最も恐ろしい『力』なのだという事を、アニミスは想像も出来ない。

「……ギョオォウッ!」

 大型巨人の『掛け声』に呼応し、巨人達が一斉にアニミスへと襲い掛かる!

 迫り来る無数の巨人達を前にして、アニミスは恐れなど抱かない。住処である山でも巨人達の群れを差し向けられ、大群と戦い、勝ち抜いたのだから。あの時より少し数は多いものの、それだけである。なんの問題もなく打ち破れるとアニミスは確信していた。

 事実、真っ正面からぶつかり合えば、アニミスはこの大群相手に勝利しただろう。巨人達の牙はアニミスの分厚い皮には通じず、アニミスの振るった蹄は奴等の頭蓋骨を容易く砕くのだから。

 しかしそこに『戦術』が加われば、話は変わる。

「ギョオッ! ギョッ、ギョギギギョ!」

 大型巨人が何かを叫ぶや、巨人達の動きが変わった。

 直進してきた彼等が、左右に分かれたのである。ぶつかり合う気満々だったアニミスは反射的に足を止めてしまい、どちらを向くべきか分からず一瞬首を左右に振ってしまう。

 そうして困惑するアニミスに、両側に展開した巨人達は一斉に距離を詰めてきた。

 挟み撃ちだ。巨人達の目論見に気付いたアニミスは、兎にも角にも包囲を脱しようと一方……右へと振り返る。迫り来る巨人達を頭突きと蹄で押し返すが、数が多くて全てを潰すには時間が掛かる。

 右側に展開した巨人達が壊滅するよりも前に、左側に展開していた巨人達がアニミスの下に辿り着いた。巨人はアニミスの下半身に次々と跳び付き、動きを阻んでくる。アニミスは後ろ足で巨人達を蹴り上げ、何匹かは胸骨を砕いて仕留めてやったが、こちらも多勢に無勢。数で押しきられ、下半身の身動きが封じられてしまう。

 下半身を押さえ付けられた事で、上半身の力も思うように出せない。その隙を突いて残る巨人達は上半身に組み付き、アニミスの動きを完全に封じてみせた。何十という巨人に纏わり付かれたアニミスは、歯ぎしりをしながら前に進もうとするも、一歩と動く事すら出来ない。

 無論この程度の力、どうという事はない。前には進めなかったが足は動かせるし、頭だって少し振り回せる。纏わり付く輩を一匹一匹潰し、蹴散らしていけば、やがて自由を取り戻せるだろう。アニミスに巨人達の攻撃は通じないのだから、時間を掛ければ勝つのはアニミスの方だ。

 だが、目の前に立つ大型巨人が加われば話は変わる。

「……ギョッギギギギギギョ」

 それは彼等の笑い声なのか。アニミスにとって酷く深いな声で鳴いた大型巨人は、アニミスとの距離を詰めていき……

 身動きの取れないアニミスの顔面に、握り締めた拳を叩き付けた。

 怪我をしていて上手く力が入らない筈の拳であるが、それでも頭であればアニミスに多少なりと打撃を与えられる。しかも今は他の巨人が拘束している影響で、受けた衝撃を受け流すような動きも出来ない。殴られたアニミスはぐらぐらとする傷みと気持ち悪さを覚え、全身から僅かに力が抜けてしまう。気合いでこれを堪え、すぐにアニミスは大型巨人を睨み付けたが、大型巨人はげらげらと笑うばかり。

 そして大型巨人がこの一発でアニミスを許す筈もない。

 大型巨人は拳をアニミスに振り下ろす。何度も何度も振り下ろし、その顔面に手痛い一撃を喰らわせた。

 アニミスもやられるだけではない。後ろ足を上げ、自分を拘束する巨人達を蹴り飛ばすなどして、少しずつ脱出の機会を作り上げている。しかし大型巨人の打撃は止まず、段々と身体に力が入らなくなってきた。

 力は弱くとも数が多い個体による戦術的行動。一匹一匹では手に負えない『強敵』が現れた時に立ち向かう圧倒的な個。

 この二つの組み合わせこそが、巨人達の真の『戦い方』なのだ。アニミスは確かに強い。巨人達の中でも最強である大型巨人さえ一方的に嬲るほど、大きく実力を引き離していた。だがその強さはあくまで個としてのもの。巨人達の本当の強さである群れの力と合わされば、巨人達はアニミスを圧倒出来る。

 巨人達は五百年前の人類を追い込んだ種族。より進歩したとはいえ、今の人間達に絶滅の危機まで追い込まれた鹿とは違うのだという事を証明するかのように、アニミスは巨人達に為す術もなかった。

「ギョ、ギョギョギョギギョ」

「ギョギギョギ」

「ギョオオォォギィー!」

 歌うように、はしゃぐように、巨人達が喚く。今すぐこの喚きを黙らせたいアニミスだが、身体に纏わり付く何十という数の巨人を一気に片付けるほどの、瞬発的な力は出ない。

 歯噛みする事しか出来ないアニミスを、大型巨人は嬉々としながら殴り続ける。顔を何十と殴った後は飽いたとばかりに移動し、仲間達を脇へと寄せて露わになったアニミスの胸部を蹴ってきた。手とは違い怪我をしておらず、動かない目標であるが故に存分に力を込める事が出来た蹴り。その威力は凄まじいもので、突き刺さるような衝撃がアニミスの身体を痛ませる。何度も胸を蹴られたアニミスは口から赤黒い血を吐き、足からは力が抜けて座り込んでしまう。

 アニミスが膝を折るのを目にするや、巨人達はアニミスから離れる。自由を取り戻したアニミスだが、立ち上がる暇などない。

 大型巨人の攻勢は終わらないからだ。否、むしろアニミスを取り押さえていた仲間が退いたため、仲間をうっかり巻き込む心配がない。思う存分暴れる事が出来、攻撃は一層苛烈なものとなる。

 振り下ろした拳で脳天を殴り、脇腹を蹴り上げアニミスの身体を転がした。銃弾すらまともな傷とならない皮膚を通り抜けた打撃が、アニミスの骨に強い痛みを感じさせる。じくじくとした痛みが走る中それでもアニミスは立ち上がろうとするが、追い討ちの蹴りを入れられ、更に骨の痛みが酷くなった。

「ギョッギョッギギギギギョ! ギョギーギギギョギョギョ!」

 大型巨人は上機嫌に笑いながら、延々とアニミスを嬲った。嬉々としながら殴り、はしゃぐように蹴る。吐き出した血がアニミスの口許をべったりと汚し、毛皮がボロ布のようになるのを眺めて悦に浸った。

 それでもアニミスはまだ死んでいないので、大型巨人は更にアニミスをいたぶる。力なく伸びている足を踏み付け、地団駄を踏むように何度も痛め付けた。アニミスが足を退かせば、今度は頭を殴ってくる。これでもまだ死なないので次は腹を蹴り付け、痛め付けた身体を転がす。ゆっくりとアニミスが起き上がったのでまた蹴り飛ばし、また起き上がったので更に蹴り、睨み付けてきたので頭を殴って胸を殴って殴って殴って蹴って蹴って蹴って蹴って――――

 大型巨人の顔から、笑みはもう消えていた。

「ギョギッ! ギョオッ! ギョオギッ! ギッ! ギギョオォッ!」

 嬉々としていた顔は、鬼気迫る顔に変わり果てていた。遊ぶような殴り方は本気の拳に代わり、自分の手から血が出る事も厭わない。足は必死に蹴り上げ、致命傷を与えようと努力する。

 だが、アニミスは死なない。

 死なないどころか、怯えもせずに大型巨人を睨み付けるのみ。足はこの場から逃げ出そうともせず、震えながらも大地を力強く踏み締めようとするばかり。

 アニミスの闘志は折れていない。否、それどころか負ける事を考えてもいない。

 どれだけ痛め付けられようとも、どれだけ嬲られようとも、アニミスは大型巨人を事だけ考えていた。

「ギ……ギギ……!」

 一方的に殴っていた大型巨人が後退る。アニミスの衰えを知らない、それどころか一層激しく燃え上がる気迫に押されて。

 されど巨人はおめおめと逃げ出さず、その場に踏み止まった。恐れる必要などない筈なのだ。そこに居るのは目付きが鋭く諦めが悪いだけの、傷だらけの鹿に過ぎないのだから。

 それでも、何か得体の知れない『嫌なもの』を感じたのだろう。

 でなければアニミスを嬲る事をあんなに楽しんでいた大型巨人が、全身全霊の力を掛けて拳を握り締める筈がないのだから。

 止めの一撃を喰らわせてくるつもりか。執拗に打撃を受けて弱った身体では、少々厳しい一撃になりそうだとアニミスは察する。だが彼女は諦めない。どんな威力で殴られても揺らがず、むしろ押し返してやるとばかりに、己の首に力を入れた。

 睨み合う両者。気圧されるのは傷が浅い方であるが、動けないのは傷が深い方。大型巨人は握り締めた拳を、大きく振りかぶり――――
















「ギョギイイイイイィィッ!?」

 唐突に、巨人の悲鳴が上がった。




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