この恋はまだ、始まったばかりです。

 私と永井先輩が、つ……付き合うことになってから、早一週間と少し。その間私達は……ええと、その……ごめんなさい。実は特に、何にも無かったのです。


 驚かせてしまったでしょうか? そうですよね。この事を話したら、春香ちゃんにも呆れられちゃいましたし。あ、でも付き合うことになったって話したら、まるで自分の事みたいに喜んでくれて。彼女さんの正体が実は妹さんだって聞いた時は、「女心を弄んだ」って怒っていましたけど、それでもちゃんと祝福してくれました。

 「この喜びを是非ポエムにしよう」とも言ってくれましたけど、それは丁重にお断りしました。さすがにあのポエムは、ちょっと……でも喜んでくれたのは嬉しかったです。ありがとう、春香ちゃん。

 

 さて、それはそうと、先輩の話です。私達、付き合い始めたのはいいですけど、二人とも忙しくて、会う時間がとれなくて。バイトで一回顔を会わせはしたものの、仕事中の私語は厳禁ですし、その日は終わる時間もズレていたので、事務的な話しかできませんでした。


 せっかく付き合えたのに、これでは寂しいです。あ、でも一つだけ大きな変化がありました。実は永井先輩と、スマホのアドレス交換ができたのです!

 春香ちゃんには、今までアドレスも知らなかったのって呆れられちゃいましたけど、こうして知ることができてとっても幸せ。何を話せば良いか分からないので、あんまり連絡はとれずにいるのですけど、これでいつでもお話しできるんだと思うと、嬉しくなります。


 さて、そんなわけで亀のように歩みの遅い私達ですけど、今日は久しぶりにバイトのシフト時間が重なりました。

 先輩と会えることにドキドキしながら、勤務時間の少し前にスタッフルームに入ると、先に来ていてテーブルについていた永井先輩が、優しい顔で笑いかけてきます。


「こんにちは、泉さん」

「こ、こんにちはです」


 まだまだ新米の彼女である私は、つい緊張して、ぎこちない返事になってしまいました。だけどいつまでもオドオドしてはいられません。

 今までは少し離れた位置に座っていましたけど、今は彼氏と彼女。思いきって先輩のすく隣に腰を下ろすことにします。肩から下げていたバッグをテーブルの上に乗せて、ちょこんと椅子に腰かけて、それから……ううっ、その後が続きません。何か喋らなくちゃとは思うのですが、何を話せば良いのか。


 そうしていると、何やら視線を感じます。見ると永井先輩が、じっとこっちを見ているじゃないですか。

 もしかして私、どこかおかしな所でもあるのでしょうか? 慌てて髪や服装が変じゃないか、確認しようとすると。


「泉さん」

「ふぁい!」


 名前を呼ばれてビックリして、思わず声が裏返ってしまいました。恥ずかしかったのですけど、先輩はクスリと笑って、いつもの調子で問いかけてきます。


「そのバッグ、戻ってきたんだ」

「えっ……あ、はい!」


 いけない、ちゃんと報告しなくちゃって思っていたのに、緊張して忘れてしまっていました。

 テーブルの上に置いたのは、以前に引ったくられたバッグ。実はあの後、ひったくり犯は逮捕されて、一昨日になってバッグは無事に、私の所へと戻ってきたのでした。幸い、中身は手付かずのまま。お財布も化粧ポーチも、ちゃんとありました。そして何より……


「これも、戻ってきました」


 そう言ってバッグの中から取り出したのは、前に先輩がプレゼントしてくれた、あの猫のデザインが施されたブレスレット。返ってきたこれを見た時はホッとしました。どこかが壊れたわけでもなく、盗られた時のままの形で、戻ってきたのです。


「それも、引ったくられてたんだね。着けてる所を見なくなってたから、もしかして気に入らなかったのかもって、心配してた」

「えっ? そんなことありませんよ。ちゃんと気に入っています。これから仕事じゃなかったら、今すぐ着けたいくらいです」


 いかにこのブレスレットが大事かを、必死にアピールすると、先輩はクスクスと笑います。


「そんな風に思ってくれてたんだ。良かった、妹以外の女の子にプレゼントなんてしたことなかったけど、今ので安心したよ。大事にしてくれてありがとう」

「大事って言っても、一度引ったくられたんですけどね。ごめんなさい、黙ってて」

「いいよ、言いにくかった気持ちは分かるから。だけど良かった、無事に全部戻ってきて」

「はい。もう絶対に、無くしたりはしません。絶対の絶対です」


 だって初めてもらったプレゼントなんですから。もう手放したりはしません。今から仕事なので付けられないのは悔やまれますけど、終わって帰る時には……。


「……泉さん」

「はい?」

「今日は、終わる時間同じだよね。その後もし時間があるなら、一緒に食事でもどう?」

「……喜んで」


 先輩からのお誘い。もちろん断る理由なんてありません。想像すると今から、ウキウキしてきます。


「あ、そろそろ時間ですね。今日もお仕事頑張りましょう」

「そうだね。あ、でもその前に……」


 そっと先輩の手が伸びてきて、私の両頬を捉えます。そして今度はゆっくりと顔が迫ってきて、頬に柔らかな感触がありました。

 それはほんの一瞬でしたけど、唇が離れた後、私は照れながら永井先輩を見ます。


「い、今するんですか〃〃〃⁉」

「ごめん、嫌だった?」

「嫌じゃないですけど……これから仕事なのに、これじゃあ手がつかなくなっちゃいますよー」

「大丈夫、俺がちゃんとフォローするから。それに仕事前だから、頬にしておいたんだよ。この続きは、バイトが終わった後でね」


 ああ、これは先輩、本気で言ってますね。

 だけど恥ずかしくても、心の中で続き楽しみにしている自分がいます。けど、やっぱりまずは働いてから、ご褒美はそれからです。


「……続き、ちゃんとやって下さいね。絶対の絶対ですよ」


 私達は照れながら、笑い合いながら、スタッフルームを出ます。

 この恋はまだ、始まったばかりです。これからもよろしくお願いしますね、先輩♥️



 おしまい♪

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バイトの先輩に恋をしたけど 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi

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