4-2 この場は個人崇拝の場と化している

 紅白戦は瀧君と今利君が別のチームで、始まると今利君の巧さ・速さ・凄みがよく分かった。守備陣がゴールの前のコースを塞いでかろうじて得点させないけど、瀧君のチームのゴールに降り注ぐシュートの雨嵐。一応紅白戦なのだけれど、まるで守備練習だ。

 本来中盤のはずの瀧君は自陣に足止め。これは苦しい。

「爽平、負けてんじゃないよ!」

 有沢さんの声援は、愛がこもっていて、そして厳しい。僕だったら「言うのは簡単だけどね……」とぼやいているところだ。

 再び今利君がゴールに迫り二枚の壁ができたところで、今利君が少しだけ右に動いてゴールの隅から一割ほど内に入ったところにボールを放った。直線で飛んだボールはキーパーの手も触れさせずゴールネットに突き刺さった。全てが一瞬で、過去形で語るしかなかった。

 ギャラリーから歓声が上がる。

「今利君、カッコいい!!」

「さすがエース!」

「今利君、愛してます!」

 最後の言葉なんか、サッカーの応援と言うより憧れの告白だよね。女子はそういうの好きだなぁ。

 と声がする方を見たとき、僕は見てはいけないものを見てしまった。

 女子の頭の上のトラックが書き換えられている。

 全て今利君個人を応援する内容に。

 今利君は「みんなのファンになってくれるといいな」と言っていたけれど、この場は個人崇拝の場と化している。

 これは僕が止めた方がいいんじゃないのか。

 誰だ? 誰が書き換えてる?

 周囲を見渡しても、グラウンドには試合中の選手と今利君を礼賛させられているギャラリーしかいない。

 ある女子のトラックが書き換えられる。

《今利君、もう一本ゴールを!》

 僕はそのトラックを塗りつぶす。みぞおちに鉄アレイが入る。

 その子は声が出なくなったことをいぶかしがる。怖がるようすで周囲を見る。

 その間に別の女子のトラックが書き換えられる。

 僕はその子のトラックも塗りつぶす。みぞおちがさらに重くなる。

 ギャラリーの間に不信感が広がってくる。声援が減った。声を出そうにも、出ない。

 トラックの書き換えはまだまだ続く。五回、一〇回、二〇回。

 僕が書き換えられたトラックを上書きする度、僕の身体には重しがのしかかり、立っているのも辛くなる。

 あ、しまった。僕だけトラックが書き換えられなかったら、僕が細工をしていることがバレてしまう!

 やりたくないけどやるしかない。、自分の頭の上のトラックを塗り替えて、犠牲者の一人に見せかけるために今利君に声援を送る。

「今利君、頑張って」

 振り絞った声援はあまりにセンスがなさ過ぎた。そして声は枯れ枯れで、今利君にも、犯人にも届かなかっただろう。

 そんな中、有沢さんは瀧君を応援し続ける。

《爽平、足止まってるぞ!》

 そのトラックが書き換えられた。

《今利君、足止まってる爽平なんか抜いちゃって!》

 僕はどうにかして有沢さんのトラックを塗り替える。間に合うか!

 有沢さんの口から、次の声援が出た。

《爽平、足止まってる》

 なんとか意味は繋がってるぞ。間に合った……

 有沢さんの声援を守ったことを確認したとき、僕の足が崩れた。僕は膝と両手をグラウンドにつき、息をするだけで体力の全てを持っていかれる。

 もう守れない。

 そう観念したとき、秡川さんのトラックが書き換えられたのが見えた。

 なんだ、その言葉は!?

 塗りつぶさないと……

 僕は気力を振り絞る。でも体力が尽きていた。

 そして書き換えられたままのトラックが秡川さんの口から出た。

「なにも持ってない子は大変ね。プレーを応援しても振り向いてくれない。私が身体で迫れば今利君でも落ちると思うけどね」

 秡川さんの、目が泳ぐ。

 隣にいる有沢さんが驚いて秡川さんを見る。

 少し離れた場所にいる女子がつぶやいた。

「あのデカパイ女、そんなに自分の身体に自信あるんだ……」

 秡川さんは両手で口を覆った。その視線は定まらない。

 そして。

 口を手で覆ったまま、グラウンドの外に向けて駆けだした。

「待って!」

 僕は自分では最後に感嘆符をつけたつもりだった。でも実際に出た声は「待って……」と三点リーダーがついていた。

 これは、とてもまずいことになる。

 秡川さんを独りにしてはいけない!

 僕は膝に手をついてどうにか立ち上がる。そうか、やればできるもんだな。

「有沢さん……僕は……秡川さんを……追いかけるから……」

「ていうか、岸凪君、顔真っ青だよ。はっきり言って救急車レベル」

 有沢さんの語調はいつもの軽口だけど、心の底から僕を心配する声音を初めて聞いた気がする。

「僕は、大丈夫、だよ…… 有沢さんは……瀧君を……応援してて……」

 秡川さんが走って行ったのはあっちだったな。行こうか。ハハハ、走ろうとすると転んじゃうや。歩くしかないな……

「岸凪君、ちょっと待って!」

 僕の背中に向けられた有沢さんの呼びかけにはきちんと感嘆符が付いていた。

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