エピローグ

 すっかり夜も更けた男爵家の応接室にて。

「アルブル子爵、神殿に運び込まれて気の病の診断されたみたいね」

 手酌で注いだ葡萄酒をちびちび飲みながら、瑞香がぽつりと零す。

「無理もあるまい。娘殿を無くした時点で、彼の魂はやせ細ってしまったのだろう。その結果縋りついた救いが偽りと知れた時、我慢がならなかったのだろうね」

「傍から見てると間抜けだけど、まぁ気持ちは解らなくもないわ。……個人的には、娘じゃなくて縋る相手が欲しかっただけじゃないの、とも思うけど」

「厳しいな、親友」

「実体験だもの」

 ビザールがグラスを掲げると、嫌そうな顔をしながらも半分程度は中身を注いでくれる。ふたりでグラスを軽く煽り、これで子爵の末路については終いとした。

「フランボワーズはどうなったの?」

「ミロワール殿には不要と突っぱねられたからね。王家お抱えの魔操師達が確保したようだが、同じものを作るかどうかは微妙な所だろうね。元来、他人の研究を糧とすることはあっても、引き継ぐことなどは考えもしない者達が多いと聞くよ」

「んじゃあやっぱり良いの手に入れる為には地下じゃないと無理か。あーやだわぁ、あの蛞蝓の爺に媚売るの」

 洞窟街のマーケットを牛耳る蛞蝓の頭領を指して、瑞香は舌打ちせんばかりに顔を歪めた。

「ねぇー少しは口利きしてよ、親友でしょお?」

「吾輩、あのお方には嫌われ気味なので、力になれるかは何とも言えないね。レイユァ殿やミロワール殿程感情で動いてはくれないし、蟻殿より規律に厳しくもない。やろうと思えばお前の手管で出来る筈では?」

「出来なかないけど面倒だから言ってんのよぉ」

「……そこまであの方は、精巧な人形を欲しがっているのかね?」

 ふと、問いかけた言葉に、一瞬瑞香の濃い青の目が据わった。思わずそうしてしまったのだろう、すぐ自分で気づいて気まずげに逸らされたけれど。目線だけで、ビザールも謝意を示す。彼の心の柔いところを傷つけるようなことは、出来る限りしたくないのだ。

「……昔っからそうよ。あいつが欲しいのは、自分のいう事しか聞かないモノだけだもの」

 どこか、途方にくれた――諦めたような顔で、瑞香はやっとそれだけ告げた。すぐに自分の杯を干して、立ち上がる。

「帰るわ。流石に二日連続で泊まったらドリスに悪いし」

「ああ。助かったよ親友、またよろしく頼む」

「奥様とヤズローにもよろしくねぇ。んじゃ、お休み」

 いつも通りの明るい声と笑顔で、瑞香はひらりと手を振って部屋を出ていく。影のように付き従う小目も軽く会釈して出ていき、応接室には沈黙が落ちた。

 ビザールも、最後の一口を飲み干して立ち上がる。かなり飲んだはずなのだが、足元も意識もしっかりとしている。そも、酒に酔った経験が無い。

 足を忍ばせて、一階の隅にあるヤズローの部屋をそっと覗く。本人が必要ないからと言って、鍵をかけないので遠慮なく。

 小さなベッドの上に、小さな体が寝転んでいる。包帯塗れのヤズローの体に、金属の四肢はついていない。普段なら外さないまま寝ていることも多いが、流石に今日は疲れたのだろう。あるいは、本人が外すつもりが無くても、胸の上に鎮座している銀色の蜘蛛が全部外してしまったのかもしれない。

「ああ、怒らないでくれたまえよレイユァ殿。この子は本当によくやってくれているとも」

 足を持ち上げて威嚇してくる蜘蛛を小声で押さえつつ、眉間に皺を寄せたまま眠っているヤズローの白髪頭を、感謝を込めてそっと撫でてやる。ほんの少し、しかめっ面が柔らくなったようだった。

「どうか、良い夢を、ヤズロー。ご苦労だった、ゆっくり休みたまえ」

 声が聞こえているわけではないだろうに、すっかりヤズローの眉間の皺は取れていた。素直な従者に顔を綻ばせつつ、早く帰れと言いたげな――それでも今日は満腹だからまだ機嫌のいい方だろう――銀の蜘蛛にも気取った礼をしてから、そっと部屋を出る。

 次に向かうのは二階だ。元々母親が使っていた部屋で、彼女が亡くなってからはずっと封じていたが、妻を迎えるにあたり盛大に片付け直した。家具の古臭さは申し訳ないが、これからゆっくり好みのものを揃えてくれればと思う。

 こつ、こつ、と小さなノックを二回。返事が無ければ今日は休もうと思ったのだが、小さく「はい」と返事が聞こえてしまった。喜べば良いのか嘆けば良いのか解らないまま、ビザールはそっと声をかける。

「吾輩です、リュリュー殿。少しだけ、お時間宜しいですかな?」

『勿論です、男爵様。少々お待ちくださいませ』

 すぐに開いた戸の先には、夜着に着替えていたものの、眠りは全く訪れていなかったらしいリュクレールが出迎えてくれた。ベッドも全く乱れていない。明かりは枕元のランプしかない暗がりで、一人でいたのだろう。

「眠れませんかな?」

「……はい。何か、色々と考えてしまって」

 俯く淑女をそっと手で促しながら、ベッドの上に座らせる。ビザールはまた来客用の小さな椅子に尻を押し込んで、笑顔で手指を組んでみせた。

「貴女のお心の暗雲を、吾輩は出来る限り取り去りたいと願っております。まとまらない考えも、頭の外に出せばまとまることも多いです。この吾輩を黒板だとでも思って、是非不安などを書き出して頂ければ幸いにございます」

 舞台俳優のような大げさな仕草でのたまうと、リュクレールの顔がほんの少し綻んでくれた。やはり彼女の笑顔は、何物にも代えがたい素晴らしいものであると再認識する。

「……わたくしの言葉で、フランボワーズ様は自らの……命、を絶ちました。彼女の行った行為は、許されざるものであると思います。ですが、子爵様とお同じように、信じていたものが誤っていた。その絶望は、耐え難いものであったと、わたくしにも解ります」

 そこまで言って、リュクレールは小さくかぶりを振った。

「いいえ、いいえ。わたくしは――解らなくなってしまったのです。わたくしは、魂とはひとつずつ、人に有って然るべきものだと思っていましたし、たとえ幽霊となっても、死女神さまに導かれない限り、その存在を許されるものだと思っていました。ですが、ですがあれは――」

 彼女の瞳に見えたのは、数多の魂をこねくり回し、無理やり一つにしている、悍ましい粘土細工のようなものだったのだろう。たとえ保存容器に入っていても、不完全なそこから霊質は零れていく。

「フランボワーズ様は、確かにあそこにいらっしゃったのに。あの瞬間まで、望みを叶えようとしていらっしゃったのに。……フランボワーズ様の魂というものは、どこにも無かったのです」

 ほろりと、金と青の隙間から涙が零れ落ちる。男爵は既にコツを掴んでいたので素早く尻を抜き取り、そっとハンカチを差し出した。すみません、と掠れた声の礼が聞こえ、尚もリュクレールは言い募る。

「男爵様、生きるとは、人とは、人形とは……一体、どういうものを指すのでしょうか? わたくしには、解りません。解らなくなってしまったのです」

「リュリュー殿、貴女の疑問は誰もが一度は真剣に考え、また答えが出ない物です。この若さでそこまで辿り着いたのはとても素晴らしいと存じます」

「そう、なのですか?」

「申し訳ありませんが、吾輩は貴女の疑問に答えを出す術がございません。ただひとつだけ、申し上げるのならば」

 顔を覗き込むと、きゅっと口を結んで真剣な表情でリュクレールが見つめてくる。この真面目さと気高さが何より美しいのだ、と納得の頷きをしてから、口を開く。

「吾輩はここにおり、リュリュー殿もここにおられます。リュリュー殿が自分がここにあると思い、また吾輩がここにいると思って下されば、吾輩もここにおりますとも」

「……自分や他者が、存在する、というものの定義は、己で決めなければならない、ということでしょうか?」

「素晴らしい! リュリュー殿、やはりあなたは慧眼です。そしてまだ若い、焦られるのは最もですが、少しずつ学んでゆきましょう。何より今回、貴女の働きで吾輩がとても助かったことは紛れもない事実なのですから!」

「! わ、わたくし、男爵様のお役に立てたのでしょうか?」

「勿論ですとも!」

 断言すると、少女は漸く憂いが消えた笑顔になってくれた。責任感が強いのは解るが、こうやって少しずつ力を抜くことを覚えてくれればいいと切に願う。

 そして――その安堵した表情を見て、男爵は自分がそろそろ限界になっていることに気付く。ぐるり、と腹が動いたような気がした。

「さぁ、もう夜も遅いです。どうぞごゆっくりお休みください、リュリュー殿」

「はい……ありがとうございます、男爵様。……あの……」

 踵を返そうとした時、声をかけられて振り向くと。恥ずかしそうに、いつになく俯いてもじもじとしているリュクレールがいて。

「……わたくしの体が未熟なせいで、ご迷惑をおかけしております……」

 白い頬が真っ赤に染まり、涙目になりながらも申し訳なさそうに告げる姿をみて、ビザールは思わず天を仰いだ。

 ――これは試練ですか、母上及びご先祖様方!

 一つ大きく息を吸い、長く吐き出す。ぱっと妻に向けた顔は、いつもの笑顔で。

「言ったでしょう、全てゆっくりで良いのです。吾輩もおめがねに叶うよう、体を鍛えねばならないので!」

 おどけて言い切り、気づかれない程度に速足で部屋を出た。リュクレールは最後まで微笑んでいたのだから、気づかれなかったはずだ。

 扉をしっかり締め、せかせかと速足で同じ階の自分の寝室――ではなく、一階へ降りる。階段は膝に体重が乗ってきつかったが、今は二階から離れねばならない。

 そっと己の腹に手を当てる。そろそろ誤魔化しが効かなくなりそうだ。

 食堂を通り抜け、厨房へ。有能なメイド頭は、明日の食事の仕込みをしていたようだが、主の姿に気付き僅かに細い目を見開いた。

「これは、旦那様。いかがいたしましたか?」

「うむ、すまないね、ドリス。少々小腹が減ってしまって」

「! すぐご用意いたします、お待ちくださいませ」

 はっと顔を強張らせ、すぐに手を動かすドリス。恐らく明日の朝食用のものがこれから出てくるだろう。彼女も先々代からこの家に仕え、年季を重ねてきた。あまり無理をさせたいわけではないのだが。

「お待たせいたしました、旦那様。どうぞお召し上がりください」

 ごく普通のスープとサンドウイッチが、食堂の椅子に座ったビザールの前に並べられる。様々な調味料と一緒に。

「……本当に、すまないね。ドリス」

 本来、完成された食事に調味料を足すのは無作法ともとられる。それぐらい貴族の端くれとして、ビザールも理解している。それでも――彼は、そうせざるを得ないのだ。

「何も問題はございません。どうぞごゆっくり、お召し上がりくださいませ」

 ドリスの一切表情を崩さない例に苦笑で答え。

 無造作にサンドウィッチを掴み、塩とマスタードを存分に振りかける。一口で半分以上齧ると、舌がほんの僅かの塩味と痺れを伝えてきた。

 ……ビザールの舌に死女神の神紋が刻まれてから、彼の味を感じる機能は低下し続けている。既に海水も平気で飲めるほどには、味を感じられなくなってしまった。

 塩塗れのサンドイッチとスープを、ビザールは次々と口に入れていく。いつも通り、作法を崩さず、旨そうに――しかしいつもより僅かに早く。急がないと、いけないのだ。

 僅かな味しか感じない食事を詰め込んでいくと、ずっと騒いでいた腹の虫が少しずつ治まっていく。誤魔化しだと解っているが、乗ってやろうと言いたげに。

 ――本当に食べたいのはこれではない。ちゃんと味を感じる、上等な霊質――動植物では量も濃度も足りない。本当に欲しいものは、食べたいものは、人の、

「――ふう」

 最後に用意された月光草の茶を一気に流し込み、漸くビザールは人心地ついた。じくじくと熱を持っていた腹に刻み込まれた崩壊神の神紋は、今やぴくりとも動かない。

「助かったよ、ドリス。ありがとう」

「勿体ないお言葉。……旦那様、この件、奥方様には」

 ドリスの懸念は最もなので、小さく頷く。ヤズローには簡単に伝えてあるし、瑞香も長い付き合いだ、知ってはいる。……二人とも、悪化については伝えていないが。

「……情けないな。他者に何を思われようと、気にしない性質だと我ながら思っていたのだがね」

 先日墓地を綺麗にしたばかりなのに、これほどまでに騒ぐのは、恐らく。とても食べやすいものが傍にいるからだ。

 肉体の頸城が僅かしかない、その気になれば壁を擦り抜けることさえできたリュクレール。多分、きっと、意識を向ければすぐに、自分は彼女を食べてしまう。比喩でも、獣欲の意味でもなく――彼女の全てを飲み込んで、崩壊させてしまう。

「あの方の優しさも、よく存じているのに。まさかこの吾輩が、嫌われることに恐怖を覚えるとは」

 口元が歪む。皮肉交じりの笑いだったのだろう、ドリスが僅かに眉を顰め、労うように告げた。

「恐れながら、申し上げます。旦那様――いいえ、坊ちゃま」

 子供に諭すような言い方に、昔を思い出して思わず背筋を伸ばすと。

「恋とは、そういうものにございます」

 きっぱりと言い切られ、ビザールはぱちぱちと目を瞬かせ――今度は心から、笑った。

「ンッハッハ! そうかそうか! これが老いらくの恋とでも呼ぶべきものなのかね!」

「まだまだ、旦那様は若うございます」

「うむうむ、これしきのことで凹んでいてはいけないね! まずはこの体を大人しくすることから始めねば!」

 父に刻みつけられ、母を殺したこの体を、憎いと思う気持ちはとうに尽きた。力を得たのだから、それに見合った使い方をしなければならないと考えたからこそ、今この役目を続けている。いずれ、この魂が崩壊神に食らい尽くされてしまっても、それはそれで仕方が無いとも思っていたけれど。

 誰もが見捨てた自分を、育ててくれたメイドがいて。

 学び舎で無二の友人達と出会い。

 地下の街で、生きたいと足掻く子供を拾って。

 そして今――愛しいと思う女性に出会えた。

「安心したまえ、ドリス。この吾輩、ビザール・シアン・ドゥ・シャッス、孫の顔を見るまで死ぬ気は無いとも! ンッハッハッハッハッハ!!」

 椅子から立ち上がり、子供の頃――まだベッドから起き上がることも出来ず、それでも心配する彼女を笑わせたい時と同じように声をあげると。

「……それはようございました、旦那様」

 ドリスはいつも通りの顔で、それでも、ほんの少し安堵したように微笑んでくれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪食男爵と唄歌いの人形 @amemaru237

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ