◆7-3

「ようこそいらっしゃいました、シアン・ドゥ・シャッス男爵。この度は不躾な願いを聞いて頂けて、感謝しております」

 紛れもない、己の屋敷にやってきた狼藉者達に、アルブル子爵は笑みを浮かべて対峙している。その声には、敵意も皮肉も込められていない、とドリスは感じた。男爵は表情を変えないが、他人の心の機微に敏い瑞香もやや訝しげに眉を顰めているので、間違いはないだろう。彼は本気で――自分達の事を、只の客人として扱っている。たった今、彼の家の執事に狼藉を働いた証拠が目の前にあるというのに。

 どうにも据わりが悪く、瑞香も自分の従者に命令を出せない内に、ビザールが一歩前に進み出た。いつも通りのおどけた風に――しかし、その顔に笑みは無い。

「突然の訪問失礼致します、トロン・アルブル子爵殿。ご無礼を承知の上で、急ぎ我が愛しの妻を迎える用事が出来てしまい、馳せ参じた次第です」

「おや、いらっしゃったばかりでは無いですか。一体どのような?」

「ええ、ええ、緊急ですとも。――我が愛しの妻の、命の危機であるが故」

 きっぱりと言い切った言葉に、子爵は――心底、同情したように眉を下げて見せた。

「おや、それは一大事ですな。ご心配でしょう、どうぞこちらへ」

 危機感のまるでない、夢を見ているようなどこか茫洋とした呟きの後、子爵はビザール達を促して歩き出した。ドリスは密かに自分のスカートの裾から残りの使い魔を放ち、屋敷の中を探らせる。

 ――使用人は皆人形。機械的な最低限の家事をこなすだけ。浚った子供の証拠なども、見当たらない。魔操師による証拠隠滅はあるかもしれないが、余程の辣腕で無ければ人が居た痕跡を消すのは難しいだろう。何か、隠されている場所がある筈。

 使い魔の視界を、奥方につけたカナヘビに切り替える。土壁の暗い部屋、見通しは悪い。床を這い回っているようだが、リュクレールの姿が確認できない。恐らくは地下、と他の使い魔を向かわせるも、一階から繋がる扉は硬く閉ざされており僅かな隙間も無い。やはり器用さに勝るカナヘビよりも、言葉を介する蛇を付けた方が良かったか、と逸る心を抑えている内、子爵が歩みを止めた。

「こちらは、娘の部屋です。リュクレール様はここへお通ししたので――おや、セーエルム? どうしたんだい」

 かちゃりと扉を開けると、中に居たのは痩せぎすの男。ドリスは初見だったが、大仰な装飾のローブと手に持った僅かに光を放つペンを見れば、彼が魔操師であることは容易に知れた。入ってきた一団に、驚愕の表情を浮かべている。

「子爵殿! これはどういうことですか、何故こいつらを――」

「セーエルム。娘の部屋で大きな声を出さないでくれ。この方達はリュクレール様の……おや、あの方はどちらに?」

 ドリスも素早く部屋の中を確認する。人の隠れられない程度の大きさしかない家具、天蓋の奥でベッドの上で横たわる人影、部屋の中心に立ち尚も声を荒げる魔操師――それ以外の者はこの部屋に存在しない。

「今は取り込み中です! プリュネ殿の為に私が身を砕いているというのに、台無しにするおつもりですか!」

「君の腕前は信頼しているとも。君がいてくれたおかげでプリュネは――」

『――男爵様ッ!!』

 どこか噛み合わない言い合いの中、不意にリュクレールの声が部屋に響き、ドリスも驚く。一体どこから――と首を巡らせ、声の聞こえた方へ視線を向ける。……下から、だ。

「な――馬鹿なッ!?」

 魔操師の驚愕の声が響く中、絨毯の敷かれた床が僅かに揺らぎ、そこがまるで水面のようにゆらりと、何かが浮き上がってくる。

 白い輝く不定形のものが、まるで蛇のようにくねり、見る見るうちに人のかたちを成す。ぱちりと開いた金と青の二色に分かれた瞳が、ビザールの姿を捉えて安堵の光を灯した。

「男爵様、良かった……!」

「おお、これはこれはリュリュー殿! よくぞ御無事で!」

 今までの緊迫感が全て消えた明るい声で、ビザールは揺らぐ影のような彼女の体をしっかりと抱き寄せる。自分の上着の前を広げて、彼女の体を隠すことも忘れない。そこでドリスも我に返り、素裸の彼女の肩に自分のショールを外してそっとかけてやる。

 自分の体が抱きしめられたことに安堵の息を吐いたリュクレールは、すぐに真剣な表情に戻って叫ぶ。

「どうか、この下へ! ヤズローがひとりで戦っているのです!」

 彼女の言葉に、打てば響くように男達は動いた。

「瑞香!」

『小目! 全て許す、ぶち壊せ!』

『御意』

 大柄な南方国の男は、ずっと背負っていた大きな包みを素早く背から下ろし――布に包まれたままの長物を掴み、何の躊躇いもなく床に振り下ろした。鈍い音がして、床板が割れる音がする。容赦なく、角度を変えて三発、四発。やがて人ひとりが通れるほどの穴が開いた時、小目はその体を下へ躍らせた。突然の暴挙に呆然としていた魔操師が我に返り、苛立ちと共に声を荒げる。

「糞、台無しだ! まだまだ実験の材料は必要だと言うのに!」

「おお、プリュネ、プリュネ大丈夫かい? 怖かっただろう」

 腹立たしげに部屋を右往左往する魔操師に対し、子爵はベッドに寝転んだままの娘を抱え上げ、頭を撫でている。その娘は――瞬きの一つもせず、ぴくりとも動かない。まるで、人形のように。

「プリュネ? どうしたんだい? セーエルム、一体何があったのだ?」

 そこで初めて子爵はお抱えの魔操師に視線を向けるが、彼は舌をひとつ打つだけで踵を返し――己のペンを振る。光の帯が一瞬宙を煌めき、セーエルムの体がふわりと浮かんだ。そのまま、開け放たれた窓から外へ――

「ドリス、頼むよ」

「仰せの通りに」

 男爵の小さな命令に、ドリスは綺麗に礼をして、自分の木杖を取り出す。

「風揺れ踊れ蔦の揺り籠、包んで丸めてヤマネの如く!」

「っ――なぁ!?」

 呪文と共に杖を振ると、窓から飛び出した男の体を、壁に貼り付いていた蔦が見る見るうちに網目のように広がって絡め取った。ペンを持った右腕は特に念入りに。事前に使い魔を放ち、庭に種を植えて置いて良かったと密かに安堵する。

「まだ旦那様のお話が済んでおりません。暫し、大人しくなさってくださいませ」

「くそ、廃れた血が! こんな古臭い術式ごとき……!」

 魔操師が吐き捨てるように言う言葉にも、ドリスは眉ひとつ動かさない。

「ええ、仰る通り、私達魔女は痩せ細る道を辿るのみ。だからこそ、今この時代に残った者を侮りになられないことです」

 魔女とは、古の術を使う者達。理を敷く神では無く、自然の顕現である竜に頭を垂れ、力を借りる者。故に、常に人の味方と成り得るものでもなく、もっと便利な奇跡や操魔にその地位を奪われ、使い手は減っていった。だからこそ、ここまで血と術を繋げたドリスには誇りがある。例え魔操師に一対一で向かい合っても、負ける気は無い。

「何をしているのだ、セーエルム! 一体プリュネはどうなったのだ?」

 あくまで娘のことについてしか声を荒げない子爵に、ビザールに抱かれたままのリュクレールが悲しそうな顔をしている。その頭をそっと撫でてやりながら、ビザールはあくまで優しく告げる。

「リュリュー殿。お辛いのならば、吾輩から申しあげましょうか?」

「……いいえ。……アルブル子爵様。失礼を承知で、申し上げます。この場に、プリュネ様はおりません」

 ドリスのショールに包まったまま、そっと身を離してリュクレールは立つ。戸惑ったように娘を抱えたままの、子爵の前に。

「何? 何を言っているのだ、お嬢さん。私は――」

「プリュネ様の魂は、恐らく。フランボワーズ様の中にございます。ですが、もう……」

「嘘だ!」

 誰よりも早く、子爵が声を荒げる。まるで、夢から覚めたように――或いは、夢から覚めるのを拒むかのように。男爵だけでなく瑞香も前に出て庇うが、リュクレールは怯まずただ子爵を見詰めた。

 血走った白目と瞳孔を揺らし、まるで恐怖から逃れようとするかのように、子爵は叫ぶ。

「あの子は死んではいない! ここにいるのだ! そうだろう、セーエルム!!」

 娘の身体を抱きかかえ、必死に訴える子爵に対し、拘束されたままの魔操師は唾を吐いて言い捨てる。

「チッ――今更、取り繕っても遅いか。どうせそちらも、もう金は無いのでしょう? ならばもう、人形遊びは必要ありますまい」

「何を言う! 君が提示したのではないか! プリュネの魂を永遠に保存する方法があると!!」

「いいえ」

 悲痛に訴える声を否定をしたのは、リュクレールだった。泣きそうに顔を歪めながらも涙は見せず、そっと促す夫の手に支えられて一歩踏み出す。

「失礼を承知で、申し上げます。魔操師セーエルム様、あなたはフランボワーズ様に、プリュネ様の魂を……食べさせたのですね?」

 ひそりと、だがしっかりと部屋に響いた声に、魔操師は寧ろ軽蔑の籠った瞳でリュクレールを見下した。飲み込みの悪い生徒に教える教師のように。

「語弊があるな。取り出したものを移植しただけだ」

「……この人形を、動かしていたのはフランボワーズ様なのですね。仕草も、表情も、お声も全て」

 さらりと言われた言葉に、リュクレールはやりきれないように首を振る。子爵に抱えられた子供は、瞬きひとつせず、ぴくりとも動かない。見た目は、肌の質感、潤みすら湛えた瞳、指の関節に至るまで人間と相違ないのに。硬い筈の体をしっかりと抱きしめ、子爵は嘆くように叫ぶ。

「そんな、馬鹿な! これは完璧な入れ物だと、君は言っていたじゃないか!」

「完璧ですとも、子爵様。だからこそ、あのような木偶の棒でも動かすことが出来たのですから――っぐぅ」

 不敵に嘲り笑うセーエルムが不快だったので、ドリスはすいと杖を振って蔦の締め上げをきつくする。がたがたと震えている子爵を、瑞香は不遜な目で眺め――ビザールはやはりいつも通り、どこかおどけた声で妻に告げた。

「ふむふむ、ふむん。では、リュリュー殿。貴女が見たものを、子爵殿に教えてあげてください」

「男爵様……」

「犠牲になった方々を、このままにはしておけますまい」

「……はい」

 しっかりと告げられた、既に全てを理解しているかのような男爵の言葉に、リュクレールは頷くしかなかった。娘を生かしたかった彼の愛情も、悲しみも、嘆きも、良く解るけれど――このままではいけない事だと、彼女も理解したから。

「犠牲、とは、どういうことですか。……一体何が」

 戸惑いしかない子爵の声に、目線だけで詫びてリュクレールは、出来る限り静かに告げる。

「フランボワーズ様は、……御近くで拝見して、解りました。確かにあの体の中には、魂がありました。ですが、それがまるで、渦を巻いているような――その中で、小さな泡が潰れて大きな泡になっていくようで……魔操師様、お尋ねします。あれは、プリュネ様と、沢山の方の魂が、合わさった姿なのですね?」

「……どうやらそちらの奥方様は慧眼だ」

 尚も締め上げられつつ、観念したのか、魔操師はもう一度舌を打って続けた。

「魂というものが如何に不安定なものか、貴様等には解るまい。肉体を引き裂き、霊体を絞らねば取り出せず、それを保つだけでどれだけの金と設備が必要か。常に燃料として新しいものをくべねば、とても留められるものでは無いというのに」

「で、では、プリュネは、私のプリュネは――」

 抱きしめていた娘の顔を覗き込み、それがやはり全く表情を動かさない様を見て――子爵の顔が絶望に歪み、叫んだ。

「そんなものは、プリュネではないじゃないか……!!」

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