第5話 災厄

 地下水路で〝奴〟と戦ってから、すでに三日の時が過ぎていた。


 ヨハンたちが〝奴〟について報告し、夜番の兵士を総動員して捜索するも空振りに終わってしまったため、翌日、ブリック公国軍は五〇〇人の兵士を投入して大規模捜索網を敷いた。

 しかし、二日かけて公都をさらったものの〝奴〟の影すら掴むことができず、ただ闇雲に探しても仕方がないということで捜索網は一旦解除。

 三日経った現在は、公都内にある全ての地下水路の入口に、五人一組の小隊を組んだ兵士たちを配し、警戒にあたらせていた。


「いや~さすがにオイラも、この小隊はしんどいわ」


 地下水路の扉にもたれかかって愚痴をこぼすカルセルに、ヨハンはただただ苦笑するしかなかった。


 ヨハン、クオン、カルセルは、〝奴〟について初めて報告した三人であり、ともにいることをよく目にする組み合わせであり、関係性も極めて良好ということで、同じ小隊に組み込まれることとなった。

 さらに、公国軍ナンバー2の剣士であるクオンがいるため、ヨハンたちの小隊は〝奴〟が現れる可能性が高くてなおかつ人通りが極端に少ない、郊外にある地下水路の入口の警戒にあたることとなった。

 それらについては、特に愚痴るような要素はないのだが、


「あら、マイク。ほっぺたに今朝食べたパンのくずが付いてるわよ」


 そう言って、やけに化粧の濃いが女が、やけに顔が濃い男の頬に付いていたパンくずを舐め取る。


「サンキュー、オリビア。やっぱりお前は良い女だよ」


 四人目と五人目の小隊員が披露する歯の浮くようなやり取りに、カルセルは心底うんざりしながら嘆いた。


「誰だよ小隊編成した奴~。カップルが二組いる小隊に放り込まれるとか、どんな拷問だよ~」


 色気よりも食い気なカルセルでも、さすがにこれは酷と言わざるを得ない状況だった。


「ヨハン、わたしたちも負けていられませんね」


 マイクとオリビアのバカップルぶりに対抗心を燃やすクオンに、ヨハンの苦笑が引きつる。


「頼むから、これ以上カルセルをいじめるのはやめてくれ」

「ふふ、わかってますって。冗談ですよ冗談」

「いや、絶対半分以上本気だったろ」

「さあ? どうでしょう?」


 クスクスと笑った後、クオンは先程よりも真剣味を帯びた声音で訊ねてくる。


「ところで、ヨハン。セルヌント公から許しをいただきましたけど……その……本当に使つもりなんですか?」

「ああ。あくまでも、予想された最悪の事態が起こればの話だけどな」



 ◇ ◇ ◇



 今朝。

 ヌアーク城内にある、ブリック公国軍会議室での出来事だった。


 会議室には〝奴〟の第一発見者であるヨハンとクオン、公国軍最強の剣士であるレグロの他に、各士団長を含めた公国軍の中枢を担う者たちが一堂に会していた。

 この会議により、捜索網の解除と、地下水路入口の警戒が決定されたわけだが、


「不審者を発見した時点で、お前がしっかりと拘束していたらこんな大事おおごとにはならなかったのだがな」


 冷ややかに正論を言うレグロに、ヨハンは苦虫を噛み潰したような顔で口をつぐむ。ヨハン自身が思っていたことであり、今この時も悔やんでいることでもあるので、反論のしようがなかった。

 

「何度も説明しましたが、ヨハンが侵入者を取り逃がしてしまったのは、あの時わたしがヨハンの気を逸らしてしまったからです。非難するならヨハンではなく、わたしにしてください」


 たとえ正論であってもヨハンへの糾弾を許せなかったクオンが、語気を強めながら割り込んでくるも、レグロの反応はどこまでも冷ややかだった。


「声をかけられた程度で、目の前の敵から気を逸らしてしまった時点で未熟。非難しない理由がどこにあるというのだ?」

「本当に、あなたという人は……!」


 例によって一触即発になりかけるも、


「こらこら二人とも。そんな恐い顔をするんじゃあない」


 穏やかな壮年の声が響き、クオンはおろかレグロも即座に姿勢を正す。

 まさしく鶴の一声だった。


 士団長たちですら口を挟むのを躊躇う、クオンとレグロの諍いを止めた偉丈夫いじょうふの名は、ザック・ドナー将軍。公国軍のトップにあたる人物だった。


「意見や主張がぶつかるのは仕方のないことだが、喧嘩はいかんよ。それにもうじき、セルヌント公御自らが、この会議室にお越しになる。君たちは、仲間同士で諍う様をセルヌント公にお見せするつもりか?」

「いえ、そのようなことは決して」

「申し訳ございません、将軍」

 

 レグロとクオンが、揃ってザック将軍に頭を下げる。

 公国軍が誇る二大剣士も、将軍の前では形無しだった。


 その後、誰に言われるともなく、誰も彼もが努めて静謐を保ち、主君の到着を待つ。


 ややあって会議室の扉が開き、近衛兵とともにセルヌント公が姿を現した。

 くすんだ銀髪と同色の髭を蓄え、質素な王衣おういに身を包みながらも確かな気品と貫禄を醸し出す、一国の主にふさわしい人物だった。


 会議室にいる者たちが皆揃って跪拝きはいしようとするも、セルヌント公は片手を上げ、


「そのままでよい」


 不思議と耳に心地良く、不思議とよく通る声で皆を制した。


「ヨハンよ」

「はッ」


 崇敬する主君に呼ばれ、ヨハンは背筋を伸ばしながら返事をする。


くだんの侵入者が澱魔エレメントを召喚したという話に、間違いはないな?」

「間違いありません。私と、ここにいるクオンが確かにこの目で見ましたので」

「……そうか」


 短く応じた後、セルヌント公は言葉の内容以上に確信を持った声音で告げる。


「確証はないが、侵入者に心当たりがある」


 直後、主君の御前であることも忘れて、皆がざわつき始める。が、セルヌント公が二の句をつごうとしていることに気づいた瞬間、水を打つように全員揃って口をつぐんだ。


「皆にはまだ知らせていないことだが、ここ一、二年ヘルモーズ帝国から、傘下に入れという密書がいくつも届いていてな。全て丁重に断ってはいるが、の帝国がそれを受け入れてくれるわけもなく、圧力は日に日に強まっている。件の侵入者は、業を煮やしたヘルモーズ帝国が送ってきた刺客と見てまず間違いないだろう」


 ヘルモーズ帝国の名が出た瞬間、会議室の空気が一変する。張りつめるように。怯えるように。


 世界最大にして唯一の大陸ミドガルドは、円環状に大地が続いており、ヘルモーズ帝国は円環大陸の北西部から北東部を支配する、大陸最大の軍事国家だった。


 ヘルモーズ帝国は今この時も近隣諸国を併呑し、着実に領土を拡げている。

 とはいえ、ブリック公国があるのは大陸南西部。

 現状、ヘルモーズ帝国の支配域からはそれなりに離れているため、魔の手が及ぶのはまだ当分先だと思われていた。


「早い、早いすぎる! もう大陸西部の国々を呑み込んだというのか!?」

「いや、そういう話はまだ聞いていない! 西部最大の領土を誇るコークス王国も、今はまだ無事だと聞いている!」

「帝国は西部より先に南西部を侵略するつもりなのか!?」


 士団長たちが恐れと焦りを吐き出す中、この場で最も主君の言葉を真摯に受け止め、この場で最も主君の言葉に動じなかった男が、穏やかながらも大きな声で皆に言う。


「静まれ静まれ。セルヌント公の御前だということを忘れるんじゃあない」


 またしても、将軍の鶴の一声だった。

 公国軍トップの手腕に満足するように、セルヌント公は笑みを浮かべながらザック将軍を労う。


「相変わらず見事だな。ザックよ」

「いえいえ。お見苦しいところをお見せして、申し訳ないくらいです」


 謙遜する将軍に笑みを深めながらも、セルヌント公は、先の士団長の疑問に答えるように話を続ける。


「二年もの間帝国の侵攻を防いでいるコークス王国を含め、大陸西部はまだなんとか無事でいるが、呑み込まれるのも時間の問題というところまで来ている。帝国が大陸南西部攻略の布石を打ち始めても、不思議ではないほどにな」


 誰かが息を呑む音が、会議室に響く。

 無数の小国がひしめき合う大陸南西部において、ブリック公国は国力が高い方に分類されるが、それはあくまでも小国同士で比較した場合にすぎない。

 ヘルモーズ帝国の国力と比べたら、それこそ巨人と小人ほどの差がある。


 国庫の余裕を見て募兵を行い、練兵にもしっかりと力を入れて有事に備えているが、正直、ヘルモーズ帝国が相手では気休め以上の効果は期待できない。

 息を呑まない方がおかしいくらいの話だった。


「事実、大陸南西部の諸国に、我が国と同じような密書が届けられている。彼の帝国の傘下に入れば国そのものが奴隷のように扱われるゆえ、どの国も密書を突っぱね、逆に大陸南西部で連合軍を結成して帝国に一泡吹かせてやろうと考えていたのだが……最近そうした国の中枢となる都が潰され、帝国の侵略を待たずして瓦解する国が散見するようになった。私見だが、それらは全てヘルモーズ帝国が抱える国崩し部隊――《終末を招く者フィンブルヴェート》の仕業なのではないかと考えている」


 セルヌント公の言葉に、会議室はいよいよ静まり返る。


終末を招く者フィンブルヴェート》。


 噂ではヘルモーズ帝国皇帝直属の部隊であり、噂では帝国が版図を拡大した立役者とも言える部隊であり、噂では実在しない架空の部隊であり、噂ではとうの昔に壊滅した部隊であり……帝国による情報操作か、その存在に恐怖した国の主が吐き出した悲鳴か、《終末を招く者フィンブルヴェート》に関する情報は、それこそ民間伝承フォークロアを思わせるほどに様々だった。


 国政に関わらない人間にとっては実在するかどうかもわからぬ胡乱な存在だが、国の主を務める人間にとっては確実に存在する脅威として認知されているらしく、セルヌント公は声音を厳しくしながらも話を続けた。


「諸国の主たちがかき集めた《終末を招く者フィンブルヴェート》の情報によると、基本国崩しは、その国の中枢を破壊することで成る。その手段は要人の暗殺。そして、その国の中枢を担う都のど真ん中でディザスター級の澱魔エレメントを召喚し、文字どおりの意味で全てを破壊し尽くすこと」


 ディザスター級の澱魔エレメントを召喚――この言葉を聞き、誰も彼もが目を見開いた。

 ディザスター級とは、体長が数十メートルに及ぶ超大型澱魔エレメントのことを指している。そんなものを公都のど真ん中で召喚されたら最後、甚大な被害で済む話ではない。

 セルヌント公の言葉どおり、公都の全てを破壊し尽くされることになるだろう。


「い、いくらなんでもそれは……」


 有り得ない――とは言い切れないことを悟ったのか、士団長の一人は、思わず漏らした言葉をつぐんでしまう。


 地下水路に侵入者した〝奴〟は、人目を忍んで澱魔エレメント召喚の魔法陣に魔力を送っていた。

 これ以上ないほどに、これしかないと思えるほどに、符号が合致しているこの現状を「有り得ない」などという短慮な言葉一つで片づけるなど、できるはずもなかった。


「これだけの警戒態勢の中、公都内でディザスター級を召喚される可能性は低いのかもしれぬ。そもそも敵が《終末を招く者フィンブルヴェート》であるという考えが、ディザスター級の召喚を狙っているという考えが杞憂なのかもしれぬ。だが、現在我が国が置かれている状況を鑑みれば、備えぬわけにはいかぬ。あらゆる事態を想定しなければならぬ」


 セルヌント公は、ゆっくりとザック将軍に視線を送り、訊ねる。


「我の考えが正しかったと仮定した場合、敵はどのような手を打ってくると思う?」

「そうですな……ヨハンとクオンの報告を聞く限り、ディザスター級の召喚には相当な魔力を魔法陣に注ぎ込む必要があるようです。それゆえに、ヨハンの魔力感知から逃れるのは不可能に近く、警戒態勢を維持し続ければ、公都内でのディザスター級召喚は確実に防ぐことができるでしょう。そうなると敵が狙ってくるのは……」

「公都外での召喚というわけか。ならば、公都の外に捜索の人員を――いや、それは悪手か」


 ザック将軍は首肯し、セルヌント公の考えに同意する。


「公都の外まで捜索の手を伸ばせば、相応に人員を割く必要が出てきます。その結果、公都の護りが手薄になり、その隙を敵に突かれては元も子もありません」

「となると……公都の護りを固めつつ、ディザスター級に備えるのが妥当ということか」


 セルヌント公は一つ息をつき、どこか覚悟を決めたような視線でヨハンを見やる。それだけで、ザック将軍を含めた一部の聡い者たちが、主君の言わんとしていることに気づく。


「先の大捜査網と同じ規模の人員を投入しても、ディザスター級を討伐できる可能性は良くて五分。確実に討伐するために我が国の兵士全てを投入したとしても、数え切れぬほどの犠牲が出るのは必至。ゆえにヨハン……頼めるか?」


 セルヌント公の言葉に、ヨハンは知らず身震いする。

 あえて明言は避けているが、セルヌント公はヨハンにこう言っているのだ。

 ディザスター級の澱魔エレメントが現れし時は、其方そなたの魔法で討伐せよ――と。


「し、しかし……もしそのようなことになってしまったら、私だけではなくセルヌント公までもが世界から糾弾されてしまいます。そうなっては――」

「構わぬ」


 ヨハンの言葉を遮り、セルヌント公は断言する。


「大事なのは、あくまでも〝人〟。この国に生きる一人一人が、ブリックという国を支えている。その〝人〟を護るためならば、いかなる誹りも受ける。それがこの国を治める我の務めというもの。ゆえに、最悪の事態に陥った場合は躊躇せず其方の力を振るい、この国に生きる〝人〟を護ってくれ」


 それでもなお返事ができないヨハンをおもんばかってか、セルヌント公は最後に微笑を浮かべながらこう付け加えた。


「心配するな。その覚悟があると言っただけで、ただ黙って誹りを受けるつもりはない。最悪の事態が起き、其方の力で乗り切った暁には、外交における我の手練手管をたっぷりと披露してやるとしよう」



 ◇ ◇ ◇



「へぇ~、そんなことがあったんだ」


 カルセルが感心するような声をあげ、


「さすがは俺たちの主君だ。そう思うだろ? オリビア?」

「ええ。マイクの次くらいに素敵な御仁だわ」


 マイクとオリビアが相槌を打つ。


 ヨハンとクオンの二人だけで今朝の会議についての話をしていたはずが、いつの間にか、会議に参加できなかった三人に内容を教える流れになっていた。

 さすがは俺たちの主君というマイクの言葉には、全く以て同意だとヨハンは思う。


「わたし個人としては、ヨハンが魔法を使うハメにならないよう、ディザスター級澱魔エレメントの召喚を全力で阻止したいところですけどね。ヨハンが世界から糾弾されるなんて耐えられませんし」

「確かに、それが最善だな。ありがとうクオン。僕の心配をしてくれて」

「おいおい見せつけてくれるじゃねえか」

「私たちも負けていられないわね、マイク」

「いや~頼むから、オイラのことそっちのけでイチャつくのはやめてくれ~」


 そんなこんなで、てんやわんやする中、クオンが、ふと思い出したようにヨハンに言う。


「そういえば会議の後、レグロさんが何も言ってこなかったのが意外でしたね。今は魔法ではなく〝武〟の時代だ~って感じのことを言っていたから、絶対ヨハンに何か言ってくると思って身構えてたんですけど」

「レグロは、魔法を捨てきれない僕に発破をかけるためにそう言っただけであって、魔法の力自体は、ちゃんと認めているからな。意外ってほどでもな――」


 と、言いかけた時、大地の下を流れる魔導経脈が活性化するのを感じ取り、ヨハンは瞠目する。

 活性化した魔導経脈が集約する地点を割り出した直後、活火山さながらに集約点から凄まじい魔力が噴き出すのを感知し、ヨハンは目に見えぬ衝撃を受けたように、よろめいてしまう。


 その様子を見て心配してくれる恋人に構う余裕もなく、ヨハンはゆっくりと、魔力が噴き出した方角を凝視する。


 視線の先には、公都から五キロほど離れた場所にある山々が公都を囲う外壁からひょっこりと顔を出しており、その中で最も高い山の頂に〝そいつ〟の姿があった。


 あるはずのない火口から這い出るように。


 その身を形作る炎で、山頂を紅に染めながら。


〝そいつ〟は、炎の巨人は、ゆっくりと立ち上がった。


「なんだよ……アレ……」


 マイクが呆けた声を漏らす。

 炎の巨人に気づいたのは自分たちだけではないらしく、郊外ここからかなりの距離が離れているにもかかわらず、市街地から悲鳴が、遅れて狂騒が聞こえてきた。

 

「まさか、その日の内に現れるとはな……!」


 歯噛みするヨハンに、クオンが不安げな表情で訊ねてくる。


「ということはアレが?」


 ヨハンは一つ頷き、


「ディザスター級の澱魔エレメントだ」

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