エピローグ

「和泉の処分は認めねぇ」

 中央から派遣され、和泉を殺害するための指揮を担う男のデスクに、冬部は真っ向、異議申し立ての書面を叩き付けた。


 不慣れながら、見真似で作成した抗議文の最大の根拠は、和泉が鬼に変異していない証拠となる精密検査の結果だ。更に補強材料もとい嫌がらせとして、反対署名の束が山を成す。

 書面には一瞬、視線を移しただけ。

 男はそれよりも、冬部と、部屋に集った北の隊長らを、忌々しげに睨みつけた。

「……そもそも貴様ら、この俺に、言うことは無いのか?」

 先日、冬部ら隊長職を担う隊員の全員が、中央からの一切の命令を拒絶する意志表明を行った。ここにいるのは一人と違わずその面子だ。

 場の全員が、男の言葉の裏を理解している。

 その上でこれを無視し、極めて穏やかに話を続けた。

「俺達は、テメェらの作った規則に従って、テメェらの土俵で反抗してやってんだ。理に合わねぇ我が儘通そうとしてんのは、はなっからテメェらの方じゃねぇのか」

 容赦ない剣幕で詰め寄る冬部に、背後では笑いを堪えるものもみられる。しかしその目は揃って醒めていて、付け加えると全員、武具を携え武装を行っている。

「郷に入りては、だろ。気に食わねえんなら、北のやり方で決着つけたっていいぜ。あんたはどうしてぇんだ、エリート様」

 北でも指折り、折り紙付きのガラの悪さで挑発を行えば、男は頬を紅潮させ、いとも簡単に激昂した。


 立ち上がった男の胸倉を、冬部は全くの真顔で掴む。

 デスクを足蹴に、男にしか聞こえない音量までに落とした声は、自らにも覚えが無いほどに低い、

「……特権階級が何だ。もういっぺん生まれ直してぇか。先祖返りさんよぉ」


 一部の人間を除いて知るはずもない単語を耳にし、男が驚愕に固まった。次いで、侮蔑ぶべつに対しての怒りがあらわになる。

 冬部の手を振り払い、咳込んだ後に、男の歯軋りが響いた。

「こ、んの……ドブ公ども……!!」

――これは、北の反逆だ。

 男が真っ先に口走った言葉は、重く空気を震わせた。

 男が端末に手を伸ばし、場に一層の緊張が走る。中には純粋に殺気すら。


 覚悟はしていた最悪の可能性は――唐突な闖入ちんにゅう者によって、呆気なく吹き消されたのだけれど。

「悪いけど、私も色々と、聞いていないな」

 目測としては初老かどうか。各支部及び本部長の中でも格段に若い部類の彼は、北の支部長をつとめる男。

 暫く不在にしていた男の帰還に、隊長の誰もが殺気を削がれた。

 支部長は、鼻息の荒い男、隊長らを順に見やり、申し訳など欠片もなさそうに笑った。旧友に呼ばれてティータイムを楽しんでいたんだ。留守にしていて悪かったね――などと。冗談か本気かも曖昧なことを、しゃあしゃあと口にする。

「話なら私がつけるよ。あとは戻りなさい、君たち」

 冬部が叩き付けた件の書類を取り上げて、柔らかく請け負った。


 何を行っているのか判然としない――でも確実に、予言は実現する。

 北ではおおむね知られるところの、狸の妖術というやつで、隊長らの緊張はすっかり解けてしまった。早々に、飲み会の相談を始めている声もある。

 刃を収める事に抵抗のあった冬部も、支部長からの提案が、物騒な雲行きよりずっと有難いことは解っていた。

 北と中央の決定的な対立でも、全面抗争でもなく。この件は冬部の想像より遥かに穏便に、静かに片がつくだろうとも、予感する。

――あれは本当に、予言であるから。

「だからどうも君たち、中央からの心象が良くないんだよ、まったく。……任侠映画の撮影でも、してるのかと……っふふ、」

「……なら、あんたは組長ってことになるな。支部長」

「おや、それは大役だね。気を引き締めなければ」


 紫乃の手のひらには、和泉のものだった、錆色のペンダントが載っていた。

 和泉の見舞い帰りに寄った喫茶店の店内で、和泉が後生大事にしていたそれを、初めて自身の手で開ける。

 中身は旧い金属鏡だった。相良をかたどった、自称「鏡のばけもの」の台詞が、ようやっと腑に落ちはじめる。

『この人格に呑まれてたんです。貴女のお陰でやっと多少、主導権が奪えそうだ』

『彼の執着も相当でしょうけれど、……写した人間まで、よりにもよってとんだ地雷でしたね。暫くは、毒気を抜きたいところです』

 ひどくうんざりした鏡の表情が忘れられない。あれは相良本人のものなのか、それとも鏡に宿った何者かのものなのか。紫乃にも解らないままだ。

 彼か彼女か、現時点で「それ」としか言いようもない存在は、今も、鏡の向こうのどこかで眠っている。


 和泉はこの鏡に、ずっと相良を「写していた」。写真すら無い妹を、鏡の向こうに形作っていた。

 全ての真相を知り、受け入れがたいそれを拒絶したことが、「相良」が現実に現れたきっかけであったらしい。


 ばけものは紫乃に、古鏡の回収と保管を依頼した。

 相良のかたちの当事者からの頼みとはいえ、気が引けたのは事実だった。どさくさに紛れて盗めばいい――という提案には、なおさら頷けるはずもない。

 それを和泉がどれだけ大事にしてきたか、紫乃は十二分に知っていた。


「わたし、は……喜んで、いいのかな。これ」

『紫乃ちゃんになら――いいよ。預ける』

 白い病室でひとり、和泉は寂しそうに笑った。

 相良が亡くなっている現実が、他でもない和泉によって、揺るがないものとして示されてしまった。冬部から事実を聞いたときにも増して、――今でも。心臓の奥がちくちく傷む。

 友人になれたかもしれない、やさしい誰かを失った。その程度の喪失感は、和泉と比べてしまえば、ひどく呑気なものなのだろうけれど。

「……この状況、どう思います? 未亡人店長」

「俺は男で未婚だ」

 深刻に軽口を叩く紫乃は、雪平に代金を渡して早々に席を立った。しばしの間の後、店内には金髪の男が押し入る。

 雪平を捉え、青い瞳がすがめられた。


 ■


 まだ雪解けも遠い、暦の上での春は、喜ばしい結果と共に訪れていた。

「おめっとなーすばる! すっげーなお前!」

「氷崎先輩、合格おめでとうございます!」

 氷崎をはじめ、受験組の進路がおおむね決定した。

 受験生は学校へ直接の合否報告が義務とされているため、風見と和泉の待ち伏せも、自然と高校になった。

 風見が首に腕を回し、和泉が抱きつく。身動きの取れなくなった氷崎が珍しく驚いた様子で、二人を交互に見やった。

「……うん、ありがとう」

「うっし、素直で大変よろしい!」

 力加減が首を固める方向に変わってきた辺りで、風見の鼻に躊躇無い裏拳が入った。

 風見を剥がした後、和泉をのぞき込んで、離れるよう諭す。

「休みなのにわざわざ学校来たの?」

「お祝いですから!」

「……何だかなぁ」

 氷崎は進学するものの、北支部にも所属し続ける意向だ。これまでと同じように、学生であり隊員の身分を両立させるため、支部での仕事を調整していくらしい。

 風見は正隊員として、北支部に就職を決めた。高校が自由登校となってからは随分と支部に通いつめ、既に本格的な活動を始めている。

「棗サンの大学じゃねーのな」

「第一志望はそこだったけど、あの人の影響力がある学校とか考えうる限り最悪だから変えたよ」

 雪道を踏みしめる音が三人分。凍り付いた表面が溶け始めていて、和泉が足を取られそうになる。日差しはずいぶんと明るく、真っ白な雪の表面には、まばゆい色の光の粒が瞬いていた。

 吹き抜ける風の匂いが、春がこれから訪れる気配を、北に報せている。


 雪の下で眠る蕾、桜の開花は、もうしばらく先。

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夜を越えて、きみと fujinoy @108003

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