第2話 黄昏時

 結局、俺は今日一日誰とも話す事は無かった。

 まぁ、彼ら彼女らが俺に話しかけるメリットが無いというのは言うに及ばずなのだが。

 まぁ、そうでなくても……。


 俺はちらりちらりとあたりを見渡す。

 既に日が傾き、赤く染まり始めた空。赤い陽が差し込む誰も居ない教室。


「……」


 寝たふりだった筈が本気で寝てしまっていた。しかも五時間ほど。


 マジかよ。誰も、いや先生すら起こしてくれなかったのが驚きだ。

 ……まぁ入学早々にガチ寝するような奴に話しかけたくないのは分かる。

 でもちょっとは気にして欲しかったな。

 容姿とか抜きにさ。


「ふぁぁ……」


 まぁこれに関しては寝る方が悪い。

 さっさと帰ろう。何時までも残ってちゃ、用務員さんに悪いからな。

 

 俺はそう思い、机の横にかけておいたカバンを取ろうとする。

 しかし。


「……あれ?」


 手が空を切る。

 無い。確かに俺は、ここにカバンをかけておいた筈なのに。

 少々焦りながら、机の中や周りを見る。


 しかしどこにも俺のカバンは見当たらなかった。

 ……これって所謂アレか? 置き引きと言うやつか?


「えぇ……?」


 マジかよ。やってんなエリート。

 俺はドン引きしていた。これから一年を過ごすクラスメイトの荷物を早速置き引きする度胸に。

 これ、もしかして俺が先生とかに言えば、入学式そうそう集会が開かれるという訳か? しかも集会の内容は窃盗だ。


 やってんな国公立魔法高校。

 なんか本気でこの高校通いたく無くなってきたぞ。


「てか、どうやって帰ろう」


 定期やら財布やら、全てカバンの中に入れてある。

 非常に不味い。

 しかし最悪ではない。家の鍵はポケットの中に入れてあるので、家には入れるのだ。


「……しゃーない。歩いて帰るか……」


 頭をガシガシと書きながら、ここから家までの道を調べるべく携帯端末を取り出そうとする。


「……?」


 何故か携帯端末も見つからない。

 あれれ? おかしいぞ。確かにポケットの中に入れてあった筈なんだけどな?

 がさがさごそごそと体中をまさぐって見ても、しかし全くと言っていい程携帯端末は見つからない。


 ……というか気付いてしまったんだが。

 俺、何も持ってねぇ。素寒貧だ。

 所持品は制服だけ。あまりにも最低限過ぎるレベルだ。


「……お、おお?」


 ……盗まれた……という事なのか?

 ええ? ブレザーの内ポケットに入れてあった端末すら盗んだという事か?

 ズボンのポケットとかならまだ、まぁ理解できなくもないが……えっ? それどうやって盗んだの?

 

「……マジかよ……」


 やってんな国公立魔法高校のエリート学生……。

 もはや敬意を表するわ。どこの世界に入学そうそうクラスメイトを素寒貧にする奴が居るんだよ。


 これが国公立魔法高校。

 ヤバい。

 怖い。


「……」


 どうしよう。これもう先生とか通り越して普通に通報だわ。

 すげぇよ。これほどまでに絶望と恐怖が同時に襲って来たのは久しぶりだよ。

 

「お、おおお落ち着け……せ、せいぜい金と連絡手段と住む場所を失っただけだ……だ……」


 致命傷すぎる。

 

「……」


 どうしようもなくなった。

 かと言ってこのまま教室で一夜を過ごすと言うのもまずい。

 取り敢えず先生とかに事情を説明してから今後の事を考えよう。


「えーっと、職員室はどこだっけ?」


 入学したてなので全くこの学校の構造が分からない。

 確か下駄箱のあたりに地図があった筈だ。

 下駄箱までの道は分かる。

 

 俺は早速行動を開始した。



 ガラリと教室の扉を開ける。

 黄昏時。静まり返った校舎に、扉を開ける音が響き、埃が舞う。


「……」


 そこで少し違和感を覚えた。

 だがその正体がつかめない。まぁ、分からないという事は大したことじゃないのだろう。

 俺は特に気にも留めずに歩みを進める。


 しかし。


「……」


 カツン、カツン、カツン。

 俺が歩く音だけが響く。そして歩みを進めるたびに、どうしても違和感が頭をもたげる。

 お目当ての下駄箱まで来て、俺はようやく違和感の正体に気付いた。


「……なぜ、誰ともすれ違わない……?」


 思い出されるのは妙に金を掛けて作られてたこの学校のパンフレット。

 そこの学校紹介のページに書かれていた一文。

 『当学校は常に職員を数名学校に置き、校内を見回りしています』

 この常に、というのは24時間ずっとという意味だ。なんでもこの学校の設備は防犯に特に力を入れているらしく、国防の要となる『魔法召喚師』の卵を安全に世に送り出すのに必要なものは全て揃っているとの謳い文句だ。


 正直、身包みはがされた身としては本当? と疑いたくなるものだが……実際に要所要所に監視カメラが設置されているのは確認済みだ。確かに謳い文句通り、防犯設備には相当力を入れているようだ。

 だというのに。


「……誰も、居ない」


 そう。この校舎から人の気配が全く感じ取れない。

 どころか、歩けば埃が舞うほどに人がいた気配がない。

 

 どう言う事だ、これは……。


「……」


 おかしい。この学校は創立百年を誇る高校だ。何度も建て替えているとはいえ、人がいた気配すらないのはおかしい。


 何かが起こっている。


 思わず身構え、周囲を警戒する。

 しかし一体何に警戒したらいい? 何がどうやって……。

 そう思い、後ろを振り向いた。

 その時だ。


「……ッ」


 思わず叫びそうになった声を喉の奥で噛み締める。

 気付かれてしまうからだ。

 そいつに。


「……」


 汗が滴り落ちる。全身が強張っているというのに、震えが止まらない。

 今までは何も感じなかったと言うのに、その存在に気付いてしまった途端、全身が恐怖し始めた。


 それは、いくらか隣の下駄箱の向こうに居た。

 下駄箱の上まで伸びる頭。そこから全身を覆うように伸びている長い髪。その風体から、女性だと思われる。

 その情報だけだと何も警戒する事は無いと思うだろう。

 しかし、そいつは何よりも特異な点が有った。


 デカいのだ、身長が異様なほど。

 下駄箱から頭を出す程度であれば普通にいるくらいの大きさだが、そいつは……は違った。

 下駄箱が大体1.7メートル。しかし彼女は、その下駄箱よりも一回り程大きかった。

 幾らデカい人間といってもアレはデカすぎる。

 じゃあ、彼女は人間では無いという事か……?

 身の毛もよだつような考えに、頭を振りたくなる。

 

 日常と非日常の共存。当たり前の日常が、非日常の異物感を増長させていた。


「ッ」


 すると急に、ぐるりとがこちらを振り向いた。悠々と辺りを見下せる彼女は、少し辺りを見渡すだけで俺の存在に気付いてしまうだろう。

 即座にしゃがみ込み、体を下駄箱で隠す。


 何だ。何なんだあれは。おかしい。そうだおかしい。

 俺がここに来た時に、あんな目立つ奴は居なかった。そうだ。そこが不可解だ。気付かない筈がないのだ。あんなにデカいんだからな。


『……ポ』


 俺が焦りに焦っていると、彼女の方から動きが有った。

 それは、何かの呟きだった。しかしその呟きは徐々に大きくなり、連なっていく。


『ポ、ポ……? ポポポポポポ……』


 この世のものとは思えないその声に全身の毛が逆立つ。

 不味い。不味い不味い不味い。


 に見つかってはいけない。理屈は分からない。彼女が誰なのかも分からない。しかし、本能が告げていた。

 逃げないと。


「……」


 この場から、逃げなければ……ッ!

 俺は震えながらも、震える足に力を入れて立ち上がる。


『ポポポポポポポ』


 俺が立ち上がるのと、彼女が俺を見つけるのは同時だった。


「っ……」


 そして俺は正面から彼女を見てしまった。

 白いワンピース。大きな大きな麦わら帽子。手足が異常に長く、そしてそれ以上に長い髪の毛の奥から覗く濁った黒い目。


『ポポ……ポポポ……』


 俺は一目散に逃げだした。

 

 



 

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