第16話 フードの女

 洞窟から出たシンは、親分の住居に目星をつけ(一番大きく立派な小屋だろうと)、とりあえず窓の外から中を伺った。

 中にはさっきの偉そうにしていた盗賊の親分が椅子に座り、その回りに若い女達を侍らしていた。

 女達は、親分に果物を食べさせたり酌をしたり、手足を揉んでいる者もいた。皆、すすんでやっているというより、嫌々やらされているようだった。親分だけが満足そうにだらしなく酒で顔を赤くし、女達をからかっては下品な笑い声を上げていた。


「鍵……」


 親分を観察していると、腰のところに鍵の束をぶら下げているのが目に入った。


「あれか……」


 もし今踏み込んで、親分が女達を盾にしたら、いくらシンの方が強いかもしれなくてもどうにもならない。

 一人、もしくは盗賊達だけにならなければ手を出せない。それに、さっきのフードの人物がこの中にいるようには思えず、彼(彼女)の居場所も確定しておかないといけなかった。


「ウフフ、覗きは良くなくてよ」


 いきなり耳元で声がし、シンは後ろに飛び退った。

 声を上げなかったのはたいしたものだろう。


 後ろにはフードの人物が立っており、口元に人差し指を当て、シーっとする。口元だけニンマリ笑っているが、鼻から上はフードに覆われ、どんな顔をしているかわからない。声だけなら若く魅力的に聞こえたが、顔が見えないというだけでなく何かおぞましいというか薄気味悪い印象を受ける。


「こっちへ……」


 フードの人物はシンを離れた茂みに誘った。

 後に続いて茂みを抜けると、フードの人物は木に寄りかかりシンを待っていた。


「あなたはだあれ? 」

「あなたこそ誰ですか? 」


 質問に質問で返すと、フードの人物はフフフと笑った。

 暑くもないのにシンの額に汗が滲み、握りしめた手のひらに爪が食い込む。


「私はエルザ」

「は? 」


 珍しい名前という訳ではないから、ただの偶然なのだろうが、フードの人物はエルザと名乗った。

 しかし、勿論あのエルザと同一人物である筈がない。背の高さや細身の身体は似ているが、いくら顔が見えなくても、シンがエルザをわからない筈がないのだ。


「エルザ・オルコット」

「なっ……」


 フードの人物の口元は相変わらずニンマリと微笑んでおり、不気味さが募る。


「エルザである訳がない」

「何故? 」


 フードの人物はツイッとシンに近寄る。あまりに自然なその動きに、シンは身動きすることもできずに、ただ硬直して彼(彼女)に触られるまま立ち尽くしていた。


「あなたが欲しいものではないの? 」

「何を……」


 フードの人物がスルリとフードを落とした。

 そこにはエルザと瓜二つな顔が、エルザが浮かべる筈のない笑顔を浮かべていた。フードの人物の性別は、まぎれもなく女性でだった。


「な……」


 この女がエルザでないことはわかりきっている。たとえ顔が同じでも、別人だと断言できる。


「触ってみる? 」


 フードの女はシンの手を掴んで、そっと自分の頬に当てた。その冷たい手の感触と、プニッと柔らかい頬の感触にシンは大きく動揺した。


「な……なぜエルザを騙るんです?! 」

「騙ってる訳じゃないわ。私もエルザなだけ。あの女もエルザ、私もエルザ。……この世にエルザは二人いらないのにね」

「あなたは、盗賊に入れ知恵して何がしたいんですか?! あなたはエルザだというが、エルザはそんなことしません」

「あら、あなたがエルザの何を知っていると言うの? 知っていると言うのなら、あなたは傲慢で尊大だわ。彼女だって、生きるのに飽きたら、私と同じことをするかもしれない」

「生きることに飽きる? 」


 つまりは、フードの女は生きることに飽きたから盗賊に入れ知恵をして誘拐に人身売買を企てたというのだろうか?

 飽きる程の生とは……。


「まあいいわ。ほら、あなたが欲しいのがエルザではないなら、これかしらね」


 フードの女は胸元(といっても、たいした盛り上がりがある訳ではない。見た目がエルザであるから)から鍵の束を取り出した。見る限り、親分がぶら下げていた物と同じようだ。

 それにしてもいつの間に……?


「何でそれを? 」

「欲しくないの? 」


 首を傾げ、上目遣いで微笑む顔はエルザそのものなのだが、その表情には違和感以外の何物も感じない。第一、こんなに優しげ(怪しげ)にエルザが笑う訳もなく、見上げるなんて動作、する訳がないのだ。明らかにエルザの方が身長が低い筈なのに、イメージは見下みおろす見下みさげる見下みくだすである。それがエルザだ。


「欲しいです。ください」


 この女には敵わない……それが実際に対峙してみたシンの直感だった。多分とか、そういうレベルではなく、シンがエルザに敵わないのと同レベルの話しだ。シンは、奪うなどという愚かな態度に出ることなく、素直に頭を下げた。勿論、そんなことで渡して貰えるとは思わなかったが。


「力ずくで……と言いたいところだけどいいわ、あなたにあげる。ただし、一つ条件があるの」


 フードの女は、鍵の束をシンに渡すふりをして、わざと取り上げる。


「条件ですか? 」

「大丈夫、簡単なことよ」


 フードの女の手がシンの首に回る。


「あ……あの? 」


 フードの女の顔が近づき、シンの頭を軽く手で押さえながら下を向かせる。シンは身動きが取れず、そのままフードの女の顔がシンの顔と重なる。

 唇にふっくらと柔らかい感触を感じたと思ったら、ねっとりとした柔らかい物体が唇を割って入ってきた。シンは舌でそれを押し返そうとすると、逆に舌に絡みついてくる。生暖かい唾液が混ざり合い、ゴクリと音をたてて飲み込む。何かが中に入ってきたような異物感を感じ、シンはフードの女を突き飛ばした。


「フフ、初めてのわりには上手じゃない」


 フードの女は、赤い唇の端を舌で舐める。


「な……な……な」

「お約束の物はあなたの手の中よ。じゃあ、またね」


 顔を赤くして動けないシンに背を向け、フードの女は森の中に消えてしまった。


 知識として、好きあった同士が唇を重ねることをキスだということは知っていた。無論、それ以上のことも、知識としてならある。


 が!!


 頭だけの知識と実際の体験はこうも違うものか?!

 あの唇の感触、そして舌……。


 身体が熱くなるのを感じながら、手の中に残された鍵の冷たさがシンを現実に引き戻す。

 まずはあの檻の中の子供達、そしてサシャを助けなければならない。

 鍵を手渡しておいて、まさか邪魔するとも思えないが、シンは警戒しながら洞窟に戻った。


「サシャ? 」


 洞窟に戻ると、サシャが入り口に背中を向けて、何か貪っている音が聞こえた。

 まさか?! と思いながら、恐る恐るサシャに声をかけると、グルンと向きを替えたサシャの口には特大の肉の塊が……。


「オハヘリ(お帰り)。ハギハッタ(鍵あった)? 」


 口の中が肉でいっぱいなせいか、サシャは意味不明なことを言う。


「サシャ……まさか?! 」


 そんなサシャにコップに入った水を差し出したのは、人間の子供だった。

 シンはホッとする。血の匂いはしなかったし、まさかサシャが人間の子供に牙を立てたとは思いたくなかったが、あんなに勢いよく食べていると、ちょっとまあ……勘違いしてもしょうがないだろうと、シンは一人で頭の中で言い訳をする。


「何がまさかなの? 」

「いや、ダイエット中で肉なんか食べないんじゃなかったっけ?」


 サシャは肉をゴクリと飲み込むと、肉を小さく千切って人間の子供にも与えた。「よく噛むんだよ」と言いながら、少しづつ与えていく。


「それは、この子を安心させる方便に決まってるじゃん。第一、このあたしのどこにダイエット必要なんだよ。ああ、そんなにがっついたら駄目。おなか痛くするよ。……この子、ほとんど食べ物与えられてなかったみたいなんだ。一気に食べたら身体に障るからさ」


 膝の上に子供を乗せ食べ物を与えている様は、まるで親子のように見える。


「その食べ物どうしたんです? 」

「ああ、この子らがくれた。この子らは売り物だからか、盗賊達はしっかり食べ物与えてたみたいでさ。朝ご飯の残りだって」


 まだ人の形にもなれない獣人の子供達は、勿論言葉も喋れる訳ではないのだが、どうやらサシャは意志疎通できるらしい。それを言うと、サシャは「わかる訳ないじゃん」とゲラゲラ笑う。何となくそをんなこと言ってるんだろう……ということだ。


「で、鍵は? 」

「これ」


 シンが鍵の束を取り出すと、サシャはシンに抱きついて頬にキスした。


「さすがあたしの旦那様」

「いや、違うし……」


 サシャは、色々試してまず人間の子供を自由にしてやる。続いて獣人の子供達、最後に自分の足枷を外した。


「あー、すっきりした。トイレも行きたかったんだよね」

「ところで、こいつらどうしますか?」


 縛り上げていた盗賊二人を檻に入れて鍵をかける。

 人間の子供は弱っていた為、サシャが抱っこし、獣人の子供達を引き連れて洞窟を出た。


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