第6話 簪

「シンはさ、ずっとエルザさんと二人で暮らしてきたんだろ? 」


 植林チームの一人であるカムイ・アービングが、簪の飾りを彫っていたシンの横にしゃがみこんで、その手さばきを興味津々覗き込んでいた。


「そうですね。今はこの通り健康ですけど、小さい時は病弱でしたから。エルザに身体を鍛えろって、いろんなことさせられて、なんかずいぶん身体能力は上がったんですけどね」


 シンは、同じく植林チームのミランダに頼まれた簪を削りっていたのだが、その手を止めて顔を上げた。

 初日にシンの器用さを目の当たりにしたせいか、ちょくちょく物造りを頼まれることが多く、サラなどは職にしたらいいのにと言うくらいだった。

 お金という概念の薄いシンは、頼まれると無償で引き受け、休み時間は物造りにさいていた。


「ああ、なんか想像できる。エルザさん、あんなに綺麗なのに、おっかないもんな。凄いスパルタで鍛えそう」


 何かエルザにトラウマでもあるのか、カムイは身体をブルッと震わせて、怯えたように首をすくめた。


「そう言えば、なんでエルザはみんなにさん付けで呼ばれているんだろう? 」


 年寄りも子供も、大抵の村人は下の名前で敬称などはつけずに呼びあっている。シンも今ではほとんどの人に呼び捨てにされている。その方が親しい気がした。

 けれど、エルザはみなに呼び捨てにされることはなかった。


「う~ん? 何でかな? でも呼び捨てなんか、怖くてできないよ。彼女、第一いくつなの? 五年くらい前からうちの村にふらっとくるようになったんだけど、全く年をとらないよ」

「年の話しをすると怒るんですよ。だから、エルザには聞かないほうがいいです」


 確か、十八って設定のはずだけど、五年前だと十三歳ってことになる。今の見た目で十三は無理があるだろう。第一、薬師としてこの村にやってきたのだから、十三で薬師、なくはないかもしれないが……。


「聞かないよ! 子供達の間では魔女じゃないかって噂もあるんだ。ほら、建国の魔女とも同じ名前だから」

「建国の魔女って? 」


カムイがそんなことも知らないの?! と目を丸くする。


「ザイール王国が王国になる為に貢献した魔女さ。いや、妖精? なんか、妖精とは思えないくらい強くて、冷徹で、だから魔女って呼ばれてるけど。その人と名前が一緒だから、みんな実はエルザは魔女なんじゃって噂になったんだよ。」


「エルザが魔女なら、弟のボクは魔法使いかな? 」


 魔女……間違ってはいない。

 なにせ、唯一の獣人と妖精のハーフ。妖精のうちで、闇に落ちた者を魔女と呼ぶ習慣があり、つまりは魔女は妖精のなれの果てであるから。

 闇落ちはしていないが、ハーフなだけあってか、一般的な妖精よりも人間味溢れるエルザは、魔女の呼び名が相応しい……いや、こんなことを思うだけでも、どんな仕打ちが待ってるか、考えるだけで恐ろしい。


「シンも魔法使いみたいなもんだよ。そんなのが作れるんだから。ただの小刀で、そこまで細かい細工が彫れるのか謎だよ。そんなの、都でだって売ってないよ」


 本当に感心したように、シンの手元を覗き込み、簪をシゲシゲと見つめる。エルザ=魔女説は忘れ去ったらしい。


「それ、いいよね。凄く綺麗だ」


 シンは、不思議そうにカムイの頭を見た。


 人間社会では、男は十八で成人を迎える。女は男と成婚した際に成人と認められた。成人する間際、男も女も髪を伸ばし結い上げる。


 カムイはまだ十四歳だから成人まではあと四年。髪を伸ばしたいと思い、少しづつ長くしていたのだが、父親からまだ早い! と、寝てる間にベリーショートに刈り込まれ、それを隠す為に頭に黒い布を巻いていた。


「カムイには、まだ必要ないですよね? それに、これは女の子用ですし」

「バッ……カじゃね? ! 俺が使う訳ないじゃん」


 赤くなり怒ったように叫ぶが、視線は簪から離れない。そんなに気に入ったのだろうか?


「じゃあ、誰が使うんですか? 」

「誰って……」


 カムイはモゴモゴと口の中で何か言っていたが、別にいらないよ!とつぶやくと、プイッと走って行ってしまった。

 カムイはサラにずっと片想いしていた。本人はうまく隠していると思っているようだが、……シン以外の村人の周知の事実である。

 恋愛に疎いシンだが、カムイが誰かに簪をあげたがっていることはわかったので、とりあえずミランダのが作り終わったら、カムイの為にもう一本作ることにした。


つ  それにしても……、人間の世界では男が女に簪を贈ることが流行っているんだろうか?


 今作っている簪も、ミランダと共にゾーンという若者がきて、彼女に簪を贈りたいから作ってくれないかと頼まれた。カムイも誰かに簪を贈りたいらしいし、他にも数人の男子に頼まれていた。


 男子が女子に簪を贈る。それは自分のために髪を結い上げてくれという求婚の印であるのだが、シンにはその知識はなかった。当たり前の人間世界の常識であるのだが、本などに書いてある部類のものではなかったからだ。


 ただ、この簪を頼みに来た時の、ゾーンの誇らしげな顔、ミランダのはにかんだような幸せいっぱいの笑顔は頭に残っていた。


 簪を贈ることで、あんな笑顔が見れるんだろうか?


 優しげに微笑むエルザ(今まで一度として見たことない)が頭に浮かぶ。

 見てみたいような気もするし、見たら天変地異でも起こるんじゃないかという気もする。試してみても……いいのかな?


 シンは、自分用にも一本作ることにした。


 ★★★


「エルザ、これ、作ってみたんだけど……」


 仕事が終わり滝裏洞窟に戻ると、丸薬を調合していたエルザが振り向いた。


「何だ、それは? 」

「簪ですけど」

「……簪」


 差し出された簪を受け取りつつも、微妙な表情でそれを見つめている。嬉しそう……とも違うような?

 人に贈り物をするという習慣を知らなかったシンの、初めてのプレゼントであるのだが、物が問題なのだ。違う物なら、ありがとうの一言くらいは出たかもしれない。


「私は髪を結わないが……」

「そういえばそうですね」


 村の娘でエルザと同じくらいの見た目の者は、大抵髪を結い上げているが、エルザは腰までのサラサラの髪をなびかせていた。


「何故結わないんですか? 」

「……」


 求婚されないからだ……と口に出そうして、エルザの自尊心がそれを許さず口をつぐむ。何せ、四百年以上生きてきて、一度も求婚されたことがないというのは、矜持を傷つけることだったからだ。


「邪魔じゃないんですか? 」


 女が簪を受け取り髪を結うという意味をシンは理解していないらしい……ということを推測したエルザは、簪を机にしまった。


「私には必要ないだけだ。しかし、せっかくシンが作ったのだから受け取ろう。まあ、受けとるだけだが……」


 つける訳には……まあ、お互いに純粋な人間ではない、エルザに至っては人間の血は1/4程度にしか入っていないのだから、人間の常識に捕らわれる必要もないのだろうが、いつかシンが簪を贈る理由を知った時のことを考えると、つける訳にはいかない。


「気に入りませんでしたか? 」


 シュンとするシンを見て、心が痛まなくもなかったが、エルザはピシャリと引き出しを閉めた。


「そんなことはない。私に必要ない物なだけだ。今度は、使う物を作ってくれ」

「それはいくらでも」

「ところで、おまえは無償でこういう物を作って村人に渡していると聞いたが……」


 エルザは厳しい顔つきでシンに向き直った。

 座ったまま下から見上げられる形になり、その上目遣いにシンは心臓がバクバクするのを感じる。


 このバクバクは何なのか?


 エルザの課したことができなかった時、エルザは怒鳴り散らすことはなかったが、静かな怒りをまとい、まるで青い炎が迫ってくるのが見えるほどの恐怖で、シンは全身がすくんで動けなくなったものだった。小さい時は、マジでオシッコをもらしてしまったほどだったのだが、あの時の動悸と同じようで違うような……。


 恋愛という感情を理解していないシンは、自分の感情も理解していなかった。


「おい、話しを聞いているか?!」

「はい、えっと……いけないことでしたか? 」

「いけない……まではいかないが、あまり好ましくはないな」

「好ましく……ない? 」


 単純に、頼まれたから作っていただけで、何がいけなかったのか、シンにはわからなかった。


「おまえの作る物はクオリティが高すぎるんだ。いいか? ただで同じような物を貰えるとしたら、わざわざ高い金を出して買う奴がいるだろうか? 」

「……いないです」


 エルザはゆっくりと頷いた。


「売ってる奴等にしたら、おまえのしていることは商売の邪魔だ。かといって商売にするには、村の役所に届け出が必要だし、高い税金を払わないといけない。私達は一つの村に留まれて十年だ。それ以上は、怪しまれる可能性が高くなる。店を構えて商売をする意味がないんだよ」

「でも、エルザは薬草や丸薬を売ってますよね? あれは商売じゃないんですか? 」

「私は店を構えていない。金銭のやり取りよりも、物々交換が主だから、ギリギリ問題にならないレベルだ。それに、村には薬師がいなかったからな。競合する相手もいなかったんだ」

「じゃあ、物々交換にすれば問題はないですか? 」


 エルザは、フム……と考える。


「物の価値を他者と合わせることができれば良いのかもしれんな。ただ……そこまでしてやりたいことなのか? 確かに、おまえの手先の器用さは特筆に値するとは思うが」

「やりたいこと……ですか? 」


 エルザほどでないにしろ、人生が長いと特にやりたいということがない。いつでもできる……と思うと、今じゃなくてもと思ってしまいがちだった。強いていえば、色んな人間に会ってみたいと思うようになった。

 エルザと一対一の生活から、村人と触れあう生活に変わり、人との関わりが面白くなっていたからだ。


「物を作るのが面白いというより、人と接するのが楽しいです。色んな人間に会ってみたい……っていうのは、やりたいことでしょうか? 」

「フム……、それもまた見聞を広めるという意味ではいいのかもしれんな。よし! 頃合いを見て旅に出るのもいいだろう」

「旅ですか?! 」


 シンは、この滝裏洞窟に住んでから三十年、一度も居を移したことがなかった。エルザにしても、すでにここに住んで百年弱、そろそろ移動を考える頃かもしれないと思うようになっていた。


「そうだな、赤い満月の夜の次の朝を出発日に決めよう」


 それは明日かもしれないし、一ヶ月後かもしれない。赤い満月が昇るのは未定で、半年以上昇らない時もあれば、三日間連続で昇る時もある。もしかすると千年単位の周期とかあるのかもしれないが、それを確かめられるのは妖精だけで、妖精は赤い満月には頓着していなかった。……エルザを除いては。

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