第4話 設定が大事

「とりあえず、一番近い村に行くぞ」


 シン達が住む森の北、森の外れに小さな村があった。小さな……と言っても、住んでいる人間 は三千人弱、五百世帯以上が住んでいる。このくらいの大きさになると、ほぼ自給自足が成り立ち、商店が軒を並べていた。貧富の差もでてきて、雇う者雇われる者が存在するようになる。

 つまり、雇われ仕事をすれば賃金が手に入る。エルザは、まずそれをシンに教えるつもりだった。

 無論、森で狩った動物やもいだ果物などを持ってきて売れば、それで金銭を稼ぐことが可能だが、村の中には座と呼ばれる商店を仕切る組織があり、税を支払わなければ簡単に露店を開けない仕組みもあった。


 そんな中、エルザは薬師として村に根付いていた。たまに村にやってきては、貴重な薬草やエルザの調合した丸薬などを村人達に分け与えていた。物々交換のような行為だったのと、エルザの薬は効果抜群だった為、税を納めなくても特別に商売を許され、この村唯一の薬師として重宝されていた。


「エルザさん、おかげさまで膝痛が治ったよ」


 村に入ってすぐ、すれ違った小太りの中年女が声をかけてきた。


「当たり前だ。私の薬を処方したんだからな。それより、おまえは痩せることが一番の薬だ」


 うえから言い放つようなエルザの言動に、シンはギョッとする。

 エルザの無礼な話し方は自分にだけだと思っていたが、誰にでもそうだったらしい。実年齢でいえばエルザはこの村の一番の年寄りより年配であることは確かだが、見た目は十八くらいのまだ少女である。不遜な口調が村人の気を悪くしたんじゃないかと恐る恐る村人を見ると、彼女は気にしたふうもなく、笑いながら世間話をしていた。


 天気がどうとか、今年の穀物の出来が悪いとか、隣りのヘンリーさんと仲たがいをしたとか。

 エルザはニコリともせずに彼女の話しを聞きながら、所々適切な助言を入れていく。

 中年女の名前はダリヤというらしく、よくいるお喋りで人好きのする世話焼きおばさんのようだ。


 ダリヤは、シンに目をやるとあら?! と呟き、ニコニコと手を伸ばしてきた。


「あなたがシン君? すっかり元気になったのね」


 元気?

 それはいつの話しだろう?

 少なくとも、エルザに助けられた五歳の時から、風邪一つひいていない。

 まさか、三十年前の話しじゃないよな?


 よくわからないまま、ダリヤの手を握り握手をする。母親特有のふっくらと暖かい手だった。


「ああ、弟のシンだ」

「病弱で、ずっと寝込んでいたんでしょう? もういいの? 」

「もちろんだ! 私の薬がなければ死んでいたに違いないが、今はこの通りピンピンしているぞ」

「さすがエルザさん。あなたの為に薬草の勉強をしたんでしょ?いいお姉ちゃんね」

「まあな。それでだ、元気になったシンに、職業体験をさせようと思ってな。手頃は仕事先を知らないか? 」

「そうね……、刈り入れは過ぎたし、畑も今は手が足りてるしねぇ……。そうだ、力仕事になっちゃうけど、ヤコブさんのところで、切り出しの人手を募っていたわ。でも、シン君には無理かしら? 」


 切り出しというのが何なのかわからないが、病弱設定なら無理な仕事なのかもしれない。シンはとりあえず口を挟まずに、無難に笑顔を絶やさないでいた。


「そんなことはない! こいつは今は健康体だ。力仕事だってどんとこいだ!ただ……」

「ただ? 」


 確かに、五歳の時にエルザに出会わなければ、彼女が連れて逃げてくれなければ死んでいた命であることは確実ではあるのだが……。


 エルザは真面目くさった顔で言い放った。


「シンはアホウだ! 」


 何を言い出すのかと、シンの笑顔が凍りつく。ダリヤも、うなずくのもおかしいし、苦笑いでスルーしようとした。


「こいつには常識がない! 皆無だと言ってもいい。五歳児レベルの常識しかない」


 五歳児に、いったいどれだけの常識があるか不明だが、おもいっきり馬鹿にされているような気になる。

 エルザはそう言うが、彼女のスパルタ教育の成果で、文字は人間語、ドワーフ語、エルフ語まで書けて話せるまでになっているし、大概の学問書は読破したので、知識だけなら医学、魔法学、高等数学、薬理学、地学……ありとあらゆる学問に精通していると自負していた。そりゃ、四百年以上生きているエルザと比べたら上っ面の知識かもしれないが、アホウ呼ばわりはどうなんだろう?


「まあまあ、エルザさん。あんたは博識だから普通の子が馬鹿に見えるのかもしれないけど、本人を目の前にそんなバッサリ言っちゃあダメよ。それに、五歳児をなめたらいけないよ。ちゃんと善悪の区別はつくしね。それだけ分ければ生きていけるってもんだ」


 ああ……きっと、凄くお馬鹿な子だと思ってしまったんだろうな。


 憐れむようなダリヤの視線に、シンは何とも言えない表情で笑うしかなかった。

 三十年ぶりの人間の社会だし、五歳の時の記憶などほぼない。魔法式や数式、化学式など、この世のありとあらゆる方程式は知っていても、一般常識は欠落しているかもしれない。それは否めない。

 だって、このエルザに育てられたのだから。


 美しい妖精と獣人のハーフであり、この世でたった一人の稀有な存在である超絶美少女は、情緒も常識も欠落していたのだが、本人だけは気がついていない。

 そんな欠落人間(妖精? 獣人? )に常識がないと太鼓判を押された訳だ。そりゃ、善悪の区別だけつけばOKって言われるよ。


「そうだな。してはいけないことはしっかり叩き込んである。それだけなら大丈夫だろう」

「ちなみに聞いていいかい? あんたのしたらいけないこと」

「赤い月の夜は出歩くな」

「それは真理だね。命が惜しかったら、扉に鍵をかけて閉じ籠るこった。他には? 」

「ない! 」

「ない? 」


 ダリヤの目がまん丸になる。目も鼻も頬も、顔から身体まで全て丸で構成されているようだ。


「盗ったらいけないとか、人を殴ったり殺したりしたらいけないとか……。最近この村も余所者が増えて、喧嘩が絶えなくてね。そんな当たり前のことも当たり前じゃなくなっちまったよ。獣人なんか入れるからだね」


 明るい笑顔だったダリヤの表情がわずかに曇る。


「まあ、そんなこと言わなくてもわかるか。自分の命を守ること、それが確かに一番大事かもしれないね」


 ダリヤは勝手に勘違いしてくれたようで、ウンウンと頷くとまたねと歩いていった。


「ふむ、難しい問題だな」


 ダリヤが道の向こう側に渡り、藪の向こうに見えなくなると、エルザは腕組みをして空を睨み付けた。


「獣人の問題ですか? 」

「いや。この世の食物連鎖を断ち切ることはできない。獣人も然り。食べる者がいれば食べられる者がいて当たり前だ。蹂躙する者がいれば蹂躙される者もいる。片方だけは有り得ない。それを悪とするのは何故だ? 」

「そりゃ、誰だって殺されたくないし、生きていたいというのは自然のことなんじゃ? 」

「はて? そうしたら、何も食べられなくなって、待っているのは自分の死だ」

「それでは、自分の生き死にに関係のない殺生やそれに関係する行為が悪なのでは? 」

「楽しみでする行為は悪かもしれんが、人は時に暴力を好む。道端で人を殴りつけるのがいけなくて、戦でそれをするのは善か? 私がおまえを罰するために鞭打ったのは悪か? 」


 何かのスイッチが入ってしまったようで、エルザはシンに問うというより、自分の中の真理と対面するように視線が虚ろになった。

 こうなると、エルザは回りが見えなくなる。何せ、寿命の長い妖精の血を継いでいるから、考える時間は悠久にあるのだ。


「エルザ! 今はそれより僕に人間の世界を勉強させてくれるんじゃなかったんですか?! 」


 シンに腕を引っ張られ、エルザの視界に風景が戻った。


「ああ、そうか。そうだったな。ヤコブの仕事場に行ってみよう。切り出しの仕事とは、森で木を伐採し、手頃な大きさにして運ぶんだ。知力は全くいらん。ただ、木を切るといっても馬鹿みたいに切り倒せばいい訳じゃない。周りの状況を見て、斧を入れる場所を決めるんだ。数人で行うから、連携も重要だ」

「ふーん、わかった。ところで、僕はエルザの弟って設定なんですよね?」

「そうだ! それを言い忘れていた。おまえは身体が弱く、寝たきりだった私の弟で、年は十五。ちなみに私は十八ってことになっている。何か聞かれたら、ほとんど寝て過ごしていたからわからないと答えろ。自分の年や名前を間違えるアホウはいないからな、しっかり覚えろよ」

「名前は本名でいいの? 」

「まあ、氏を聞かれることはまずないからな。聞かれたら私のオルコットを名乗れよ。姉弟で氏が違ったらおかしいからな。じゃあ、行くか」


 シン・オルコット……ゴールドマンよりしっくりくる気がした。


 ヤコブの仕事場は、村の外れ、エルザ達の森とは逆側にあり、さらに北の森の奥には獣人の部落があるとされていた。

 そう、シンの父親が住む森に続いていたのだ。

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