ネットアイドル、ミユ。

 まあ、こういうのを異常に気にする奴が、一定数以上いるのを、俺は知ってる。


 一応、な。



「お兄ちゃん、写り、しっかりチェックしてぇ」



 甘えたような声でミユが首をかしげている。


 そんな顔をしてもだめだぞ。


 俺はシスコンとかじゃないからな。時々成分がほしくなるだけで。



「どだ」



 ぶんぶん、ミユは金髪ツインテールを振り回し、ぎざぎざの後頭部のわけ目から、アメリカピンをひきぬき、おくれ毛を抑えつけて止めてる。


 俺とミユしかいない、狭いリビングに、整髪料のムスク系が香っている。



「んもォー。もっときれいに撮ってよぉ。あたしこんな不細工じゃない」



 ほんの少しハスキーな声。それでいて鼻にかかった甘ったるい、ちょっとけだるげな。



「しかしだなぁ……これ、自撮りのほうが決まるんじゃないか」


「黙って撮ってよ」



 ふん。ツンデレのつもりか。


 あとで「お兄ちゃん大好き。ありがと」って言って、抱きついてくるつもりじゃないだろうな。


 ……しっかり撮ってやろうじゃないか。



 しかし、撮っても、撮っても、ダメだしを喰らう。


 俺はカメラ小僧の末裔でも、アイドルオタクでもないわけで。


 ネットアイドルなんて、架空もいいとこ架空の、絵空事だって思ってしまう。



「いいだろ、このくらいで」



 放り出すように言うと、すぐになげきの声がして、見ると、ミユは眉をハの字にしている。



「いやー。こんな、こんなのって、お兄ちゃん、あまりにも、あんまりよっ」



 子犬が鳴くような目をして、首を振る……おい。



「どうでもいいけど、ホンモノの女は、語尾に「だわ」、とか「よ」、とかつけないんだわ、拓人」



 俺の手が悪いんじゃない。


 おまえが妙なあんばいなんだ。


 興奮してるのかな。



 それに、夕飯前から、微妙に、こう、俺の中でミユがブレている。


 すっかり冷めた気分で、俺は大森家長男として、言い放った。



「日を改めよう。オトモダチにはそれで納得してもらえ」



 俺だって疲れたし。これ以上、ダメだしされるのはイヤだ。



「ちぇ。すっごい、研究してんのに……」



 くやしげにそっぽを向く、その姿を俺は単純に好ましく感じる。



「そういう直球をそのまま受け止める、素直さはマルだぞ」



 勤勉なとこもな。


 俺はTV横に立てかけてある、姿見の前に開かれたメイクボックスに目をやる。


 なんぼなんでも、成績そっちのけでは、手放しで褒められないけれどな。



「ほんとぉ。お兄ちゃんっ」



 上目遣いで見てくる。


 その下唇がだらしなく見える、グロスの厚塗りは実にそそらない。



「うんうん」


「うわぁい。褒められたー」



 万歳している。単純な奴だな。


 俺は吹き出しそうになって、表情をひきしめる。


 いかん。いかんぞ、俺。



「まじめだなあ、ミユは」



 そそらないなぁ。実に。



「フーッ、フーッ」



 俺は発作的に、呼吸困難になる。突然。



「お兄ちゃん、どしたの」



 イカン。ミユ……あれはネットアイドルのミユなんだぞ。手なんか、出したらダメだっ。



「お兄、ちゃん?」


「いや。いやいやいや。なんでもない、なんでも」



 ミユは妹属性キャラだ。そそられない。実にそそらないシチュエーション。


 日の傾いた、二人きりのリビングで、写真撮影……とか。俺はそそられない。


 断固として。全然、まったくもって、大丈夫。



「あ! プラタモリやってる時間だー。あ、念仏唱えてる~~きゃあ。とっても素敵なのよね」



 プラタモリではなぜか寺でおみくじを引いていた。神社じゃないのか、おみくじって……ちらっと疑問に思いつつ。



「女は、よね、とか言わない。いつも言ってるだろ。それと、もう脱げよ、制ふ……」



 と、言いかけた。一畳分のフローリングをひとまたぎして、TVをつけた弟は――瞬間、ビクリと肩をふるわせ……そのふりむいた目の、張りつめ方が尋常じゃなかったので、俺は、俺は……情けなくなって、そこを出た。


 ちょっと親が出かけているからといって、少し親密になりすぎた気がすごく、する。


 相手の、踏みこんじゃいけない領域ってのに触れた瞬間、俺はいつも後悔する。



 なんだ、この程度かよ。俺の理性は。自制心は。


 もう、本当、情けない兄でごめんな……ごめんよ、拓人。


 くそ。俺は、俺はなぁ~~、女なんか、妹なんか、大っ嫌いなんだよぉ~~。嫌い、なんだ。そのはず、なんだ。おそらく、いやまちがいなく、大~~っ嫌いなんだぁ~~。



 ……ちくしょう。


 酒呑んでやる。



 俺は普通のサラリーマンだった。ついこの間まで。普通だと思ってた。



 俺はもう、笑えない。


 TVの向こうで騒いだり、笑ったりしている奴らを――いくら、そいつらが滑稽を演じていても、そこが彼らの居場所に見えるやつらにはわからない。


 こういうことは黙っていればいるほど、心をむしばんでいく。



 ――精神病院にいくことも考えた。



 倍も年下の弟に、こんな感情を抱くのは、おかしいんだと思って。


 俺は俺自身を嫌いぬいた。軽蔑し軽侮し、嫌悪した。心の底から。


 死んでしまいたい。そう思って、会社も辞めた。



 やる気も起こらない。


 しかられても、次はうまくやれるっていう自信が――プライドとか、意地ってもんが、湧き起らない。


 どうやらこれは、由々しいことで、決してスルーしてはいけないことだと思った。



 そんな折、拓人が学校の文化祭でミスコンに出場するんだと言い出した――ミスコン。


 女が見世物になって、あれこれ言われ、カーストに収まるやつ。


 俺は一縷いちるの希望を抱いた。



 女装した弟になら、何も感じたりはしないだろうと、自分のあやふやさに期待したのだ。



「ヤッベー」



 拓人は言っていた。


 受け狙いで――受け狙いでなかったら、何であろう――ステージに上ったら、男子生徒に騒がれて、以来すっかり癖になってしまったのだと。


 本当だろうか? いや、本当は、兄のヨコシマに気づいて、ミスコンなんかに出たんじゃなかろうか。今ではそんなことも――時々だが、考える。



 俺が淡白な反応しか示さないのを見て、これで行こう、とか……思ったんじゃあるまいか。


 悩める兄に、慈悲の心をもって、無様を演じていたんじゃ――じっさい、中一で学祭のミスコンに出た時点では、オカメのような赤丸を白塗りの面に塗っていて、とてもというか、まともな男にも、ましてや女にも見えなかった。


 それが今では、俺の悩みの種になるほど、フェロモン系――しかも男のものとも女のものとも判別つかない――なのだから、かなわない。とってもかなわん。化粧の腕、あげやがって。



 リビングのほうで歓声が上がる。淡々としたキャスターの声がし、すぐに次の話題に移った。


 静まり返った廊下で、一人、所在ない俺。


 すぐに自分の部屋にひっこむことも、できたのに。



 静かで、だからこそ、響いてしまうブザーの音。


 別れた彼女からだった。


 けじめのないことが嫌いなので、今まで贈ったプレゼントを全部返すって言ってきた。



 そんなこと、どうでもいいから、適当に返事して、で、俺は自分の部屋にこもって、ポロシャツの胸ポケットに入った写真をとりだし、じっと見つめた。


 ――かわいい。確かに、実の弟とは思えないくらい。あの母親から生まれたとは――とうてい思えない美貌。


 一人なので思い切りかみしめる。



 俺はこの顔をした――どこか茫洋としている――拓人が好きだ。好きなんだ。わけがわからなくなるくらい。隣で息をしているのも気が遠くなるくらいに。


 ――好きなんだ。だから、触れられない、遠い存在であってくれ。頼む。


 コオロギが、遠く、近く、高くなく、そんな季節なのだった――。

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