通り魔

蛙鳴未明

通り魔

 暗い夜道を一人の女がフラフラと歩いていた。相当な量の酒を飲んだらしく、ハイヒールを履いた足は千鳥足になっている。顔も真っ赤で、時折大きなしゃっくりを漏らしている。

 そんな状態だから彼女は気づきもしなかった。電柱の影から一人の男が自分を見ていることに。

 男は良いねえだの興奮するだの何やらブツブツ呟きながら女を凝視していた。彼の手に握られた包丁はブルブル震えていて、危険なきらめきを放っている。女がじわじわと電柱に近づいてくる。女の姿が大きくなるにつれて、男の震えも強くなっていく。電柱まであと二、三メートルというところで女が立ち止まった。怪訝な顔をして電柱の影を見つめて言う。

「そこに、られか、いるんれふか?」

 男がビクッと体を硬直させた。そして次の瞬間、

「ウワアアアアアアア!!」

 大声で叫びながら女に飛び掛かった。包丁がまっすぐに女の胸に向かう。

「キアアアアアアアアアア!!」

 一瞬遅れて怪鳥のような悲鳴が響いた。女は悲鳴をあげながらハンドバックで包丁をはたき落とし、自分の足からハイヒールを片っぽつかみ取り、男の脳天に向かって一直線に振り下ろした。ボクッという鈍い音がした。

 男が包丁を取り落とし、ガクリと膝をつく。男の目がおよおよと動いた。目の焦点が合っていない男に女は容赦なく追撃した。何度も何度もハイヒールで殴る。男は殴られるたびにビクン、ビクンと痙攣する。

 やがて男が全く動かなくなった。そこで女が我に返った。目の前にある血だらけの後頭部を見、赤く染まった白いハイヒールを見て、もう一度男の後頭部を見た。女はゆっくりと立ち上がると、後ろを向いて服の埃を払い、髪を整え、もう一度服の埃を払い、ほっと溜息をついて、呟いた。

「夜道って怖い。酔いも醒めちゃった。通り魔とか……ああ怖っ!」

 彼女はすっかりしっかりとした足取りで、そそくさとその場を離れていった。後日、彼女の顔写真が通り魔としてしっかりと新聞に載ったのは言うまでもない。

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通り魔 蛙鳴未明 @ttyy

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