第37話 横槍


 ケリーとアダムはレストランを出て、無言で歩いていた。

 魔植物園出口が見え、ケリーは目を少し潤ませる。


 ——数時間前はドキドキしてた場所なのに、今は……そこに行きたくない。時間、止まってほしいな。


「——僕はこっちの道だから……、ここで……」


 ケリーは胸が苦しくなっていた。


「うん、今日はありがとう。……アダム、最後に聞いていい?」

「なに?」

「少しは私を信用してくれた? アダムはまだ私に壁を作っているみたいだから」

「……ごめん。こういうことは慣れてないから」


 アダムは困った表情を浮かべる。


「また、会ってくれる? 私をもっと知ってほしいの」


 ——アダムと離れたくない。もっと一緒にいたい。触りたい……。抱きしめてほしい……。


 言葉に出せないアダムへの思いがとめどなく溢れてきた。

 そんなケリーは、アダムの顔を引き寄せる。


「ん……」


 アダムは驚きで声を漏らす。

 ケリーはアダムにキスをしていた。


 ——今は女だから許して。


「じゃあね! また連絡するから!」


 アダムの反応を見るのが怖かったケリーは、すぐに背を向けて駆け出した。





 エリーゼの家。


 ケリーは寮へ帰らず、ここに泊まることにした。

 今はケリーでもエリーゼでもなく、エバとしての時間を過ごしたかったからだ。


 ——私ったら、また我慢できずにアダムに……。どうしようもなくダメな女だな……。


 ケリーは帰ったままの格好でベッドの上に横になり、体を丸めていた。

 唇に指を当て、アダムの柔らかい唇の感触や香りを懐かしむ。


 ——またアダムに会いたい。あなたもそう思うでしょ?


 ケリーは指輪の光——『息子の魂』に問いかけ、目を瞑った。

 その後しばらくして、ケリーの意識が遠のく。


『ママ——』


 アダムに似た5歳くらいの少年——息子がケリーの夢の中に現れた。

 髪色はエバと同じ赤茶色だ。


「また会えて嬉しいな」

『僕も』


 息子は、アダムと同じ柔らかな笑顔をケリーに向ける。

 

「パパには会えた?」

『まだ。呼びかけてもらってないから』


 息子は寂しそうに視線を落とす。


「そっか。でも、すぐに会えると思うよ」

『本当に?』

「うん」

『やった』


 息子は満面の笑みを浮かべる。

 その笑顔はキラキラと輝いていて眩しく、アダムにも早くこの笑顔を見せたい、とケリーは願った。



***



 翌日。


 ケリーはエリーゼの家を出た後、アリスにお土産を買おうと街で買い物をしていた。


 そんな時——。


 急に背後から肩を叩かれる。


「——ケリー様」


 女が耳元で囁いた直後、ケリーの体が硬直する。

 ケリーの体に服従魔法がかけられていた。


「無礼をお許しください。主人の命令ですので。こちらへ」


 女がそう言うと、ケリーの足は勝手に動き始た。

 女も横に並ぶ。


「何の用? 忙しいんだけど」

 

 その女と会うのは久しぶりだった。

 思い出したくもないあの家の使用人——リリスの母親の侍女だ。


「すぐに終わりますので」


 侍女は冷淡な表情で答えた。


 ——こんなところを知り合いに……、アダムに見られたらどうしよう……。


 ケリーは不安を抱きながら、逃げる隙を探していた。


 残念ながら、そんな幸運は訪れなかった。


 ケリーの足が突然止まる。


「——この店の中へ」

 

 示された店は、いかにも高級そうな仕立て屋だった。


 侍女が扉を開けると、ケリーの足は再び動き始める。

 ケリーは抵抗できないまま店の奥へ進み、重厚な扉の前で足が止まった。


「奥様、お連れしました」

『——入ってちょうだい』


 侍女は中の声の指示に従って扉を開けた。

 もっとも憎む人物の1人が視界に入り、ケリーは顔をしかめる。


「あなたは部屋の外で待機していなさい」

「畏まりました」


 侍女はケリーの足を動かして入室させた後、扉を閉めた。


「ケリー!」

 

 母親はソファーから立ち上がり、ケリーを抱きしめようと近づいてきた。


「こんなところでやめてください」


 体が自由になったケリーは、手を前に出してそれを制した。

 母親は動揺し、悲しみの表情を浮かべる。


「ケリー……そうね、今は身分を隠しているから警戒しているのね。でも、大丈夫よ。今は人払いをしているから問題ないわ」


 ケリーは母親を睨みつけた。


「街中で侍女にあんなことをさせるなんて、非常識ですよ! 私が今まで隠していたことが台無しです!」


 ケリーの語気の強さに母親はビクつく。


「ケリー、悲しいことは言わないでちょうだい。私だって我慢していたのですよ。あなたは私の大切な娘です」

「言葉にお気をつけください。私は男です。学院に入る時、ジョーゼルカ家の姓を捨てた赤の他人です。同意頂いたはずですよ?」

「ケリー……」


 母親は涙ぐんでいた。


「私を危険に晒さないために、もう会わないとおっしゃいましたよね?」

「そうね……。でも、たまたまあなたを見かけて……、そんな小汚い格好をしていて不憫になってしまったのです。どうしても助けてあげたくて」

「余計なお世話です。こんなことは一切おやめください。あなたは自分の都合で私を危険に晒した。もう、金輪際あなたに会いたくありません!」


 ケリーは今までの怒りを吐き出すように叫んだ。


「ケリー……、ごめんなさい」

「もう一度、宣言しておきます。私は一生ジョーゼルカ家の人間とは関わりません。命を無駄にしたくないですから。あなたも誓ってください。そして、アリスにも絶対に関わらないことも」

「ケリー!」


 ケリーは号泣する母親を無視し、踵を返した。


「さようなら」


 店を出た後、ケリーは急いで寮へ帰った。

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