第7話 過去3


 アダムの記憶喪失について詳細を得られなかったエバは、呼び鈴をならしてアリスを呼び出した。


「失礼いたします」

「アリス、呼び出してごめんなさい」

「とんでもございません。お嬢様のお役に立てることが、私の喜びでございますので」


 あまりにも低姿勢すぎるアリスにエバは苦笑する。

 平民出身のエバには慣れない習慣だ。


「それで、呼び出した理由なんだけど……。アダムのことを聞きたくて」

「どういった内容でしょうか?」

「アダムが一部の記憶を喪失している、という情報を得たの。詳細を知らないかなと思って……」

「そのことでしたら……」


 アリスは少し言いにくそうな顔つきで話し始めた。


「私は原因を存じ上げませんが……、エバ・シャーリーという方の名前を出すと、必ず精神異常の発作や嘔吐などの症状が出てしまうようです。このお屋敷や職場の魔法学院では、その方の名前は禁句になっております」

「そう……」


 エバはショックを受け、しばらく無言になった。


「あの……、先ほど執事長から伺ったのですが、本日はアダム様が夕食に顔を出されるそうです——」

「——本当に!?」

「はい」

「私も同席できる?」

「もちろんでございます。お嬢様とアダム様の結婚記念祝いの食事会ですから。準備をしておきますね!」


 アリスは喜んでいたが、エバの思いは複雑だった。





 アリスは嬉しそうに鏡台に座るエバの髪を櫛でといていた。

 エバは鏡に映るリリスの顔を見れず、ずっと視線を下に向けている。


「——お嬢様、今日のお夕食は軽めにするよう申し付けておきました」

「ありがとう」

「お食事の前にご当主様と奥様にお会いできますか? お嬢様が食事に顔を出すと聞いて、先に元気なお顔をご覧になりたいそうで——」


 それを聞いたエバは顔を曇らせる。


 エバは転生後、ずっとアリス以外と会うことを拒んでいた。

 精神不安定だったということもあるが、ジョーゼルカ家を憎んでいたことも大きな原因だ。

 そう考えるようになったのはがあったからだった——。


 あの出来事は、エバとアダムが結婚を誓い合って数ヶ月に起こった。

 首席で卒業するエバは魔生物学部研究員として、同じく教育学部首席のアダムは教育学部の教員として魔法学院で働くことが決まった。

 それを祝うため、エバの両親が家でささやかなパーティーを開いてくれた。


「——アダムくん、エバ、念願の魔法学院就職おめでとう!」


 エバの両親とアダム、エバの4人が父親の合図でグラスを掲げた。


「ありがとう、パパ!」

「エバのお父上、ありがとうございます」

「2人とも首席なんて、よく頑張ったわね〜! 私の自慢よ!」


 母親がエバとアダムの後ろから、一度に抱きしめた。


「ママ、アダムに馴れ馴れしいよ!」

「エバのお母上、ありがとうございます!」


 アダムは嫌がるそぶりもせず、にっこり笑って紳士的に対応する。


「それにしても、こんな平民の家の娘と結婚するなんてご両親は怒らないのかい?」


 没落貴族とはいえ、下級貴族に属するアダムのことを父親は心配していた。


「お父上、問題ありませんよ。僕はスコット家を継ぎませんので。それに、僕の両親はエバのことを気に入っていますし」

「それならいいんだが……。育て方が悪かったのか、エバはちょっとガサツだからな……」


 母親も無言で激しく頷いていた。


「ちょっと! パパ! ママも! 大切な娘にそんな言い方するなんて!」


 アダムはクスクス笑っていた。


「ご心配なさらないでください。僕はそんなエバが好きなのですよ」

「アダムもそう思ってたんだ……」


 3人の言葉に、エバは唇を突き出していじける。

 それを見たアダムはプッと吹き出し、エバに優しく微笑む。


「エバは研究一筋で、他のことは気にしないだけなのですよ。研究者とはそういうものです。そこが魅力の1つですね」


 その言葉を聞いて、エバだけでなく両親も顔を赤くしていた。


「そう言われると、母親としても照れるわ〜。エバ、こんな優しいアダムくんと結婚できるなんてよかったわね!」


 父親は俯いて目を拭いていた。


「私にアダムはもったいないくらいだよ。アダムのおかげでここまで来ることができたんだもん! アダム、ありがとう!」

「お礼を言いたいのは僕の方だよ、エバ。僕も1人で頑張れなかったかもしれないと思っているんだから」

「あらまあ、2人ともイチャイチャしちゃって。やけてくるわ〜。ねぇ、あなた?」


 母親が父親の肩を軽く叩いた。


「そうだな。2人とも幸せになるんだぞ!」

「うん!」

「はい、絶対にエバさんを幸せにしてみせます!」


 この時、2人の幸せは、永遠に続くものだと思われていたのだが……。



 その翌日の夜。


 アダムはなんの知らせもなくエバの家を訪れた。


 コンコンッ——。


 ノック音に気づいたエバの母親が扉を開いた。


「あら、アダムくんじゃない。どうしたの?」

「夜分遅くに申し訳ありません、エバさんとお話したいことが……」

「もちろんよ、入って!」

「ありがとうございます」


 母親はアダムを家の中へ通し、2階にいるエバを呼ぶ。


「エバ! アダムくんが来たわよ! 部屋にお通しするわねー?」


 エバは慌ててドアを開け、廊下に出た。

 すでにアダムが階段を上がっていたので、急いで部屋へ戻って髪を整える。


「——エバ、入っていい?」

「あ! うん、いいよ!」


 エバはベッドの上に座ったまま笑顔でアダムを迎え入れ、隣に来るように促した。


「ありがとう」


 アダムはそう言った後、俯き加減で体を丸めて座った。

 それに気づかないエバは、嬉しそうにアダムの顔を覗き込むが……。


「……アダム、どうしたの? 体調悪いの?」


 アダムが真っ青な顔をしていたので、エバは心配そうに見つめる。


「…………」


 アダムは返事をせず、震えていた。

 エバはアダムの手を取って両手で握りしめる。

 アダムの手は予想以上に冷たかった。


「エバ、ごめん……。僕はエバと結婚できなくなった……」

「アダム? そんな冗談面白くないから……」

「僕も冗談であって欲しいと思ってる」

「どうしたの? 突然そんなこと……」


 アダムは目に涙を浮かべながら口を開いた。


「ジョーゼルカ家の命令で……リリスと……結婚しないといけなくなった。逆らうと、家族全員が反逆の罪で投獄されてしまうって脅されたんだ。僕は嫌だって言ったけど……、家族のことを考えると……。明日、正式に挨拶しにいかないといけなくなった。もう、エバと会えない……」


 エバの目から涙が溢れる。


「やだ……嘘だって言って!!!」


 アダムはエバの膝の上で泣き崩れ、エバは上から被さるようにアダムを抱きしめる。

 絶対階級主義のこの国で生きている限り、抵抗できないことは2人ともわかっていた。

 わかっていても、2人には受け入れられなかった。


 ——だからこそ、エバは決断した。


「アダム……私をアダムのものにしてほしいの」


 目を赤くしたアダムが驚いて体を起こし、エバを見る。


「エバ、君を穢すことなんて……」

「アダムに穢されるなんてことは絶対にない。私はアダム以外の人と結婚するつもりはない。お願い……。最後の私の望みを叶えて……。私の体をアダムで満たして欲しいの」


 エバは泣きながら懇願した。

 アダムはエバの覚悟を受け止め、黙って頷く。


「エバ、僕は一生、君だけを愛し続けるよ」

「私も、アダムだけを一生愛し続ける」


 2人は互いの思いを身体中に詰め込んだ。

 離れていても繋がっていると感じられるように。


 エバの左手の薬指には指輪、アダムの首にはネックレスが輝いていた。 





「——様、お嬢様? ご気分が優れませんか?」


 アリスはエバの異変に気づき、声をかけていた。


「あ、ごめん、ちょっと考え事を……」


 エバはアダムとの最後の誓いを思い出し、辛うじて涙を堪えていた。


「ご当主様たちとの面会はお断り致しましょうか?」

「そうね……、断ってくれる? どうせ、食事で顔を見せるのだから」

「かしこまりました」


 エバの辛そうな表情にアリスは胸を痛めた。

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