裸の男

 峠の茶屋として店を開いたのは先々代からの頃で、これまで変り者の旅人や、どこぞの国のお殿様も立ち寄ったことがあると、今は亡き父親から晩酌のたびに聞かされていた。


 けれども、店先に全裸の男が横たわっていた話など、おみつは一切耳にしたことが無い。


 早朝の支度でいつものように引き戸を開けば、道のど真ん中に裸の男が──しかもなぜか、股間の上には一振の本差だけが載っかっていて、これがまた実に上手いことに、大切なところ・・・・・・を隠して仰向けに倒れていたのだ。


「ええっ……」


 おみつは、怖かった。

 いろんな意味で、恐怖した。

 だが、このまま放ってはおけないし、立派な営業妨害にもなる。独り暮らしの自分がなんとかするしかなかった。


「あのぅ、もし」


 恐る恐る近寄ってみるが、返事はない。


「お侍さん……」


 やはり、男からは返事が無かった。


 呼吸はしているようなので死んではいない事と、よく見てみれば、細身ながらも筋肉質で男前なことが、おみつには救いに感じられた。


     ※


 なんとか引きずり、自分ひとりで店には入れられたものの、屈強な男を土間からはどうしても上げられなかった。これ以上どうすることもできないおみつは、致し方なく、今日は店を休むことにする。


 それにしても、なぜ丸裸で行き倒れていたのだろう?


 それに、店内へ引きずる最中、股間の刀は落ちるどころか、ぴくりとも動きすらしなかったことが、おみつには不思議でならなかった。


「──さて、と!」


 深く考えてみても、答えが出るはずもない。

 腰紐をくわえたおみつは、袖をまくり上げて素早くたすきけにし、「よし!」と景気よく気合いをひとつ入れる。

 そして、奥座敷から亡き父親の布団を一組持ってくると、眠りこける男の身体からだに掛けてやってから、朝食あさげの支度をてきぱきと始めた。


 飯櫃めしびつを運んでくる際、眠る男を横目で見れば、掛布団の中が何やらモゾモゾと大きくうごめいていたような気がしたが、なんだか怖くなったので、おみつはこれを見なかった事にした。


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