第18話 金糸雀が鳴くと烏が哭いた

「――母上。今、なんと言いましたか?」


「ですから、お父様と相談して貴方にはもっと身分も相応した美しい妻を娶って頂くことになりました」


「……カナリアは、カナリアはどうなるんですか……っ!」


 母の言葉に、そう悪くはない頭の中で、分かりきっている答えを弾き出していた。

それでもどうしたって否定して欲しくて、叫んでしまう。

 眉を顰めることもなく、紅茶を優雅に飲む母は、確かに言った。俺の耳にその言葉は届いた。


「ああ、あの容姿だけの女との婚約は解消致しましたわ」


「……っ!」


 激情、というのはこういうものなのかと実感した。何を勝手に決めているんだ。とか。俺はカナリア以外の女は要らない。とか。

 きっと言いたい言葉はたくさんあったけれど、それでも言えなかったのは。


 ――ひとえに俺が、弱かったから。


「貴方はこのクロウ家を繁栄させる義務があります。レイヴン。分かっていますね?」


「……っ、はい」


 喉の奥から絞り出したようなその声は、きっと聞きようによってはあまりにも悲痛だったのだろう。メイドが労し気にこちらを見て来た。

 けれどとうの母には微塵も届かなかったようだ。

 豪奢なドレスを身に纏い、優雅に紅茶を飲むだけの女。

 こんな女にすら勝てないのかと、拳を強く握り締めた。

 自分は無力だとそう嘆く前に、何か出来たのではないのだろうか?

 母の居る庭から去り、俺はぼうっとカナリアと過ごした丘の上で空を見上げた。

 空には自由に羽ばたく鳥達が居て。あんなちっぽけな鳥でさえ空を羽ばたく羽根があって、自由に何処にでも行けるのに。こんなにも俺は不自由なのかと、笑いたくなった。


「……カナリア」


 笑いたくなったのに、どうしてだか出て来たのは涙で。

 頬を伝った涙のあたたかさが、何故だか嫌だった。

 俺が他の女と婚約したあとに風の噂で聞いたのは、カナリアが庭師の男と駆け落ちをしたという話。

 それを聞いた時、哀しみと同時にカナリアが幸せならそれで良いと、そう思う自分も居た。

 俺は心を殺して、好きでもない女に笑いかけながらただただカナリアの幸せだけを願って。願い続けて。


 ――それさえも、この世界の運命は許してくれなかったけれども。


 ある日のことだった。カナリアが国に帰ってきたという噂を聞いたのは。


「カナリアが……帰ってきた……?」


 それはどこかで夢見ていた出来事。カナリアの幸せを願いながら、俺はやはり自分のことしか考えていなかったのだ。


 カナリアは確かに帰って来た。

 その顔は醜い程に殴打され、乱暴に掴まれたのだろうか? ボロボロの髪がなんとも言えなかった。


「……カナリア?」


「……ああ、レイヴン? ですか?」


 カナリアがきょろきょろと俺を見ようとする。けれども見付けられない。その仕草に、異変に気が付いた。


「……カナリア? お前。まさか目が……!」


「はあ、まあ。視えなくなってしまいましたね」


「だ、れに……やられたんだ?」


 俺の腹の中はぐつぐつと煮え立つように嫌な気持ちが渦巻いているのに、ボロボロのカナリアはけれども笑うのだ。醜い顔で、けれども俺にとっては美しく見えるその顔で、笑うのだ。


「……レイヴンもご存知でしょう?」


 その言葉で繋がったのは、最近国王が遊び程度に町娘を買っては、食い散らかしているということ。


「あ、の……クソ豚野郎!」


 叫んだ声に、殺意が籠る。殺してしまいたい。いや、殺す。あの醜い豚を。国王を――殺す。

 そんな強い決意を持って踵を返した途端に、カナリアはその名前の通り、金糸雀のような綺麗な声を発した。


「レイヴン」


「なんだ、カナリア」


「ありがとうございます」


「何を、」


「お恥ずかしい話。結婚してすぐに私は食うに困った夫に売られました」


 帰る場所も駆け落ちしてしまいましたから、もちろんありません。


「国王陛下に慰みものにされた挙句にこんな醜い姿になってしまいました。視力を失った私では誰をもが私を避けるでしょう」


「カナリア? 何言って、」


「レイヴン。そんな私をも避けないでくれた、見付けてくれた。そんな私を、」


 風が吹く。その言葉は聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声だったのに。

 なのに俺の耳には、しっかりと届いてしまった。


「――殺してくださいな」


「か、なり、あ……?」


「優しい貴方にすべてを押しつけて逃げる馬鹿な女のことなんて、早く忘れてくださいね?」


「い、やだ。カナリア……」


 そう言うのにカナリアはもう何も言ってはくれなくて。

 俺の両目からは、ぼたぼたと大粒の涙が零れ落ちては止まらない。


「カナリア」


 俺の喉からは、情けない男の声が漏れ出た。


「はい」


「あいしてる」


「……お馬鹿さんですね、レイヴンは」


「ああ、そうだよ……。馬鹿なんだ、好きな女ひとり守れねぇ。愛した女を手に掛ける。俺は情けなくて、馬鹿な男だ」


 それでもな、カナリア。


「この気持ちに嘘偽りは無い」


 どんな容姿でも。何があっても。


「俺は永遠に、カナリアを愛し続ける」


「……私も、レイヴンのことを愛せたら良かったんですけどね」


 ごめんなさい。と呟かれ、俺は首を振る。

 視力を失った彼女には何も伝わらないだろうけれども。それでもしっかりと否定した。


「俺を好きなカナリアなんて、カナリアじゃないから。だから、良いんだよ」


 優しくそう言ったつもりだったのに、鼻声になってしまったのはなんともまあ、本当に情けないというやつか。

 腰に差した剣を抜く。カナリアは視えないからか、それとも元々覚悟していたからか、動じることはない。


「あいしてる」


 もう一度だけそう囁いて。

 俺はカナリアの、この世界で一番愛おしい女の首を、刎ねた。

 大粒の雨が留まることを知らないかのように降り始めた。

 俺はその場に腰を折り、ただただカナリアの首を抱きかかえながら、泣いた。

 涙がもう出ないと思う程に、泣いて泣いて。


 ――俺の心に宿ったのは、復讐心だった。




「きっとこうなることは、運命だったんだろうなァ……」


 ぼそりと呟きながら、俺は世界で一番大切な女の墓の前に立ちながら、拳を握り締めた。

 強く、強く、握り締めた。

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