第5話 羽ばたく鷹は雀を食らう

 オレが覚えている一番古い記憶は、突然家に押し入ってきた鋭いナイフを持った暴漢から、オレを自分の身体と床に挟んで庇ってくれた母親と、暴漢から少しでも母親とオレを守ろうとしてくれた父親の姿。

 母親と床の隙間から見えたのは、父親がナイフで切り付けられ、内臓を飛び出して尚、滅多刺しにされている光景だった。

 ぐちゃりと内臓を踏む不愉快な音が耳に響き思わず耳を塞ぎたくなるが、母親がオレを身動ぎ出来ないくらい押し潰しているので、それも叶わない。

 鼻は随分前から鉄錆びのような臭いを嗅ぎすぎて機能しなくなっていた。目尻がヒリヒリと痛いのは恐怖から涙が零れて止まらないからか。

 どれだけ続いたのか分からないほどの時間。実際は三十分も無かったのかも知れない。

 けれども恐怖を感じるには充分な時間が過ぎていた。

 いつの間にか動かなくなった母親は蹴り飛ばされ、暴漢の姿がはっきりと見えた。

 暴漢は感情の見えない顔で俺を視界に収める。


「ヒッ」


 短い悲鳴が漏れた。

 暴漢は俺に手を伸ばす。ナイフを持っていない方の、けれども紅い手だ。


(殺されるッ……)


 視界の端に映った両親『だった』人達のように。自分もこの男に殺されるのだ。

 キラリと光るナイフを持つ右手を持ったまま、動かない暴漢。

 いつ殺されるかも分からない恐怖に、ギュウッと強く目を瞑る。


「……?」


 けれどいくら待ってもナイフで刺されるような衝撃は来ない。

 恐る恐る瞼を上げて見た光景。それに驚愕する。

 ナイフを持ったまま男の腕を見知らぬ男が片腕で抑えていたのだ。


「待て」


 見知らぬ男の低い声に、暴漢は身体を強張らせていた。良く見ればカタカタと震えている。


「おいガキ。テメェ、良い見た目してんじゃねぇか」


「……ぅ、え?」


「丁度この前『オモチャ』が壊れちまってなァ。テメェみたいな見た目の良い躾やすそうなガキを探してたんだよ」


 にやりと笑う男。両親を殺した無表情の男と違い、その笑顔はとても醜悪だった。同じ人間の筈なのに、この男からは嫌な感じしかしない。


「つっても拒否は認めねェがな。まあ、せいぜい俺を楽しませろよ」


 グイッとシャツを引っ張られて顔を無理矢理近付けさせられる。

 舌舐めずりをした男からは、何故か血の臭いがした。


「ああ、そうだ」


 男は思い出したように言う。


「テメェはもう用済みな? 死んでいいぜ」


YES、MASTERイエス マスター


 感情の伴わない声と共に、暴漢は両親を殺したナイフを自身の首に向けると、そのまま掻き切った。

 勢い良く溢れ出す血液を身体の半身に浴びながら、命令を下した男を見上げる。

 頭から顔にかけて『ZERO』という刺青を入れていた男は、同じ様に半身に血液を浴びながら俺を見下ろし、満足気に笑っていた。


 これが俺の一番古い記憶。

 そしてこれが俺のある意味での始まり。


 その夜。幾人かの見知らぬ人間が家に来て、両親や暴漢の死体や血を片付け始めた。そうして家に火を点けられた。

 ゴウゴウと燃える家を見終えることなく、感傷に浸る間さえ与えられずオレは男に連れられ、自分が住んでいた家の何倍も大きな屋敷に連れて行かれた。

 そこで人形のように整った顔をした人形のように表情のない少年の手に寄って風呂に入れられ衣服を整えられ、風呂に入る前に別れた男の前に連れられた。


「お前は今日からここに住んで俺の為に働け。それがお前の唯一の存在意義で、唯一の生存方法だ。俺の許可なく勝手に死ぬことも許さねェ」


 一方的な言葉を吐く男は「わかったなら頷け」と低く唸る。

 オレはつい先程まで見ていた殺戮の恐怖が身体を駆け抜け、反射的に首を縦に振っていた。

 男は満足そうにひとつ頷き、目を三日月のように細めて、至極楽しそうに言った。


「お前が狂うのを楽しみにしてるよ」


 その日、オレは平穏を奪われ、両親を奪われ、死を奪われ、自由を奪われた。


 それからの日々を一言で表すなら『地獄』か。

 ナイフや銃の扱い方、日常的な学問から専門分野までの知識を叩き込まれ、それらが出来なければ容赦無く折檻され、出来るまで食事を抜かれた。

 言葉通り死に物狂いで日々を生きていくうちに、元々あった筈の感情は薄れて消えた。


 人を殺すには邪魔だった。

 何より、生きるのに邪魔だった。


 そうして何年も経ち、辛うじて覚えていた年齢が十九を数えた時。

 オレは何も変わらず、主人から言われたままに殺しを行っていた。

 何度この手を赤く染めたか、もう俺にはわからない。

 何人か俺みたいに主人に気に入られたガキが居たが、オレ以外は訓練の過程に耐えられず死ぬか、壊れるかのどちらかの末路を辿っていた。

 死ぬならまだ良い。勝手に死ねとも思う。

 けれど壊れるのは面倒だ。

 誰も居ないような路地裏にゴミ袋に入れて捨てるのはいい。その方が極めて楽だ。

 だが、どこかの変態に買われて行くのは面倒極まりない。

 買われる前段階に、骨と皮だけの壊れたガキに肉を付けさせる為に無理やりメシを食わせなければいけないし、動かない人形のような人間『もどき』に衣服を整えてやらなければいけない。

 壊れたガキは相応に反応もないし、自発性もないから本当に面倒くさい。

 『全員殺せ』と言われたら喜んで殺してやるのに。


 主人は壊れたガキを売るとき、至極愉快そうに嗤う。

 狂った野郎だと嘲笑混じりに貶されれば歓喜の色を濁った目に宿らせる。

 オレにしてみれば主人が幾ら狂っていようが、壊れていようが、関係ない。

 今はただ殺しが出来ればそれでいい。

 この数年でオレの中にあった『死』に対する恐怖は消えた。

 人を人とすら感じなくなった。道徳心はあの日に置いてきた。

 奪うことに抵抗はない。むしろ今は人を殺すことに快楽すら感じる。

 イカれた男に拾われ、教育を受けたオレもまた着実にイカれてしまったようだ。


(いっそあの日。オレも一緒に殺されていれば、また何か違ったのかなァ)


 思うだけ無駄な問いは、ただの暇潰し。

 今日は夜にしか仕事がない。だから夜までの暇潰しの問答。


「えーっと。ターゲットは王室の……へぇ? 軍人かぁ。女なのに戦歴凄い。殺し甲斐がありそうだなァ。名前は……スズメ? スズメちゃんか。ふふ。踏み潰し甲斐がありそうな可愛い名前」


 主人の秘書に渡されたターゲットの資料を読んで、相手の情報を頭に入れる。

 殺してしまうのだから特に必要の無いものだけれど、名前と情報を知ってから殺すのがオレなりの流儀だ。

 時間いっぱいまで何度も情報を読み込んで、ターゲットのことを頭に刷り込む。


「――さて、行きますか」


 太陽が沈み、夜の帳が降りた頃。

 寝転がっていたふかふかのベッドから起き上がった。

 オレの働きが良いと、つい先日褒美に部屋が組織の幹部のものに変えられた。


 直ぐに殺してしまうのも、そろそろ飽きたな。

 今日は女だし、可愛く、それこそ雀のように鳴き叫んで貰おうか?

 果たして軍人が可愛く鳴いてくれるのかは分からないけれど。そこを鳴かせるのが至極楽しいと言うモノだ。

 意気揚々とホルスターに銃を、服の下にナイフを仕込み、夜の街中に足を進めた。


 ――この日、俺の運命が変わる二度目の日になるのだと、まだこの時の俺は知らない。

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