愁いを知らぬ鳥のうた

ますりうむ

愁いを知らぬ鳥のうた

「あたし、東京に行って歌手になる!」


 彼女は真っ赤に燃える夕日に向かってそう宣言した。


「あたし、東京に行って歌手になる!」

「……え?」

「だから! 東京に」

「それは聞こえてるって!」

「じゃあなに?」


 不服そうに歪んだ眉が、僕の方へ向けられる。腰に手を当て頬を膨らませる姿は、年相応でかわいらしく、思わずドキッとしてしまう。

 けれどそれも束の間。よく整った綺麗な顔はすぐに引っ込み、代わりに小さな歌が聞こえて来た。


「……」

「――♪」


 優しい旋律、力強い歌声。まるでこの世に未練なんてないように、とても気持ちよさそうに彼女は歌う。


「ね。あたし、歌うまいしいけると思うの。東京行って、おしゃれして、夜に駅の前でライブをする。ストリートライブ。歌声に魅了された音楽関係者が寄って来て、あたしは千年に一度のなんてキャッチフレーズを付けられて歌手デビュー!」

「……」

「ねぇ、聞いてる?」


 もちろん聞こえていた。

 波の音が大きくなってきたとはいえ、ここには僕と彼女しかいない。雰囲気を邪魔をする潮騒に負けず、彼女の声は耳の奥に心地よく響いていた。


「聞こえてたんなら、なんか言ってよ」

「……応援できない」

「なんでさ!?」


 きっと僕から否定的な意見が出るなんて考えてもいなかったのだろう。彼女は目を丸くして驚いていた。


「カラオケのベストスコア98点なんだよ! 自分で言うのもなんだけど、顔もスタイルもそれなりだと思うし、あとは服装とお化粧を固めれば、そこら辺のアイドルには負けないと思う!」

「そうかもしれないけど」

「じゃあ応援してよ」

「それはできない」


 目を合わせないようにうつむいたまま首を振る。


「パパもママも絶対反対するし。お姉はなかなか家に帰ってこないし、あたしの味方してくれるのはキミだけなんだよ?」

「……」

「ね!」

「……できない」


 僕は頑なに断った。

 彼女の表情は驚きを通り越して怒りへと変わる。


「そう。もういい。今日は帰る」


 彼女は通学用のバッグを背負うと、振り返らずに行ってしまった。

 怒っていた。

 これまで彼女を怒らせたことが一度でもあっただろうか。不貞腐れたようなその表情を、僕に見せたことがあっただろうか。


 …………。


 一人になった海岸通り。冷たくなってきた秋風に身震いして、僕は自転車に乗って家に帰った。

 いつものように郵便ポストをチェックしたあと、階段を上がって自室にこもる。カタカタとキーボードを叩きながら、今日も僕は溜め息を吐く。




「ね、やっぱり応援したくなったでしょ?」


 翌日、彼女は性懲りもなく僕に同じ話題を振ってきた。

 昨日の怒りなどどこ吹く風。にやにやと楽しそうに将来の展望を語る。


「やっぱり大物になると、顔バレとか怖くて普通に買い物とかできなくなるのかなー。でもさ、こそこそするのも嫌だし、あたしは有名になっても堂々と買い物するようにするよ。んで、サイン求められたら、笑顔で応えるの。ファンあってこそのあたしだからね」

「やめときなよ。歌手なんて。なれる人はほんの一握りだし。なれたとしてもそれで食べていけるようになる人なんて、さらに少ないよ」

「そのほんの一握りに入るために、あたしは頑張ろうって言ってるんだよ。何事もやらなきゃ確率はゼロだよ。そして、かけた努力の分だけ、そのパーセンテージはあがるんだよ」

「人生は確率じゃ語れない」

「なにさ! 知ったようなこと言って! 夢どころか、進学先すら考えたことない癖に!」


 また彼女を怒らせてしまった。彼女は僕にサヨナラも言わず、鞄を持って教室を後にする。

 まばらに残っていたクラスメートが一斉にこちらを振り向いた。突き刺さる好奇の眼差し。

 僕は努めて平静な振りをして、そそくさと教室を後にした。

 郵便ポストをチェックして、階段を上る。

 まだ夕日が沈む前だけど、椅子に座ってパソコンに向かった。




 いつもは学校から帰って来たときにやるルーチン。けれどその日は、朝学校へ行く前に郵便ポストを覗いてしまった。

 中には一通の封筒があった。

 差出人は、僕がずっと待っていた相手からだ。

 思わず鼓動が早くなる。

 今から自転車に乗れば、始業には間に合うだろう。

 しばらく悩んだのち、僕はその封筒を開けた。


『第二十三回 ○○文庫大賞 結果   一次選考 落選』


 僕は学校を休んだ。




「見つけた。ここにいなきゃもう警察に行こうかと思ってたよ、まったく」


 見つかってしまった。

 夕日が沈む海を見つめて振り向きもしない僕に、彼女は遠慮もせずに近づいて来た。隣に座った拍子に、スカートがふわりと膨らんだ。


「優等生がおサボリとはね。反抗期ですか?」

「……」

「なんか言ってよ。居辛いじゃん」

「ねぇ……」


 久しぶりに出した声は酷くしわがれていた。喉がひりついているのは、今日一日潮風を目いっぱい吸い込んでしまったからだろう。


「やっぱりやめなよ。東京行って歌手になるの」

「え!? もしかして、あたしのために学校休んだの!?」

「違うけど……」


 違うけれど、今の僕にとって、彼女の東京行きを阻止することが、何よりも大事な事のように思えた。

 怪訝な顔をする彼女。


「そんな歌上手くないくせに、何のツテもなく東京へ出ても誰にも目を向けてもらえないって。頑張った分だけ失望するだけだよ」

「どうしてそういうこと言うの? 頑張っている人を否定するなんて、キミはどれだけ偉いんだよ」

「偉くはないよ。……ただ、知ってるんだ」


 痛みを。

 誰にも目を向けてもらえない痛みを。

 彼女の澄んだ歌声が好きだから。

 感じるまま、思うがままに歌う、彼女の後姿が好きだから。

 僕は彼女に、同じ痛みを味わってほしくない。知らないままでいてほしい。


「頑張ったって世界は無関心なんだよ。素人の僕たちが、たかが十数年しか生きていない僕たちが、全世界に向かって声を上げても、世界はまったく興味を示さない。自分のことと、人気者のことで精いっぱいだ」


 叫び上げた。


「僕がどれだけ時間を使っても、それは結果に結びつかない。じゃあ一体、僕が使った時間はなんだったの? 努力は、犠牲は、一体なんだったの?」

「何が、あったの?」

「……」

「ね、黙ってないで。教えて。あたしが力になるから!」

「お前に何ができるんだよっ!」


 やってしまった。

 差し伸べられた掌を、振り払ってしまった。

 彼女は無理して笑顔を作った。


「なんか、ごめん」

「……」

「……」

「……あ」

「あたし、もう行くね。風邪ひかないでよ」


 僕が何か言うよりも早く、彼女は別れの挨拶を告げる。

 小走りに走っていく背中を、追いかけることはできなかった。




 家に帰ってパソコンの前に座る。

 立ち上げられていたワードの画面には、書きかけの小説が映っている。主人公がきつい言葉を言ってしまったことを悔いる場面。その次のセリフが浮かばなくて、昨日はそこで筆を止めた。今日はもう、指は動かない。

 努力だけはしてきた。

 クラスメイトが自分の目指す青春に向かって必死で汗を流す中、僕は社会に出る前の貴重な時間を、パソコンに向かって過ごした。

 今なら思う。小説投稿サイトに作品を上げたのが間違いだった。

 初めてついた『いいね』が嬉しくて、必要とされていると勘違いしてしまった。僕は調子に乗って書き続けたけれど、結局カウンターはまったく回らなかった。

 世界は僕に無関心だ。

 望みをかけた新人賞も空振り。

 努力は報われず、浪費した時間だけが後悔として積み重なる。苦しく、辛い。

 その痛みを、彼女に味わってほしくないと願うのは、エゴだろうか?

 せめて彼女だけは。

 まだ、人気という悪魔に憑りつかれる前の彼女だけは。

 好きなことを好きと思い続けていてほしい……。


 ポケットに入れていたスマホが鳴った。開いてみると、彼女からのメッセージだった。


『これ見て元気出せ。な』


 当たり障りのない文面に、youtubeのリンクが一つ。

 僕があれだけ拒絶したにもかかわらず、彼女は僕を励ましてくれる。それが打算から来ていないことを、僕は知っていた。


「何も知らない癖に」


 可愛い猫の動画だろうと思って、タップし……。


「え?」


 茫然とした。

 開いた動画には彼女が映っていた。

 見覚えのある海岸通りで、見たことがある制服姿の彼女。三脚にカメラを固定するところから始まり、海をバックにマイクを構える。流行りの曲のメロディーが流れているが、波の音の方が大きくて、ほとんどノイズしか聞こえなかった。

 彼女が歌い出す。

 下手だった。生で聞けばあんなに綺麗なのに、動画で見る彼女の歌は全然耳に入ってこない。


「――」


 けれど……、僕の手は震えていた。

 歌が終わる。彼女がカメラまで走って来て、動画が途切れた。もしかしたら編集の仕方も知らないのかもしれない。

 そして、連続再生に登録されていた次の動画がスタートする。その動画にも彼女がいて、違う歌を歌っていた。

 その次も。その次も……。

 彼女の歌が流れていく。季節はどんどん遡り、夏服で始まった動画が再び夏服に戻って来た。


「いったい、いつから……」


 僕は口に出した疑問を調べ、雷に打たれたような衝撃を受けた。

 最初の更新日は、三年前だった。

 こらえきれない何かが首元からせり上がって来た。


「僕が小説を書き始めるよりも……」


 ずっと前から。彼女は自分の歌をyoutubeにアップロードしていた。


「全然、知らなった……」


 再生数は……、たったの五回。どの動画も似たり寄ったり。新しいものになれば僕が最初の視聴者のものまであった。


 彼女は、この現実を受け止めたうえで、あんな楽しそうに歌っていた……。


 僕だけが知っているつもりだった。

 無関心がどれだけ辛いのかを。

 覚悟をせずに飛び込めば、世界は容赦なく襲い掛かり、心が擦り切れてしまう。僕はその被害者になってしまった。だから、せめて彼女だけは、この痛みを知らずにいてほしい。

 そう願っていた。


「なんで……」


 でも、


「なんで!」


 彼女はとっくに知っていたのだ。

 誰にも知られないという辛さを。

 振り上げたこぶしを不甲斐ない自分の膝に叩きつけた。


「羨ましいな……」


 それが、純粋な気持ちだった。

 画面の向こうで彼女は歌う。

 誰よりも自由に、大空を舞う鳥のように。

 僕は諦めたように肩の力を抜いて、その動画に『いいね』を付けた。




 次の日、僕はいつもの海岸通りで彼女を待った。


「東京行きなよ」

「え!? どういう風の吹き回し!?」

「僕も小説家目指すから」

「え? ええ!? 意味わかんないんだけど! え? 小説家?」


 戸惑う彼女の姿が見れて、何か胸につかえていたものが落ちた気がする。

 今はまだ、不意打ちでしかサプライズができないけれど。

 いつかは自分の書いたた作品で、同じような表情をさせてやろう。


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