第8話 思いだした

第八話『思いだした』


 『うすしお』『のりしお』『フレンチサラダ』。


 コンビニ限定や、ギザギザ、堅焼、その他諸々。馴染みの棚に並んだ沢山のポテトチップスの中から、私は『コンソメパンチ』を選んだ。四〇周年の文字に心を誘われたからだ。


「40th『コンソメパンチ』。あきないおいしさ!」


 四十周年の衝撃に目が眩む。自制を超えた感動に、つい声を上げてしまった。その声に反応した数人から、尊敬とは程遠い眼差しを受けた。これは仕方が無い。尊敬すべきは私では無く、『コンソメパンチ』なのだから。


 ぐるりと首を回し、確認したが、店内にはこの偉業を伝えるPOPは見当たらない。ならばと、私は現物を抱える。微力だが『コンソメパンチ』の偉業を直に宣伝していこう。


 しかし、狭い店内は私だけだった。先程のお客は疾うに消えている。

この時間に居るのだから、あの客らは残業組だろう。重なりあった目にシンパシーがあったから、間違いは無い。〆切に追われ、仕事の合間に食事をとるオフィス街の同類だ。だからこそ、伝えたかった。感動を共感し、同類の絆を強めたかったのに。


 私は『コンソメパンチ』とコーラとのり弁当とガムとカップ麺を携えた。私も〆切は近い。と云うか、現時点で、ちょっぴり過ぎている。だから、急ぐ必要はそれなりに有る。


 私はレジカウンターにそれらを置いた。ガラスケースのFF商品やおでんを一瞥すると、いつもの店員さんが現れた。


「『コンソメパンチ』が40周年を迎えましたね」


 イキナリのカウンターパンチだった。


 さりげなく、切り出すタイミングを伺っていたのに、先を越されてしまった。ダンディな店員さんの一撃に、私はくらくらとよろける。だが、踏ん張った。丸の内所属OL代表として、根性だけは負けたくはない。


「コレって偉業だよね」


 渋いアダルト声は、パンチ力を倍増させる。


 考えてみれば、この店員さんは私よりも『コンソメパンチ』を理解しているプロである。そんな専門家に『コンソメパンチ』の偉業を教えるなんて、釈迦に説法でしかない。この場で私の為す術は、耐える事がベストだろう。


「お弁当温めますか?」


「お願いします」


 強烈パンチを鍛え上げた防御力で防ぐ。こうなれば、ダウン寸前まで打たれてチャンスを作ってやる。


「じゃあ、一寸、待っていて下さいねぇ」


 ここのコンビニは店員さんがお弁当を温めてくれるシステムになっている。コレって、丸の内では珍しい事なのだ。


「カフェラテのLサイズもください」


 最後に、私は超微力の抵抗をした。これが何の意味も為さない自覚は十分にあるが悪足掻きは治らない。


「ホットで良いの?」


「はい」


 案の定、店員さんは意に介さない。あっさりと背を向け、スチーマーをうおんうおんと鳴らした。


「お支払いは?」


「クイック・ペイで」


 操作された支払機にスマホをかざす。振動を掌に受けながら、私はビニール袋に消えて行く商品を眺めた。


「お箸は二膳、入れておきますね」


 店員さんは商品を丁寧に包み、温かいラテを握らせると、私を送りだしてくれた。


 夜空の下、私は胸いっぱいに深呼吸をした。今夜は危機的状況だったが、耐えきったハズ。結果はドローと考えてよいだろう。丸の内OL代表として勝負を挑んだからには、どんな勝負にも負けてはならない。負けた負債と羞恥心は、個人で背負えない程に大きくなってしまうからだ。


 私は歩き出した。此処から五分程の場所にオフィスがある。オフィスが入居するビルの地下にもコンビニはあったが、私がソコを利用する事は稀だった。ソコは品揃えが薄く、ポテトチップスが無い。店員さんもおっしゃれーだ。


 日本有数オフィスビルのおっしゃれーなテナントだから、揚げた芋なんぞ、眼中に無いのだろう。


 私は灯の中を歩く。


 終電間近の街は静かで、ビルの間を抜ける道には誰の姿も無かった。昼間は背広姿と制服姿が行き交う道に、自分の足音だけが響くのは愉快だ。見上げればビルは高く、夜空は遠い。夜空の、くぐもった黒色が大辞典の背表紙を連想させた。そして、その内容はこの街かもしれないぞ。


 私は道脇にあるベンチに腰を下ろした。やはり、早朝からの『やっつけ』で疲れているようだ。先程の勝負がイマイチだったのもこの所為だろう。私はカフェラテを一口啜った。寒さ弛む夜だが、まだ温かな飲料が美味しい。


「ふう」


 くつろぎの溜息、ほっとする味だった。そうだ、リフレッシュを兼ねて此処で一服していこう。カフェインは脳を活性化する。オフィスに戻れば、ラストまでカンヅメになるのだから、十分ぐらいは構わないだろう。夜は長いし、ここは気分転換には丁度いい場所だ。飲みながら、今夜の構想を練るとしよう。


 あちらこちらに備わった街灯の活躍で、一人でベンチに居ても不安は無かった。口元にカップを運び、私は綺麗にタイルの敷かれた道を眺めた。


― 入社した頃はタイル貼りじゃ、無かったなあ。


 あのビルヂングも、レンガ駅前もそうだ。この街は頻繁に姿を変え、常に新しい空気を纏っている。それでいてどこか懐かしい。適度な距離を保ちつつ、仲間とする人間関係も、この街独特のスタイルに思える。揚げた芋をディスる奴らは”仲間”に入らないが、とにかく私はこの街が好きなようだ。


 まったりすると、腹が鳴った。そもそも、晩御飯兼夜食を買いに出かけたのだった。


― そりゃ、お腹もなりますよ。


 私は弁当を取り出した。だが、考え直す。深夜に街灯の下、女がベンチで一人飯は異様だろう。その場景は丸の内の怪談に相応しい。


 代わりに『コンソメパンチ』を引っ張りだした。濃厚なコンソメ味に取りつかれていた高校時代が懐かしく思いだされる。部活動後の買い食いが何よりも楽しかった青春時代の味だ。


 パリリ、と頬張った。途端に広がる塩気と昇華するコンソメ風味にパンチ力有り。


― コーラもあるけれど。


 ポテトチップスにコーラは定番だ。だけれど、今夜はカフェラテにしよう。もぐもぐとマリアージュすると、結構イケる。『コンソメパンチ』はミルクとの相性も良いようだ。


 ― こりゃ、新発見。


 新しい発見、新しい味、新しい自分。


 ― 丸の内だねぇ。


 手を拭おうとハンカチを探る。空いた左手が取りだしたのは、今朝渡されたポケットティッシュだった。

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