高校時代の私

無事志望校に入学した私は、次こそ部活動や勉強、友達関係を目一杯楽しもうと意気込んでいました。


当時、バレーボール部に入部するのは気が引け、幼少期からしたいと思っていた剣道部に入部することに決めました。

私が入学した頃は部員は先輩1人だけで、試合も出来ない状態、練習もままらない状況でした。

ですが、そうやって部活を続けてくれた先輩。

私も入部してこれからの剣道部を盛り上げていきたいと思いました。

私が入部し、同級生の男子4人も入部してきました。

女子1人だったので、不安でしたが先輩は男子のキャプテン、私は未経験で入部したてでしたが女子キャプテンになり、顧問の先生も同じ時期に高校に初任してきたので、少しずつ部活動も練習が出来ていました。


クラスも、馴染むのに正直必死でした。

ですが、1年生のクラスは男女仲良く、よく盛り上がり私なりに楽しく過ごしていました。

学級委員をしたり、文化祭でも主役をしてみてよ、と言ってもらい主役をしたりと自分なりに楽しんで学校は楽しいものなのだと改めて思っていました。

ただ、学校に行く時になぜかお腹が痛くなり、電車通学だったのですが腹痛に耐えられなくなったり授業中にお腹が痛くなり、気が遠くなり少し気を失うまで腹痛が酷い時があらりました。

当時内科では過敏性腸症候群と診断され、それは年齢と共に良くなっていきました。


しばらく経つと、部活に女の子のマネージャー希望の子が入部してきました。

後々知ったことなのですが、女の子は顧問の先生を好きになり、マネージャーとして入部してきたようでした。

私は元々の部活の実態を知っていたので、そんな軽い気持ちで入ってきて欲しくないとは思ったのですが、何も言えず練習に明け暮れていました。

当時ホームページが流行り、その子のホームページがあったので見てみると私の悪口や先生の思いがずらり、、腹が立つというより、わざわざホームページに書くのが気に食わなかったです。

顧問の先生は新卒で若かったので好きになる可能性はあるのかもしれませんが、教師を目指していた私の勝手な考えでは、そんな目で見てるの?という気持ちにはなりました。

ただ何も言えず、練習には行かないといけなかったので、男子と混じって練習をしていました。

その子はマネージャーなので正直することは特にはありませんでした。

ただ来て制服姿で練習を見ていたり先生と話していました。

その子はハッキリ話さず照れた感じでうなずいたりするだけでした。(笑)

女子特有なのかもしれませんが、男子と練習をして、武道なので礼儀の1つも教えないのかと腹立たしく思っていました。

先生もその子には凄く優しく、私は練習をしているのでめちゃくちゃ怒られていました。

そして高校生の男子との体力や体格、力の差、そして剣道経験者の顧問の先生の厳しさ。

夜遅くまで練習していました。

ヘトヘトになり低血糖のような症状が出るほどで帰り、そして学校の課題。

学校は厳しかったので課題をしている前提で授業を進めたり提出物を出したり授業態度や部活動に入っていなかったり部活動によっては偏見の目で見ている先生がいたり、もちろん服装や化粧も禁止でしたし髪型や持ち物。

他の学校もそうだと思いますが、特に学校名と学科が変わったこともあり、学校を良く見せようとする姿勢が先生方はとてもありました。

ですが部活動でヘトヘトになり、宿題をしているときに寝落ちてしまったりすることもしばしばあり、学校に行く時はお腹が痛くなり、クラスは楽しかったですがその後の部活動が憂鬱になっていました。

過呼吸や血尿は度々あり、そして先生とマネージャーの子の態度。

男子部員は男子部員で固まり、1人でした。

だんだん先生とマネージャーの子に腹が立っていく自分がいました。

試験勉強の時にはずっと引っ付いて教え、部活でもずっと一緒。

私はキャプテン会議や練習でも厳しく試合や昇段試験、そして1人なのが辛かったです。

力の差で飛ばされそうになることもありました。(笑)

だんだん、他の友達から「あの2人、付き合ってるんじゃないの?」と聞かれるようになりました。

本当に私も付き合っているんじゃないかという程仲が良く、学校内で一緒にいたり土曜日部活が終わってからもずっと道場にいた所を見ていました。

先生の道着を片づける為にわざわざ裏側の柔道場に行き、ずっと話をしていたり一緒に帰っていたりする姿を見ていました。

私は体育祭で団のダンスもしていたので、その時期はあまり部活に顔を出さず団の練習をしていました。

その時にずっと2人で剣道場にいる所も見ていましたし、一緒に帰っている姿も見ていました。

そして練習に行っても一人ぼっち。

誰も私に話しかける事もなく、ただ淡々と練習していました。

団体戦は出れなかったので他校と混ぜてもらい、試合会場でも話をすることもなく、個人戦でも先生に試合を見てもらいただただ剣道をしているだけでした。

他の友達からはずっと「付き合っている」と面白がって言われ、友達に一度相談しました。

すると「相手をしてほしいだけでしょ」とあしらわれるだけでした。

当時私は自分の気持ちを素直に話すことが苦手で自分なりに話をしたのですが、それを言われ余計に自分の気持ちを話せなくなりました。


高2になり、クラスがその子と一緒になってしまい、余計に憂鬱になりました。

他の友達関係は良かったのですが、みんなは部活も充実しているようで、私とその子しか女子部員はいなかったので相談も出来ず。

だんだん部活に行くのが嫌になってきてしまいました。

音楽祭で指揮者をすることになり、その練習や相変わらずテスト勉強や色々としんどくなり、それでも部活では私に誰も話しかけたりすることもなく、なんでこんなにしんどい思いをしてまで部活に行かなければならないのか、と思うようになり、私がいなくても大丈夫なんだと思うようになりました。

後輩は入ってきましたが、もう昇段試験にも行けず、ストレスが原因で十二指腸潰瘍にもなりました。

テストの順位も下がっていき、もう全てがどうでも良くなりました。

相変わらず女の子と先生は付き合っていると言われ、書ききれないほどの噂や仲良くいるのを見た、という人が続出しました。

ですが周りは面白がっていました。

だんだん部活に顔を出さなくなり、なんで生きているんだろう、私がこの世からいなくなっても誰も困らないだろうと思うようになりました。

周りに反対されても自分がやりたかったことを選び、自分なりに自分を信じて頑張ってきて、なんでこんな思いをしなければならないのか、と思っていました。

死にたい、学校を辞めたい、と思うようになり、学校をサボったり部活も一切顔を出さなくなり、授業中も上の空で宿題も手がつかず。

授業中にここから飛び降りれば、と思ったり1人で学校から帰っていましたがずっと死ぬことを考えていました。

その頃、初めてリストカットをしました。

どこでリストカットを知ったのかは覚えていませんが、初めてハサミで切ったのを覚えています。

その頃は薄く、傷も浅かったのですが、なんとなく楽になった気がしていました。

リストカットを繰り返すようになり、夜も散歩に行ってくる、と言い死ぬ場所を探したりしていました。

部活のテスト勉強に無理矢理呼ばれた時、行ったのですが先生と女子部員の態度を見て教室を飛び出し、廊下を走って帰ろうとしたら先生に止められました。

そのまま学年室に呼ばれ、学校をサボった事もバレていました。

そして腕を見られ、リストカットがバレてしまいました。

保健室に連れていかれ、保健室の先生に話を聞いてもらい、ですが私は自分の気持ちを素直に話すことが出来ませんでした。

それから定期的に保健室に行くことになり、最後は「次リストカットをしたら親に電話する」と言われました。

それ以来、保健室には行かなくなりました。

もう本当に死んでしまいたい。

徐々に体の不調も出てきて、脳外科に行くと神経症だと診断されました。

腹痛や神経症の症状に加え、本当に精神的にボロボロでした。

話を聞いてくれる人もおらず、自分の気持ちも話せない。

周りからは冷たい目で見られていました。

その頃私の側にいてくれたのは親友でした。

毎日メールが来て、今日家に来るようにと、有無を言わさない勢いで言ってもらい、その子の家に行っていました。

ただお笑いのDVDを見たりお互いの好きなことをしたり。

その何でもない時間が私には楽でした。

けれど、帰る時にはいつも「死にたい」そればかりでした。

約半年程その状態が続き、ずっと親友にも病院に行った方がいいと言われていましたが、お金も無いし親にも言えず、行けませんでした。

リストカットを繰り返し、死にたい気持ちと闘いながらなんとか学校に行き、1人で帰る日々でした。


高3になり、クラスも変わり今思えば躁転していたと思うのですがふと持ち上がり、リストカットは辞め、日々楽しく過ごしていたのですが、やはり女子部員と先生が話している姿を見るとしんどくなったりしていました。

音楽祭で伴奏者がいなく、私が伴奏者をすることになりました。

小さい頃にピアノを少ししていたとはいえ、楽譜を読むことすら忘れている私は受験勉強を放り出して練習していました。

夏休みの合唱の練習は誰も集まらないことも多々あり、再び気分は沈み始め、教室から逃げ出してしまうこともありました。

クラスの人は予備校で来なかったり、機嫌悪くやる気の無い感じで練習していました。

ですが本番まで時間がないので受験勉強をしなければならなかったのですが、ずっとピアノの練習。

もう嫌だとまた思い始め、文化祭や音楽祭が終わっても気分が戻ることはありませんでした。

ですが教師になりたい気持ちが強かったので、志望校は教員採用に強い大学にしました。

ほとんど勉強出来ていない状態で受験に臨み、無事第一志望の大学に合格しました。

あの時は本当に嬉しかったです。

やっっと教師になれる。

そう思っていました。

結局、部活の引退試合や写真には写らず、よく分からない気持ちのまま卒業しました。

卒業式は1人で帰り、その後もこの部活のトラウマに苦しめられる日々が待っていました。

高3で持ち直したとはいえ、どこかずっと孤独感に苛まれ、周りからは「よく分からない」と言われていましたし、死にたいと思う気持ちもどこかにあった気がします。


大学生になったら、今度こそは、中学や高校時代よりも良いものにしよう。

そう思っていました。

夢の教師になるんだ、教師になって少しでも苦しんでいる生徒を救いたい、と決意していました。

結局、また同じこと以上のことが待っているとは思ってもいませんでした。

大学からが本当の苦しみでした。


端的に書きましたが、高校生活も本当に辛く、思えばほとんどがしんどい気持ちを持ちながら過ごしていたと思います。


ここまで読んで下さりありがとうございました。

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