不死鳥の影を追う青年の話

湊歌淚夜

第1話(改訂版)

月夜の空は、淡い紫の星たちによって妙な魔力を漂わせていた。さざ波のザラザラした音が、ここ数日のデスク漬けであったワーカホリックな時間を忘れさせてくれる。あれほど人間らしさを欠く、人間らしい行為はないと皮肉を効かせていた学生時代を思い出すと、あの頃は若かったと遠くを見つめていたくなった。リシャールは長く伸びた蓬髪を搔きながら、ぼんやりと浜辺に立っている。こうやって平穏を味わえるのはなんだか少し後ろめたかった。


ワルナヴィエ皇国は今でこそ土埃と血の匂いが漂っていないだけで、好戦的な国である。つい3年ほど前にも隣国のエルポルカ公国と停戦協定を結んだばかりで戦には飽き飽きというのが国民の総意として根付きだしていた。しかし、現皇帝のワルナヴィエ三世は「わが皇国の平和は、薄っぺらい条約の上に立つ貧相なものでは無い」という信条の元、皇国軍を若いものから抜擢していくために今でも軍事的教育は無くなっていない。その皇帝の発言に一石を投じたい反対派はいるだろうが、的を射た正論だろうと思いながら目を閉じた。古い詩にこんな一節があったことを潮風の熱っぽさに浮かされて思い出している。


"正しさは時に人を惑わす悪となる"

(ワルナヴィエ皇国 初代皇帝の叙事詩より)


カッコつけた子供のような感性で描かれた古びた叙事詩は、若いものを勇者として駆り立てるには持ってこいでふと子供の頃を懐かしんでしまう。あの頃から作られたニヒルの面を被っていたリシャールには陰ながら憧れを抱く他方法がなかった。その屈折した感性は今の瘋癲にも似た芸術肌気質を得たのだと実感することが多い。今だってこの浜辺を見ると美しいしの破片が散り散りになっているような気さえしてきた。


浜辺を眺めていると、妙に月の妖しい光を反射する1本の壜が転がっていた。月の薄紫色を浴びすぎてその色が染み付いたかのような、不思議な魅力に満ちているそれにふと見とれてしまう。その様はまるで、初恋のあの人に久しぶりに出会ったような心の高揚に似ていた。その壜の中には小さな帆船が入っており、気になり近寄ってみる。中には小さな手紙が入っているようで、壜の底に白い紙が入っていた。リシャールはそれを拾い上げて蓋を開いて中身を確認してみる。誰かが書いたであろう手紙を開くことはこの仕事に就いてからというもの、格段に増えたような気がする。初めの頃に抱いていたはずの罪悪感は今頃、海の沖辺りでふわふわ漂っているのだろうか。


《遠くへ行ってしまった貴方へ


貴方がいなくなってしまって、もう3年の月日が流れてしまいました。多分、遠いどこかで幸せにやっているのだと思うのですけど。それを祈りながら筆を執っています。今はただ、貴方を待っているのです。》


目を閉じてロマンティックな感傷に浸る。じわじわと文字からでは分かるはずのない背景が記憶から補完されて世界は不確定ながらに色彩とも呼べる、解釈を自分に植え付けて広がっていた。心の中に咲く桜が花を開き始める。言葉は花を開かせる春の陽射しに似ているのかもしれない。ぽかぽかとしていて、様々な想像へ羽を伸ばさせるようであり反面、その恩恵はありがたみを覚えられないほどにありふれたものであるような。


こういった手紙は貴重で、というのも地球という異界で用いられる一言語である「日本語」を調査する資料になっている。私の祖国である、ワルナヴィエ皇国は研究を進めていた。というのも、という話はまたあとにしておくとしよう。そんな異文化の言葉、その表面に迫ろうと研究員達が文字とにらめっこをしていた。リシャール自身も研究所に籍を置く、地球を知りたい一人の少年であった。大人というヴェールの下にはどんな人間にも子供は見え隠れするものだとつくづく思う。興味本位で手紙を読んでみたけれど文意を何となく読み取れる程度の知識しかないものだから、これは調べる必要性がありそうだった。研究室にでも持ち寄って解読してみようかと歩いていく。地面をなぞるように風が静かに凪いでいた。いつにも増して心を掻き乱す感覚に顔を顰めながら、砂浜のサクサクした音を聴きながら月の浜辺をあとにした。


浜辺に面する大通りにある研究所は、その地味な作業に反して近代的な建物であり、国がどれだけ真摯に向き合おうとしているのかが表面上からでも窺い知ることが出来るだろう。重厚な扉を開けると、出口を求めて閉じこもっていた思わず咳き込みそうになるほど、埃っぽい空気が押し寄せてきた。皆、それぞれのデスクに向かい様々な業務を行っている様子はどこか機械的にも思えていた。リシャールがデスクに戻ろうとすると、モノクルを掛けていた女性に声をかけられる。首元に剃刀をあてがわれたようでごくり、と唾を飲んだ。


「リシャール、随分油を売ってたみたいだな」

「すみません。……あっ、先程浜辺でこんなものを見つけました、謝罪には向かないですけど」

上司のクロード女史はモノクルを外して、こちらを見上げる。椅子に座りながらでも大人の女性特有であろう濃い色気と共に、視線が帯びた妙な気魄には誰も近づけないような強さを感じとれた。彼女はリシャールの持つボトルシップに目を見開く。その目はどこだか期待を満ちた色味を持ち始め、その珍しさは共通のものだとはっきりわかった。なにかブツブツと呟きながら手紙を取りだしてから軽く目を通し、ため息をつく。リシャールは他人の家に連れ込まれた飼い猫のように所在なさげに立ちすくみながらその後の返答を待つしかない。自分の職場だけど、イマイチ学校のような馴染めないところだからこそなのだろうかと考える余裕だけは何故だか有り余っていた。


「珍しいな、ボトルシップなんて。さてと、少し調べものでもしてくるかな」

クロード女史は多くの文献を見てきたからこそ、彼女の発言には頷ける面が大きく経験の差を知ることになる。彼女が目を煌めかすということは相当に珍しい代物なのだろうか。リシャールはわけも分からないままに首を傾げた。壜の中に入った帆船の模型というのは何となくながらわかるのだが、その意図が見えずしっくり来ないような感覚だった。痒いところの周囲を搔くようなモヤモヤとした違和感。背景が見えないからこそそれは払拭できないまま膨れ上がっていく。それは相当長く居座るつもりらしく、こちらとしては頭を重くさせる種なので早いところいなくなって欲しかった。風船のように一点に強い力を加えて消えてしまったらそれはそれで困りもするものではある。クロード女史は、手紙を持ったままどこかへ歩いていく。鼻歌交じりに彼女がラボから出て向かう先は多分、書庫だろう。そこで過去の文献を参考に文章という繭に包み込まれた書いた人の思いを探ろうとしていた。ふと頭を過る電流に似たものを感じて、リシャールは思わず声を上げる。


「あっ!……やば」

そう言いながらラボから通路で横付けされた小さな寮の自分の部屋へ駆けていく。リシャールの脳裏を過ったのは今日の予定だった。月の浜辺近くへの漂流者―地球から来ているため、こちらとしては転生という扱いをしている―に関する定期的な調査を任されていたのだった。最近妙に増加傾向にあって、彼らの社会的な影響の考察と人数の変動を観察するよう皇国政府側から直々に命令が下されている。と言うのもここ数年ほど、転生が増えている。資料ではある年から突然、年に数十人単位に増え始めていた。ワルナヴィエ皇国としてどう受け入れていくべきかということを最優先課題として議会で議論されるほどだ。隣国からは『蛮人が流入している』などと嫌味ったらしく言われている世間では噂になっているらしい。そういったものが要因で国家転覆などあっては困るために、現時点として転生はあまり望まれているとは言い難い状況下にある。国を圧迫する大きな原因の一つとして彼らのことが上がるほどには悩みの種だった。ワルナヴィエ皇国で名を馳せる著名な学者たちも彼らによってもたらされたであろう恩恵と影響についての研究は非常にタイムリーで、各学会は異様な熱気に包まれるという非常に奇妙な光景をよく見かけた。酒場で学者たちが資料を持ち寄り情報共有をするさまや神殿でも資料片手にそれぞれの見解を語り合う様子を見る度に皇国民の国民性に国民ながら感服してしまう。


「はぁ……」

そんな傾国の爆弾を抱えていて大丈夫なのかなんて考えるだけで、心拍数が妙に上がる。頭がぼんやりとして空回りを始めてしまうような姿形のない悪夢に飲み込まれそうな不安感があった。ため息がこぼれて、余計暗い気持ちになりそうだけどリシャールは軽く自分の頬を叩いて奮い立たせる。こんな所で自分の国の可能性を諦めてしまうことは、ワルナヴィエ皇国に生まれたものの恥なのでは、と妙に戦士ぶった言い方はくすぐったくもあるけどなんだか子供心に容易に火を灯し、そのおかげで今もこうやって仕事をできているのは事実だ。リシャールは小さい鞄に資料を詰め込んで月の浜辺の定期調査へ向かうことにした。



月の浜辺に来てみると、1人の少年が倒れていることに気がついた。多分、この濡れ具合なら漂流してきてすぐだろう。戦士の軽装のような服装から察するに、「転生」してきたのだろうとそんなことを考えるとため息が出てしまった。彼らにとってこの場面は単なる一通過点であって、ましてやこの世界を救わんとする妙な使命感を帯びていることが多い。幾度も少年のキラキラとした目を見る度にさいですか、と呆れを飲み込んで業務的スマイルを顔に張りつけて接していた。

「キミ、大丈夫かい?」

と優しい口調で話しかける。こんな具合でかれこれ数十人を相手にしてきたからその口調は酷く板についていて、我ながら嫌気がさすことも少なからずあった。彼の顔立ちから見るに17歳ほどの、幼さを残した凛々しさを覚える。聞いた話によると、転生者の願望を反映した姿としてこちら側へ送り出すため、美男美女である割合が高いという。こういったふうに転生してくるものは大概顔立ちがよく、それにだけ目をやれば妙に納得がいくというのは事実だ。リシャールは口をつぐんで溢れそうになる本音をぐっと飲み込む。胸の当たりがムカムカと心の中を投影したように痛かった。彼は漂流してきたとは思えない身軽さで、身体を起こして気だるげに街へ向かう。

「とりあえず、協会に行ってそこで話を聞いてもらうとしよう」

そう言ってリシャールは歩き出した。


気楽なものだ、風来坊なくせに。なんて文句は影の中にでもしまいこんで、ぎこちないながらに笑顔を保った。彼で転生者は私が記憶しているだけでも1000人ほどはいたはずだ。いつの間に足元に落ちていた暗い不安という影は自分を飲み込んでしまって、機械のように表面上だけの自分になってしまわないようにしておきたいけど、それは単なる杞憂に過ぎないと思っている。


「名前は」

リシャールは石ころを蹴りながら、少年に訪ねてみる。彼はとぼとぼと足元を見ながら歩いていた。浜辺から研究所の隣にある、「転生協会」なる施設へ彼を一時的に受け入れてもらうため、リシャールはそこまではついて行くことにしている。彼はチラリとこちらを一瞥してから「アカネ……」とだけ呟いた。その瞳はアレキサンドライトを思わせる色合いだった。というのも淡い青緑の瞳の奥に、うっすらと赤い殺意のようなものを垣間見ることが出来た気がしてリシャールは背中がゾワっとした。何となくではあるけどこうやって転生してきた彼らの持つ現実への折り重なった暗澹たる感情たちを計り知る術などない。だから大変だったね、と容易に同調したり感情移入し難いのが事実であり、忌避されていることでもあった。アカネは妙に表情が曇っていて、これまでの転生者とは似つかない年季入りの薄暗さを持っている。手馴れた暗殺者の空気を覚えるほどの底なし沼に似た殺意。似ている。あの人と。


あの人、とは言っても、面識はほぼ無いに等しいけれどこの皇国の民は少なくとも1度は憧れるであろう男がいた。私たちは彼に親しみを込めて、『コウスケ』と呼んでおり稀に熱心な狂信者のような者がいるほどに信仰されている。皇国の不死鳥(この国における不死鳥は国の守り神として崇め奉られている)という二つ名を持つ彼の半生は自叙伝に綴られており要約すると、少年期を地球で過ごしていたが、19の誕生日に殺されてから目を開ければ月の浜辺に寝そべっていたという。なんとも空想じみたものだとは思うけど、こちらへ来てからの描写に関しては証人が多く単なる冒険読物とは一線を画していた。それからは皇国のために幾度も戦に出て、その頭角を表していくという作られたと思いたいほどにバラ色なサクセスストーリーが描かれており、この国で不朽のベストセラーとなっている。


そんなコウスケ氏は現在80歳を超える老人で、既に農村で隠居生活を送っている。白痴では無いからある程度の身の回りは自分で行いながらその傍らで生計を立てているらしい。聞く話だと塾の先生として教鞭をとっていると聞いた。皇国の不死鳥と呼ばれた彼の強面な印象は写真などで見る限りぼんやりとした面影として残っているくらいに薄れて溶けだし、今はどこか凛々しげな優しい老人である。ちなみに、彼の子供たちは皆教師や師範となり、その教えを下の世代へ脈々と受け継ぐ活動をしていた。学校でもコウスケ氏の長男が剣術を教えていたり、リシャールの働く研究所にいるクロード女史がコウスケ氏の末妹(まつまい)だと聞く。そうやって俯瞰してみれば案外世界というのは狭いものなのかもしれない。


「あの」

とアカネに呼び止められて足がピタリと止まる。突然呼び止められたものだから蹴っていた石がうまい具合に土踏まずあたりに入りころびそうになった。リシャールはぐっと堪えて石を蹴ってアカネが指さす空を見る。どうせ月の浜辺から見た空が綺麗だったのだろう、とため息をつこうとしたその瞬間であった。紫がかる星空に、虹色の不死鳥が舞っている。雲や星とはまた違ったオーロラのような美しい色彩で星空に描かれたようだ。神話の世界に突然放り込まれたかのように、その美しさに見惚れてしまいそうになるけど、リシャールはおもむろに射影機を利用し、不死鳥の姿を捉えた。こういう時であっても記録を欠かせなくなってしまっているのは根っからの研究家気質ゆえだろうか。空に翼を広げて夜風を浴びているその姿はまるでワルナヴィエ皇国神話の一節のようだった。



"すると突然に、薄紫の星空に虹色の不死鳥が現れた。民はその御姿を見て神の存在を改めて感じたのである。預言者マギナはその御姿を現しになったことによって、若くしてその地位を獲得したのだった。"


(ワルナヴィエ皇国神話 立国記2.8-10)


不死鳥はその雄大な羽を大きく動かして、飛び立っていく。孤独なその姿は美しさとそれに内包された哀愁を強く感じる、ある種の芸術作品かのような浮世らしさを感じた。リシャールは静かに手を合わせ、その神に祈りを捧げていた。アカネも見よう見まねで手を合わせているのが横目で見え、少し微笑ましく思えたというのは心の内側に少しメモを取っておくとしよう。

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